「ネット・スマホ・SNSは悪いものだから、その悪を強調するためになら多少の嘘をついても良いんだ」という発想に基づいて作られてるわけね。しかもNetflixで流すという自己矛盾ぶり。 何なんでしょうね、イデオロギーの病に陥っているか、何も調べられない頭の悪い人が作ってるか以外ないよね。
環境省の資料では「カトラリー」よりさらに総重量の少なかった(=優先度の低かった)レジ袋が血祭りにあげられ、グリーンピースすらその効果の薄さを認めてるという、本当に環境対策として意味のない政策が現在も継続中なので、反権力を標榜するなら追求していただきたい。
こういう態度の先に待っているのは、「映画でネオナチを演じていた白人俳優をぶっ殺したが、反差別行為だから無罪」みたいな世界な、理性とも知性ともほど遠い、正に「中世」の世ではないのか。
1990年代の初頭は萌えやBLという言葉自体が未だなく、この後ギャルゲーやBL誌の発展にともなってはっきりジャンルとして確立していったけど、では互いに敵視していたかというと、正直互いに興味がなかったと思うよ。我々は好きなものの話で忙しいので。
ある種の表現を規制しろ論に対してよく繰り出される「じゃあ○○は良くて××はダメなんですか」という論法は、「規制しろ」と言ってる相手に対して「考察の幅を広げて規制しろ論を再検討しろ」という意味であって、「○○と××を規制しろ」と言いたいからではないだろう。
意外に思われるかもしれないけど、表現の自由周辺について理路として組み立てられる部分はまず現行憲法の時点でほとんど終わっているし、自主規制という課題も半世紀前には出揃ってて、細かな課題は次々出てくるけど1970年以後に根本的な論点は出てないと思うよ。同じ話が別の形で繰り返してるだけで。
角川のマンガやラノベは大手出版社から溢れたオタク層とかマニア層といったところに対して特に手厚くやってきたわけである(大衆向けの超大作も頑張ってはいたが)。で、そのお得意のオタク層・マニア層がネットに巻き取られていく時代に何をするのか考えろと任された川上・夏野の回答、惨憺だなあ。
若手でこれからフェミニズムを組み直そうという真面目な人達は、今までの「フェミニズム」が、「まあまあ無学な女共の言うことじゃないですか」という家父長制の中での蔑視を前提として受容され成立していたのではないか、くらいから疑って組み立て直して欲しい。 twitter.com/Kouhei_Takeoka…
「私は地方議員なんで立法なんかしてません」と言ってた地方議員をご記憶だろうか。京都市営地下鉄を燃やそうとしていた。
「罪のない者だけが石を投げよ」と言われたら2000年前の人でも「そう言われてみると自分にもなぁ……」と自省して思いとどまることができたのに、いまのTwitterで「ヤァヤァ正義は我に有り!」になって延々と他人に石投げ続ける人達、さては2000年くらい前から来たローマ帝国市民だな?
