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「吾妻鏡」には実朝の言葉として「されど源氏の正統、いまに縮りぬ。子孫、嗣ぐべからず。されば官位を進め、家名を挙げんとす」と記される。何らかの要因で実朝は子を儲けることができなかったと推測される。
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和田合戦に繋がる流れを見事に埋めていく回だった。リアルで誰も死なない代わりに、実朝の心が死ぬどんどんした。
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一味神水(神水起請)
中世日本において、一味同心(同盟、惣、一揆)に参加する者が行った儀式。誓約を記した起請文を焼き、その灰を溶かした神水を回し飲みした。一味神水は同盟者の結束を高め、また神人共食は誓約に違反した者に神罰が下されるという意識を参加者にもたらした。
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江戸時代に入ると庶民が徒党を組む行為そのものが禁じられるようになり、一揆の要因として一味神水も規制されるようになった。
なお、現在「○○の一味」など徒党を指す際に用いられる「一味」は、一味神水に由来する。
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「誰かを覗くということは、誰かに覗かれるということ」
ニーチェのようなことを言い出す慈円
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今のうちにかわいい和田殿メモリアルしておこう。
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「起請文はどうするのだ」
「俺に考えがある」
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一文官だと思っていた大江殿が無茶苦茶強くて笑っている。
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ここでスクトゥム登場である
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巴御前の終焉は、義仲敗死後に不明となる。一説では和田義盛に嫁いで朝比奈義秀を産み、和田合戦の後に越中国礪波郡福光の石黒氏の元に身を寄せ、出家して義仲と和田一族の菩提を弔う日々を送り、91歳で生涯を終えたという。
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和田合戦で政治的興味を完全に失うかと思いきや、完全に覚醒してやる気満々になってしまう将軍実朝。これは危ない。
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史実での牧の方(りく)は伊豆で時政の死を看取り、その後に上京している。
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時房が後鳥羽上皇の前で蹴鞠の腕前を披露し、上皇は気に入って出仕を許したのは実話である。この時の京での経験が、後年時房が六波羅探題を務める際に役立ったという。
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源仲章のウザさは、義時のマスクにも現れている。
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義村としては、義時は無二の親友ではあるものの同時に政敵でもあるので公暁を煽るのは「それはそれ」ということなのだろう。私の好きな言葉です。
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政子の「従三位」ポーズに、在りし日の「征夷大将ぐーん!」と思い出してしんみりする。
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