映画館での鑑賞は暗がりのなかで自由を奪われ、映像を観る行為に拘束されることであって、とても健全な精神状態でなければ耐えられない。それでも映画を観たい/観なければならないときもある。映画館の重要性を唱え続けると同時に、多様な鑑賞方法による映画の受容が価値の優劣なく認められてほしい。
「映画館で観なければ映画ではない」といった原理主義的言説は、私のように精神的な問題を抱える者だけでなく、経済的な問題や、地方と都市部における文化的資本の格差の問題などを抱える者の喉元も苦しめるはず。息苦しい。できるなら映画は映画館で観たい。でももうそんな言説に縛られたくもない。
『私の少女』がAmazonプライムビデオで見放題配信がはじまったとのこと。 amazon.co.jp/gp/video/detai… twitter.com/tal0408mi/stat…
然るべき相手を見つけて結婚して子を産むのが唯一の「正しい」道であるかのようなこの社会で、そこに乗っかれずにただ年を重ねていきながら女がひとりで物を書いていくことは、それだけでつねに逆風に立ち向かっているほど苦しい。絶望に屈せず、呪詛にのまれず、なけなしの気力を振り絞るのに精一杯。
私が一人で在るということの孤独を語ると、「たとえパートナーがいたとしても結婚していたとしても子供がいたとしても人は孤独だよ」というようなことを時折言われるが、正直なところ、「孤独の質がまったく異なるので、その孤独についてはいま被せてきてこないでください」としか思わない。
ある男性の映画ライターが「自分のジェンダーを気にしたことがあるか」と問われて、「ない」と答えていた。わたしは仕事をしているなかで、ジェンダーの問題がつねに纏わりついて気にせずに済んだことなどこれまで一瞬もなかった。最近「純粋に映画観て書いてたいよね」と人に言われて胸が苦しかった。
『はちどり』がAmazonプライムビデオにて見放題配信が本日より開始。 amazon.co.jp/gp/video/detai… twitter.com/tal0408mi/stat…
8/19公開『セイント・フランシス』 34歳の女性がレズビアンカップルのナニーとして働くひと夏が描かれる。中絶手術後の子宮マッサージ、卵子凍結、月経カップ…映画でこれまで言及されてこなかった身体にまつわる言葉が飛び交う。主演も務めたケリー・オサリヴァンの繊細で軽やかな脚本が素晴らしい。
#LesbianVisibilityDay #レズビアン可視化の日 ということで、おうちで観られるL映画まとめ記事に5作品追加 🎞 note.com/tal0408mi/n/n3…
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つまらないことだけど、「友情を超えた感情」で「恋愛感情」を指す文章を読むたび「超える」にどことなく友情を下位に置いて恋愛を上位に見做すようなニュアンスを感じ取ってしまって微妙な気持ちになる。友情も恋愛も等価なのだから、それなら「友情とは別の感情」とかの表現のほうが好き。
性加害で告発された映画監督の作品について話すラジオで「清廉潔白な人の作品しか認めないというのもね」といった発言が聞こえてきたけど、それは「性加害」の論点を「清廉潔白」などと抽象的に敷衍させた言葉でそうした監督や作品に厳しい態度をとることを非現実的なように思わせる語り口じゃないか。
少なくともそこを着地点にして話を終えるべきではないだろうと思った。「作品に罪はない」に加えて「清廉潔白」もそれが含まれる語りには慎重になってしまう。
チェン・カイコーによる中国クィア映画の名作『さらば、わが愛 覇王別姫』が日本国内での劇場上映権が切れるにあたり、35mmフィルムでの日本最終上映を6月3日(金)からBunkamuraル・シネマで実施するとのこと。故レスリー・チャンの熱演と流麗な映像に魅了される。 bunkamura.co.jp/topics/cinema/…
「クィア映画」は単に「同性愛映画」の別名ではない。……から説明し始めようと思ったが、「誰かを愛することに性別は関係ない」から「そういう映画ですとカテゴライズする派に嫌悪感」とまで言う層に何を言っても伝わらない気がしてしまってやめた。カテゴライズを「理解あります!なふり」って……
是枝裕和『ベイビー・ブローカー』試写。赤ちゃんポストを巡る物語のなかで、いわゆる血の繋がった父と母と子が成す伝統的な家族の在り方とは異なる「家族」に対する可能性と希望を提示する。そこには同性愛や女性差別の問題も繊細に織り込まれてもいた。難しい問題であっても、対話を続けていくこと。
7/15公開『戦争と女の顔』 「戦争は女の顔をしていない」を原案としたロシアの戦争映画であり、トラウマを巡って結ばれうる元兵士の女ふたりによるクィア映画。女の顔に戦争の惨さが刻印され、血と生の物語が赤と緑のミザンセーヌに仮託された絵画のような照明と色彩は『燃ゆる女の肖像』も想わせる。
7/22『映画はアリスから始まった』試写 "世界初の女性監督"であるアリス・ギイ。男性の歴史家が書いた映画史において彼女の名前は透明化され、或いは別の男性の名前に書き換えられてきた。この映画が実践しようとしているのは彼女の再評価のみならず、ひいては「映画史」の捉え直しそのものでもある。
先日行った雑誌の座談会の冒頭で参加者の一人が、「「クィア映画」や「ゲイ映画」ではなく「恋愛映画」でいいんじゃないかと前に言ったが、既に存在する人々を透明化しようとする力の強さに危機感を感じ、可視化することへのリスペクトが足りなかったと自分の乱暴な言い方を反省した」と話しはじめた。
それは大阪の訴訟や『バズ・ライトイヤー』の上映禁止など昨今の性的マイノリティを巡る諸問題に根差したものだったらしいが、考えが変わったこと、少し前の自分が言っていたことを自分自身が否定すること、そしてそれを臆せず表明する瞬間に立ち会えたことに対して心のなかでそっと深い感銘を受けた。
この辺りは『ELLE』の記事にも、ほんの触りを書いた通り。「人間」がすなわち「男性」だけを含意してきたように、不均衡な力学が作用するこの社会においては、マイノリティ属性を名指す言葉を掻き消すことは、必ずその存在自体を掻き消すことにも繋がりえるだろうと考える。 elle.com/jp/culture/mov… twitter.com/tal0408mi/stat…
タナダユキ監督作『マイ・ブロークン・マリコ』(9/30公開)試写。この世を去ってしまったマリコの遺骨を実家から奪還したシイノが旅に出る。面倒臭いあの女のことをもっと愛してやればよかったと彼女は走り、叫び、涙を流す。これは暴力へ反旗を翻す復讐譚であり完全に女と女のラブストーリーでもある。
レインボー・リール東京で、2023年に公開される映画『エゴイスト』(@egoist_movie )の主演の鈴木亮平さんと宮沢氷魚さんのコメント動画と予告が流れて、鈴木さんが「愛の物語であり、ひとりのゲイの物語」と言っていて、予告の映像の感じもすごく良かったので期待。 egoist-movie.com
トランスジェンダーのローラが母を亡くして対立している父と旅に出る『海に向かうローラ』(2019)。ローラと理解に苦しむ父の対話は、そのままローラと観客との対話にもなってゆく。主演は実際のトランスの俳優。EUフィルムデーズで本日まで無料配信しています。観てください。 eufilmdays.jp/lineup/entry-1…
「フェミニズム的なテーマを前面に押し出していないから素晴らしい」というような論調は問題が根深く、「フェミニズム的なテーマを前面に押し出していて素晴らしい」とも言っていかなければいけないと思う。前者は作家に対してフェミニズムを描くには「配慮」が必要だと抑圧することにもなりかねない。