高千穂遙(@takachihoharuka)さんの人気ツイート(古い順)

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押し入れ片づけてて、とんでもないものを見つけてしまった!(棒)
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むかし、大友克洋さんと一晩、修善寺の旅館にこもって「クラッシャージョウ映画版2」の企画書をつくった。 大友さんが作品冒頭の絵コンテを描き、マーカーで着色して、サンライズに渡したんだけど、話は立ち消えになり、いまはもうその大友さん直筆の絵コンテや企画書がどこにあるのかもわからない。
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企画書って、死屍累々なんです。前にエッセイで書いたかもしれないけど、「ゼロテスター」が39話で終わりそうになったとき、続行したかった会社(当時は東北新社サンライズスタジオ)は最悪でも新作でその放送時間帯を確保しようと考え、手塚治虫さんに協力を依頼しました。つづく。
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練馬の旅館に一晩だけ手塚さんを呼び、企画書をつくるべくストーリーをつくってもらった。そこにわたしが呼ばれ、相手役を頼まれたんです。話を聞きつつ相槌を打ったり、詳しい説明を手塚さんに求めたりするという任務。即引き受けて、飛んでいきました。つづく。
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夜ようやく旅館にやってきた手塚さんは、いきなりストーリーを語りはじめたんですが、こちらの反応がいまいちと見ると、すぐに「じゃあ、べつのやつ」と言ってつぎつぎと新しいアイデアを繰りだしてくる。それが一晩中。朝までにでてきたストーリーは10本以上ありましたね。つづく。
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わたし個人の感想ですが、そのうちの半分以上が思いつきレベルの、ちょっとそれはという内容。数本が並クラス。でも、2本は間違いなく、完成したら傑作になるアイデアでした。それらのネタはすべて録音され、スタッフがスタジオに持ち帰った(はずです)。つづく。
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で、どうなったかというと、「ゼロテスター」は無事に続行が決まり、40話から「ゼロテスター 地球を守れ!」となって、手塚さんのだしたアイデアは全部没になったのです。いまは、その録音テープがどこにあるのか、っていうか、そもそも保存されているのかどうかもわかりません。つづく。
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ちなみに、そのアイデアですが、手塚さんは1本たりとも漫画やアニメにしていません。完全に失われました。その作業に立ち会ったわたしは、手塚さんのすごさを目の当たりにして圧倒されましたね。あんな人は、もう2度とあらわれないと思います。以上、企画書死屍累々の話でした。(^^;
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行方不明といえば、河森正治監督が最初に切ったコンテ。「クラッシャージョウ」のとき、コルドバが登場するシーンのコンテを見て、河森くんが「デザイナーとして見せ方にちょっと希望があるんですが」と言ってきた。「どういうふうに見せたいんだ?」と訊くと……。つづく。
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「頭の中にはあります。絵で描けと言われたら描けます。でも、言葉では説明できません」と応じた。わたし、それ聞いて「もしかしたら、こいつって映像作家としてすげーんじゃない?」と思い、「コンテには切れるか?」と尋ねたの。つづく。
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そうしたら「切れます」と断言するから、監督の安彦さんのとこに行って、「河森がこんなこと言っている。そのコンテをすごく見たいから、許可してくれ。で、よかったら、使ってくれ」と、けっこうむちゃなお願いをした。そしてら、さすがは安彦さん「いいよ」と快諾してくれた。つづく。
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で、河森はコンテを切って持ってきたので、それを安彦さんに渡した。いやもう実に斬新なコンテだったなあ。でも、結論から言うと、没。安彦さん曰く「なるほどと思うけど、これは他のカットと違いすぎる。採用したら、ここだけ浮いてしまって、作品全体の統一感が損なわれる。だからだめ」。つづく。
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たしかにそうだね。まさしく作品を統括する監督の意見である。かくて、河森くんの初コンテは没になった。この前、河森正治展があったとき、その没コンテも展示されているかなと思ったら、なかった。河森くんに訊いたら、「そんなこと、ありましたねえ」と忘れていた。つづく。
