Watanabe(@nabe1975)さんの人気ツイート(新しい順)

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「誰かを覗くということは、誰かに覗かれるということ」 ニーチェのようなことを言い出す慈円 #鎌倉殿の13人
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江戸時代に入ると庶民が徒党を組む行為そのものが禁じられるようになり、一揆の要因として一味神水も規制されるようになった。 なお、現在「○○の一味」など徒党を指す際に用いられる「一味」は、一味神水に由来する。
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一味神水(神水起請) 中世日本において、一味同心(同盟、惣、一揆)に参加する者が行った儀式。誓約を記した起請文を焼き、その灰を溶かした神水を回し飲みした。一味神水は同盟者の結束を高め、また神人共食は誓約に違反した者に神罰が下されるという意識を参加者にもたらした。
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電話番号登録が必須となり本拠地から締め出された結果、新天地を求めツイッターランドへ大挙して押し寄せるヤフコメ族。
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和田合戦に繋がる流れを見事に埋めていく回だった。リアルで誰も死なない代わりに、実朝の心が死ぬどんどんした。 #鎌倉殿の13人
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「吾妻鏡」には実朝の言葉として「されど源氏の正統、いまに縮りぬ。子孫、嗣ぐべからず。されば官位を進め、家名を挙げんとす」と記される。何らかの要因で実朝は子を儲けることができなかったと推測される。 #鎌倉殿の13人
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あまりにセクシーすぎてGoogleに架空のキャラクター扱いされてしまう八田殿 #鎌倉殿の13人
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トレンドに「Twitterくん」と出ている時は、何かしらTwitterに更新が加えられ皆が不満の声を上げているということで間違いない。
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重忠の同族で討伐軍に加わっていた稲毛重成父子らが、無実の畠山重忠を陥れたものとして三浦義村らに誅殺された。残された重忠の所領は時政の前妻の娘である重忠の妻に安堵され、妻は足利義純に再嫁して義純が畠山氏の名跡を継いだことにより、平姓秩父氏の畠山氏は滅亡した。 #鎌倉殿の13人
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情報商材屋の人が「フィンランドはバルト三国の一つ」と言い出してしまったものだから、「残り2カ国はどこだ」とTLが不穏な情勢に包まれている。
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中二病キャリアならば、まず自分を「闇」と定義するはずだ。
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Twitterで「光と闇の戦い」について真剣に語る陰謀論の信奉者を見るたびに、自分たちを「光」側だと信じられる無邪気さに眩しさを感じてしまう。
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和田さんがすっかり「悪い遊びを教えてくれる気のいいおじさん」になってしまい、和田合戦がつらい。 #鎌倉殿の13人
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本選びに関して、他人のレビューは一切気にせず自分自身のフィーリングを信じるようになった。 「最近、入門書より上のレベルの良書は頭の悪い人が★1レビューを付けていることが多い」という方がそう考察した理由が面白かった「どのレビューにも言える」 togetter.com/li/1942766
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竹馬に乗った羊飼い ガスコーニュのランド県は近代まで水はけの悪い荒野が広がっており、そこで羊を放牧する羊飼い達は移動手段として長大な竹馬を用いた。馬車に引けを取らない移動速度を誇り、また高い位置から周囲を見渡せるため羊の群れの監視や狼の発見にも役立った。
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アウェンティヌス・ヒロシュス(Aventinus Hirocius)
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今週のMVP のえに「きのこ大好き」と言われて目がウルウルする義時(この後『きのこ嫌い』と陰口を叩かれるので哀れさがいや増す) #鎌倉殿の13人
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武蔵国の武士団を統率する留守所総検校職は武蔵国の実質的な主権者であり、武蔵守叙任と引き換えに取り上げられるということは実権を失うことと同義である。 #鎌倉殿の13人
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実朝はまだ未披露の段階で後鳥羽院勅撰の「新古今和歌集」を鎌倉に運ばせ、目を通していたという。 #鎌倉殿の13人
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軽くあしらわれる三善康信だが、実のところは幕府創世記の混乱も生き抜き承久の乱でも主戦論を支持する。気骨と体力のある人物であった。 #鎌倉殿の13人
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修善寺追放後の頼家の心境を語る史料は残っていない。 #鎌倉殿の13人
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トレンドに「ノリスケ出入り禁止」が入っていて、皆が「やっとか」とコメントしている。これまでノリスケはやりたい放題やりすぎた。
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長い間「入浴習慣と公衆衛生はローマ帝国崩壊と共に失われた」と考えられてきたが、最近では中世の人々は「健康と衛生の間のつながりを求めた」ために、様々な制約を受けつつも伝統は失われなかったと考えられている。石鹸の製造は、かつて「暗黒時代」と形容されていた中世初期に盛んとなった。
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中世に関する誤謬の一つに「中世人は不潔な環境でも平気だった」というものがある。むしろ病原菌などが未知だった時代、伝染病の流行は共同体の崩壊にも繋がりかねない危機だったため、古来より人々は可能な限り衛生的な環境を整えようと努力を続けてきたと考えるべきである。
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「中世に皿はなかった」論で「スープはテーブルの窪みに注いでそこから吸っていた」という説を目にしてしまったが、さすがに中世人を馬鹿にし過ぎではないだろうか。 (バイユーのタペストリーにも汁椀でスープを飲む人物が描かれる)