日本が先進国じゃなくなって云々言う人は常におるもんだが、俺の中での先進国の定義は「ウォシュレットが社会の標準装備」なので、日本の地位は当面揺るぎない。一方で日本の衰退を感じるのは、お菓子などのビニールが開けにくくなってきてるところ。単にグローバルスタンダードに近づいてるんだけど。
いや同人誌即売会でも雑誌でもゲームでも、なんである種の業界内部では、同意できる表現の自主規制ルールが作れるかというと、業界の人間ならそのルール決定や運用に意見を言えるし関わることも出来るからだ。自分が欠片も制御を握れない団体や個人相手に、検閲を許すわけがないだろう。
営利企業としてやればいい事業をNPOとしてやるのはなぜですか、ってのはお金を出す側なら当然出てくる質問だし、銀行の人に同じこと尋かれたら笑顔で取り繕うだろうに一般人相手だとムッとするような広報の人間は二流だなと思いまして、私と同行者は2人ともかなりネガティブな評価をしました。
「エロい表現だけ守ろうとしやがって」というのは「エロのような低俗な表現を守ろうとするバカ共め」という悪口以外の意味があるの? エロだけ守って何が悪いのか、言語化してみたらよかろう。「エロ表現より○○が高尚なのに」と言いたいなら、その○○に当てはまるものを挙げてみるがよろしかろう。
まあもし「これが規範です」などと示したら内閣府主導の検閲という中央官庁にとって絶望的な状況になるわけだから口が裂けても認められるわけなくて、そこんとこは何だかんだ言って一定以上の知性がベースになってるから仕掛けられる横綱相撲という印象ではあります。
確か湯浅誠だったと思うけど、市民運動から政権に入って中央官庁に出入りして、やべー中央の官僚って本当にマジモンで優秀じゃんってとこに気づかされて考え直したみたいなログ書いてたと思うんだけど、そういうインテリ主導であった2010年代から一段とギアが変わってるなとは思ってる。
正直なところ、GAFAより優れたプラットフォームを作ってやるぜという経営目標はどう考えても無理だし、今になってもまだその判断の出来ない方が経営者としてヤバかろうという理屈も、まあ分かるわけだが、とはいえ、じゃあそれが無理だとしても、達成すべき目標が「もうGAFAに合わせよう」でいいのか?
Netflixの『エミリー、パリへ行く』。アメリカの広告業界からパリへ来たエミリーが米仏でのポリコレの違いを体感するシーン。 「男性の眼差しの何が悪い? マン・レイやコクトーを知らないのか?」 「いや、アメリカで受け入れられないかもしれないと…」 「私は女なの。フェミニストじゃなくて」
オタクは信じたくないかもしれんが、戸定梨香を燃やしたアレはまだいい方だよ、分かりやすくて。彼らは一応文章を書いているから、本人たちの理屈の破綻や蔑視が周囲にも分かる。普通の差別ってのはそうじゃないんだよ。「キモい」って感じた人や表現は、騒いだりせず別の理由をつけて穏便に排除する。
いまLGBT関連を一番推してるのは共産党みたいだが、あの政党が「同性愛は性的退廃ではない」と認めたのは2020年だし、さらに問題なのはその遅さではなく、「性的退廃」という概念を未だに捨ててない点である。婚前交渉も「変態性欲」だそうで、本当にそんな正しい性欲・悪い性欲の二元論でいいいのか。 twitter.com/mishiki/status…
少し真面目に考えると、これは「職業選択の自由」と「居住移転の自由」によって相当の不満が吸収されているのではないか? みんな東京へ来て好きな仕事に就けて趣味と仕事の境目が曖昧になっていくと、賃金の(実質的な)低下が不満として浮上しにくくなる。だから崩壊が先延ばしになる。 twitter.com/makkuro_ankoku…
「私、令和3年製の新500円硬貨!! こっちはお釣用500円玉に紛れてた2ユーロ硬貨!! かなり似てるの!!」
だいたい「ホモソーシャル」の用法おかしいだろう。「男社会での言葉」くらいにまで多少譲って理解してやるにしても、「チンチンということ」が権力の発露ではなかろう。「チンチンと言ったら恥ずかしい」「まんこと言ったら恥ずかしい」という羞恥を維持している仕組みこそが「権力」ではないのか。
ASD気質という表現が妥当なのかはよくわからないんだが、穴埋めに近い形にまで単純化したFizzBuzzを数百人に解いてもらった俺の経験からして、この手の、問題をアルゴリズムに落とす能力がある人って、人類の10%を割り込んでいると思う。そもそも、プログラムに向いている人類は少ない。 twitter.com/Big_Half_F_Ric…
我々は社会全体で殺人者を切り捨てるのだ、という覚悟を持つ合意が取れるなら、まあそれはそれでもいいと思うのだが。殺人犯でも包摂せい、表現はパージせいじゃあなあ。