ゲームについて書いたものへの感想は、とてもありがたく読んでいるものの、ひとつひとつはお返事していないのですが、これはびっくりしました。17年前に読んだものの影響で今年初プレイ。ぼくが言うのも変ですがありがとうございます。そして今も続く『FFXI』というゲームの強さにしみじみ感動します。 twitter.com/yagio_ffxi/sta…
サンドウィッチマン富澤さんの「ちょっと何言ってるかわからない」は相手の発言がわかるときに言うから面白いのに、我々が真似するときは意味不明な発言に対して使いがちで富澤さんのように使うと感じが悪くなる。つまり誰も富澤さんのように「ちょっと何言ってるかわからない」と言うことはできない。
ある分野に関してすこしはできるようになったかなと思っても、ほとんどのことに関しては徹底的に無力だと思い知らされる。かと思うと、こんなことでいいの? ってくらい意外なことで頼られたりする。たぶんどんな人も無力で頼もしい。せめて港をいつも開けて、その無力と頼もしさを貿易しよう、友よ。
きれいなことばと運びで文章を書くと、読む人はその文章に安心して監視の姿勢をゆるめることができる。相手にくつろいでもらったなら、書き手はその余地とまっとうな流れの中にするっと少し変な感じを組みこむことができる。それが文体というもので、つまり自由に表現するにもまず礼儀が大切だと思う。
ふだん語らない人が勇気をもってしゃべりはじめたときには、それを尊重すべきなんだ。その話で思い出した自分の経験をしゃべったり、気の利いたつっこみで空気を変えたり、上手に引き取ってまとめたりしなくていい。ゆっくり聞こう、ふだんイニシアチブを取りたがらない人がいましゃべってるんだから。
好きなことと得意なことは似てるようで違う。好きなことははじまりに爆発がある。思いついて最高の気分で取りかかってだんだん冷めていく。得意なことは最後にうれしさがある。手渡すときに相手がよろこぶ確信があって仕上げるときはわくわくするけど、取りかかるときは他人事のように淡々としている。
7月11日は、岩田聡さんの命日です。本を出してから1年が過ぎました。糸井重里も今日の原稿で書いていますが、まだまだ、声が聞こえるようです。私たちが憶えていれば、岩田さんはいなくならない。明るく思い出そう。 #岩田さん 1101.com/books/iwatasan…
これは、24時間で消えないほうがいいね。でも、だからこそ消えるのかもしれない。 24時間で消えるnote〜一世一代の大告白を受けた〜|岸田 奈美 note.kishidanami.com/n/n0b2033a6652f
ソチ五輪の浅田真央さんのあのフリー。トリプルアクセルに向かう瞬間と全部が終わった直後。6年も前なのに、あの夜に心を飛ばすとまだ涙が出そうになる。そしてレベルは果てしなく違うけど、自分が何かに立ち向かうとき、この4分間を思い出すと、乗り越えていこうという勇気が湧いてくる。 #mitazo twitter.com/1101complus/st…
子どものときに言われた「下手だな」のひと言が可能性を大きくせばめるという話を聞いて本当にそうだよなぁと思うと同時に大人もそうだよ、と思う。一回の失敗や失笑で「向いてない」と大人はあっさりあきらめる。交渉、文章、管理、発表、創作…やってるうちにうまくなるものが実はたくさんあるのに。
ゲームタイトルの表記にやたら正確なために犯人がゲーム雑誌の編集者だとばれるミステリーはどうか。 「しかしこの男、助詞のつかい方とか超適当なのに、『MOTHER』はかならず全部大文字だし、スマブラの一作目には絶対『ニンテンドウオールスター!』を頭につけてるんですよ。変だと思いませんか?」
平野レミさんがどんどん語る和田誠さんのこと。第1回目から、とても明るいのに泣きそうだ。 1101.com/talk_about_mrw…
ダンシングきつねの魅力に関しては、まずこの動画を見てほしい。 twitter.com/1101_nagata/st…
夜、鬼滅の最終巻をまず娘に渡し、娘が部屋で読んでる間に前巻を読み返し、やがて娘が来て無言で最終巻を差し出すので受け取り、読んで胸いっぱいになって部屋を出ると気配に気づいた娘が部屋から出てきて、深夜の食卓で二人で最終巻のあちこちを開きながらあふれる思いを語り合う。忘れられない夜だ。
同じく「カメラマン座談会Numberのスポーツグラフィック」より、第7回「浅田真央だけを照らした光」をどうぞ。 いや、やっぱり、真央ちゃんのいい写真がついたツイートのほうがわかりやすいかなと思って。 1101.com/n/s/number1000…
いまさらカルビーポテトチップスうすしお味のおすすめをするのもどうかと思うのですが、今年の「新じゃが」、めちゃめちゃおいしくないですか。いまお店に並んでると思いますので、ちょっと食べてみてください。新じゃがマーク付のやつです。あ、でも、期待し過ぎないでね。
去年はじめてほぼ日手帳を毎日きちんと日記的につけたが、続いた理由のひとつが「寝マーク」の発明である。これは眠くて眠くて自分の書く文字がわけわからん、というとき翌日に持ち越すのではなく「寝」と書いて終わらせる超法規的記号である。よって「寝」の字そのものが判別できないが、それでいい。
去年の夏、あるほぼ日に若い漫画家さんからメールがありました。難病を患い、通常の連載ができず、発表の場を求めての連絡でした。ほぼ日ではお役に立てなかったのですが、その彼がYouTubeに自分の場所をつくりました。気持ちを振り絞る真っ直ぐな挨拶をぜひお読みください。 youtu.be/5enQZGKNvbk
レジでクレジットカードの暗証番号を打ち込むときの店員さんの「私は決してそれを見てませんよポーズ」に代わるシステムなのか装置なのか様式なのかともかくなにかを発明したらノーベルお買いもの賞がもらえるのではないか。
え、どうなってるんだ? とわざわざ近くまで見に行った銀座並木通りのルイ・ヴィトンのビル。ほんと、どうなってるんだ。
いい友だちは言葉や行動じゃなく存在そのもので自分を引っ張ってくれる。励ましたり諭したりとかじゃなく勝手にこっちがしっかりしなきゃと思う。そして友だちがいい仕事をすると誇らしさと羨ましさと不甲斐なさで健全に混乱し、曖昧だった動機が再起動する。いい友だちはたのしさと緊張を両方くれる。
ほぼ日の会議室には、ソーシャルディスタンスを保つため、ところどころの席にどせいさんのぬいぐるみが置いてあるんですけど、帰り際に会議室をふとのぞいたりすると、こんな感じで独特の気配を発していてドキッとします。さすがの存在感だ、どせいさん。
身長が同じくらいになってきた高校生の息子が、週末になるとぼくのクローゼットから気に入った服を適当に選んで着て出ていき、帰ってくると当たり前のように元の場所に戻して、「父サブスクに加入した」などと言う。定額料金払ってないだろ。
判断力が問われる。
公園のなかの歩道を通っていると曇天に雷鳴が轟き大きな雨粒がぼたぼたと落ちてきてのんびり歩いてた人たちが散り散りに走り出す。ちいさな男の子が「ぼく、雨がふりだしたの見たのはじめて! 雨がふりだしたの見たのはじめて!」とうれしそうに叫びながらまだらに濡れたお父さんの背中を追いかける。