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肝腎のコンテの原画は「どこにあるかわかりません」との返事。これはサンライズを通したものじゃないから、サンライズにはないはず。安彦さんも原画は持ってないと思う。となると、河森くんに戻したか、ぬえにあるのかだが、ぬえにはないらしい。というわけで、これもまた行方不明なのである。(^^;
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当時、河森くんがやりたかったことは、マクロスにすべてぶちこまれているはずですよ。その斬新なコンテを最高の形で映像化してくれる板野さんというアニメーターにもめぐり合えたし。才能は、こうやって表舞台にでていくんですね。
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原画や資料は、わたしが預かっていれば残るんです。おたくだから。 永井豪ちゃんの幻のデビュー作「GO! GO! スイート」も、わたしのとこにきていたから無事、ダイナミックプロに返却できました。どなたかの作品が落ちていたら、掲載されてデビュー作になっていた作品です。落ちなくて幻になったの。
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噂の(おい。(^^;)河森くんがデザインしたガレオンが、ハセガワから7月に販売されるそうです。よろしくお願いします。
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街頭インタビューで「これ以上、何をすればいいのか」と言っている方に、「人混みに行かない。電車、バスに乗らない。外では可能な限り口をきかない。外食をしない」と書かれたステッカーをつくって渡すというのは、どうなんでしょうね?>東京都。大阪府。#不要不急の会話を控えよう
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細野不二彦くんがビッグコミックオリジナル増刊号で、「1978年のまんが虫」という自伝的漫画を描いていて、ぬえの4人というがでてくるんだけど、あんたはいるのと知人に訊かれた。読んでないから知らないのだが、そのカットだけチラ見したら眼鏡をかけていない。だったら違うんじゃないかな。つづく。
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ぬえでは、わたしはデビュー屋をやっていた。指導はしない。指導担当は細野くんなら松崎くん、河森くんなら宮武くん。で、河森くんの場合、サンライズから「ザ・ウルトラマンってアニメをつくるんだけど、メカデザインやってくれる?」って打診がきた。つづく。
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それで宮武くんにスケジュールを訊いたら「1ミリも隙間なし。りーむー」という答えが返ってきた。「じゃあ、河森にやらせよう。この前ちょっと絵を見たら、もうそこそこできてるじゃん」と言ったら「だめだめ。まだプロのレベルじゃない」と宮武くんが主張する。つづく。
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「いやいや」と、わたしは反論。「指導する側は判断が厳しすぎる。あの絵なら、あんたがゼロテスターやったときよりうまいよ。やらせちゃおう。だめだったら、あんたが尻拭いすればいい(←暴論?(^^;)」。これで、宮武くんも折れて、河森くんはメカデザイナーとしてデビューとなった。つづく。
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その後の河森くんの仕事は、みなさんご存じのとおりね。細野くんは、ソノラマから「クラッシャージョウを漫画化したい、ついては誰に描かせましょう」という相談があった。それで松崎くんに「細野でどうかな?この前ちらっと絵を見たら、行けそうな気がしたんだけど」と言ってみた。つづく。
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そしたら、松崎くん「まだ早い。カットが描けるようになったばかりだ。いきなり長編で漫画家デビューなんて無謀だと思う」と反対した。「いやいや」とわたしは反論。「わたしの原作なんだから、不出来でも困るのは、わたし。他に迷惑かからないからいいじゃん(←相当な暴論?(^^;)」。つづく。
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わたしは、基本的に小説と漫画、アニメなどはまったく別物だと思っている。構成も物語も。小説で書いた作品は、文章で最適化されているから、そのままでは絶対に他ジャンルに持っていくことはできない。漫画化とか映像化するのなら、基本設定以外は1から再構築してほしいと言っている。つづく。