Watanabe(@nabe1975)さんの人気ツイート(古い順)

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穴兎はブリテン島に12世紀頃導入されたといわれ、1176年にシリー諸島の役人が本土の修道院に十分の一税を納める際に穴兎の物納で代えている。穴兎の肉は中世では珍味と考えられており、また毛皮は珍重された。
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町田辺境伯領
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東京と神奈川が町田の領有権を争っている間に、千葉はドイツを内含する存在として周辺地域に影響力を拡大していく。
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月曜朝の夢想を打ち砕いていくサブちゃん
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ピルクルを飲んだ。ピルクルとは、「人生の新しい可能性に向けて怯むことなくチャレンジする」「いつもフレッシュで健康な日々を送る」意味で「ピルグリム・ファーザーズ・クルー」を略して名付けられたものらしい。胃酸の荒波を乗り越えて腸に到達する乳酸菌。
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「ググる」習慣のあるリテラシーを持った人が陥りがちな罠であり、こういうトラブルに関しては「水のことなら水道局」と直結リンクを張っている年配の方々が強い。 togetter.com/li/1902993
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「もう少し、付き合ってくれ。酒のことじゃないぞ」 微笑みで答える平六。良いシーンで泣きそうになる。 #鎌倉殿の13人
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大姫「紫式部を呼び出してほしい」 政子「再来年まで待ちなさい」 #鎌倉殿の13人
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源頼朝の死について各史料は相模川で行われた橋供養の帰路に病を患ったことで一致しているものの、直接の死因については定説が存在しない。「吾妻鏡」は落馬、「猪隈関白記」は「飲水の病」、「保暦間記」では亡霊の祟り、さらには安達盛長や政子、平教経による暗殺まで諸説紛々としている。
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和田さんは蛮族だと思っていたが、きちんと己の立場をわきまえて妻にも頭を下げられる。偉い蛮族だ。 #鎌倉殿の13人
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晩年の頼朝は気弱になり、自らが討った義高の追善供養などを行っている。仮に頼朝と巴が顔を合わせ、頼朝が詫びたとしても不自然ではない。 #鎌倉殿の13人
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鎌倉殿の餅対策 #鎌倉殿の13人
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安達藤九郎が落馬の際「鎌倉殿!」と呼んだのが、その後で呼び慣れた「佐殿!」になるのが切ない。最大の忠臣であった。 #鎌倉殿の13人
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ヨーロッパの広い地域において、古くから養蜂家が家族との死別や結婚など人生の大きな出来事を飼っている蜂に聞かせるという習慣(telling the bees)があった。その起源については不明であるが、古代地中海世界において蜂が現世と死後の世界を取り持つ存在と考えられていたことによるのかも知れない。
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現在大火に包まれている「Fラン大学まとめ」に美術系や音楽系の名門が軒並みランクインしている問題は、リアルで東工大コピペをやらかす人間が実在するのだという妙な感慨を抱いてしまう。
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「日本には戦後まで小麦がなかった」と言われても、2000年前の弥生時代の遺跡から小麦が発掘されているわけですが。
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誰がそんなことを言うのかと調べると、最近TLでちらほら見かける某新党の主張らしい。保守を謳って内実は偽史と陰謀論ということか。
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auの通信障害でわざわざauショップに足を運んでクレームを入れる顧客がいるようで、報道を読んでいると年配の方々だけではなく若い人もいるらしい。世代ではなく、そういうリテラシーに欠けた層があらゆる年代にいるということなのだろう。
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「お客様は神様だろうが!」 「それでは神になっていただきます」
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暗殺
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「優生思想」がトレンドに入っていて「ナチスか」と言われているが、WW2以前ではドイツよりもアメリカの方が優生学に熱心であり、1970年代まで断種手術が行われていた。むしろアメリカの優生学的施策がドイツに影響を与えたという。
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火葬は平安時代より始まったとされるが、人体を焼くための薪は膨大な量を必要とするため、貴人に限られていた。 #鎌倉殿の13人
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八田知家らが拵えているのは火屋(かや) 火葬のための建物である。 #鎌倉殿の13人