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スーパーマンの件、今テレビでバイセクシュアルのキャラクターを入れることに「そこまでやる必要があるのか?」とコメンテーターが言っていたけど、こちらからしたら現にたくさん存在している人を表象から一切排除してきたことを「そこまでやる必要があるのか?」とずっと思ってきたんだけどとなった。
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本来なら現実に存在している人がそのまま表象に反映される状態が正しく「自然」で、支配的なイデオロギーのためにある特定の人たちが表象から排除されている状態が「不自然」であるはずで、後者に働く力に対して「そこまでやる」と批判しなければいけないのに、寧ろ前者を特異な状態だと認識している。
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しかもその後に聞こえてきたのが「子供たちが混乱する」……こんな強制異性愛社会で日々ヘテロシャワー浴びせられつづける方がよほど混乱するから……
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日本の映画会社は特にジェンダーや性的マイノリティに関する映画を扱う場合、きちんと最初から監修を入れるなどしてPR段階含め問題が起こらないようにしてほしい。何かあるたび声をあげてくれている人達の労力は無償ではないし、一度世に出て差別や偏見が助長されれば謝罪して済む問題でもないと思う。
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「性別は関係ない」とか「普遍的な愛」とか散々言ったのと同じ口で、「たかがピアス一つ」で「女性的」とか「男女の愛に見える」とか言ってしまうの、二枚舌にもほどがある。これまでどれだけ重要な事柄がそこにあったとしても、それらを捨象して、無化してきたというのに。
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『最後の決闘裁判』で、「被害者女性はなぜ本当のことを夫に言ったのか、普通は隠すだろう」と書かれた批評を見てしまった。そういう性犯罪に対する抑圧的な価値観が今まで女性たちの口を封じ込め、泣き寝入りを強いてきたのではなかったのか。だから映画は「黙らない」態度で真実を話す女性を描いた。
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こういうの見てしまうと『プロミシング』『69歳』然り直接描写を避ける潮流が一部あるとはいえ、やっぱり『最後の決闘裁判』の場合、性暴行描写を直接描かなければ「アダム・ドライバーのこと美男子とか言ってちょっとは気が合ったんじゃないの?」みたいなこと言い出しかねなかっただろうなと思った。
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すでに他にも指摘してくださっている人が出てきたので明言しますが、この投稿の該当の批評は下記に掲載されたものです。プロの評論家によって書かれてることに、より深刻さを感じました。できれば批評に反論はしたくないですが、女性蔑視的とも言えると思います。 twitter.com/tal0408mi/stat…
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12/4から映画を学ぶ学生が主催する「ジェンダー・ギャップ映画祭」(@nua_eigasai2021)が開催されます。『はちどり』『RBG 最強の85才』『ハンナ・アーレント』など世界の女性を描く映画が上映予定。これからを担う学生自身が選出した作品群から問題意識が垣間見えてきます。
☞nichigei-eigasai.com
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「たかがエンタメ」「たかが映画」「たかが娯楽」、何か言うたびにこういった言葉でつねに問題を矮小化されてしまう。冷笑的に軽視できるのは、表現の暴力性に深く傷つけられたこともなく、誤った表象によって生を脅かされる属性でもなく、そうした他者への想像性がない自己を顧みることもないからだ。 twitter.com/hirochi13desu/…
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『彼女が好きなものは』TIFFの頁でも「腐女子」ではなく「BL好き」表記。製作サイドから『BL進化論』や『BLの教科書』等の基礎文献に言及しながらチームに知識を共有することに努めたと聞いて、BLは学問的に学ばずとも勘や勢いで何とかなると軽視されがちなので嬉しかった。
2021.tiff-jp.net/ja/lineup/film…
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「マルグリットは性行為の最中、呻くだけ。終わったあとも泣くだけ」「夫への告白の真の理由がわからない〜」
「ル・グリは高貴な人だったと思う。彼は、敗北を選ぶことで愛も名誉も守ったのだろう」
性暴力事件の被害者を下げ、加害者を上げる酷すぎる『最後の決闘裁判』評。
haradafilms.com/diary/harada_d…
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はっきり言って全く意味がわからない。まさか被害者の告発に、「知性」や「品格」が必要だと言いたいの?そしてそれらがなければ、被害者の「告発」は「告発」に値せず「無暴」と?被害者の「告発」を、だれが、なんの権利をもって、審判することが許されるというのか。
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日本の映画業界、映画を撮るべきではない人間に大きな予算のかかった映画を撮らせてしまっている問題についてもっと深刻に考えて
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現状、日本で女性の映画監督の方が優れた作品を撮る確率が高いことは、単に「才能がある女性が多くて凄いですね」という話ではなく、それだけ門戸がまだまだ狭く厳しいということを暗に物語っていて、極論を言えば女性の映画監督がメジャーシーンでバンバン駄作出し始めてからがようやく本番だと思う。
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本日発売のキネ旬最新号にて、評者より「前号の『最後の決闘裁判』評で、性被害への配慮を欠いた表現を取ってしまったことを深くお詫びします」と謝罪が掲載されています。批判のみが大きく広がるのでなく、その後の評者の言葉まで聞き入れられてほしいと思うので、続報としてこちらの投稿に記します。
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併せてウェブ版では、編集部の「筆者の意向を踏まえ、内容を一部訂正しました」の註釈のもと、表記が「お姫さま」→「マルグリット」、「旦那様」→「夫」に変更され、「普通隠さないかな」の文言は削除されています。
kinenote.com/main/feature/r…
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映画業界の末端にいる者として言いたいんですけど、こないだの『最後の決闘裁判』といい、今回の『きのう何食べた?』といい、差別的発言をした人間を擁護する映画人がいすぎでは。指摘してる人たちの労力を増やしてるし、起きてることの根に少なからず自分自身が絡んでいるという意識が希薄だと思う。
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特にジェンダーやセクシュアリティに関わる映画の作り手や送り手が差別的言動や振る舞いをする度に、寧ろ業界外の性的マイノリティの当事者や普段からそういった問題にコミットしている人達ばかりが声をあげている現状だけでも由々しき問題なのに、そこに対立構造を作りかねない事に加担してるの最悪。
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昨日TIFFで『ディア・エヴァン・ハンセン』を観た二十代の従姉妹が、内気な主人公の男性が周りに捲し立てられておどおどしてしまう場面で、劇場内に笑いが起きたのが居心地が悪かったと言っていた。わかりやすくいえば「非モテ男子」をみて笑うのに対して「もうそういう笑いは古い」と。成程と思った。
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私が最近Twitterで行った批判から、その批判を受け止めてくださった映画監督と対談してきました。近いうち記事として出ます。映画監督と批判する評論家という陥りやすい対立構図を切り崩し、「批判」によって分断されずにむしろそこから対話し、連帯しえる共闘可能性を示せるような気がしています。
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かなり前にアップした、配信中のL映画をまとめた記事を未だにみてくれている方がいるみたいなので、近作の『ライカ-Laika-』『さよなら、私のロンリー』『ハピエスト・ホリデー』『ワールド・トゥ・カム』『燃ゆる女の肖像』『アンモナイト』を新たに追加しました。
note.com/tal0408mi/n/n3…
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何度も同じこと言うけど、映画において登場人物の非規範的なセクシュアリティ自体やそれに関わる部分を「ネタバレ」とすることについては、もっとセンシティヴに考えるべきだと思う。その「ネタバレ」=「驚き」や「快楽」は、異性愛主義社会を前提として成り立っているギミックにほかならないから。
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例えばその映画において、ある人物がレズビアンだと伏せられた状態から劇中でそれがのちに明かされるなど「ネタバレ」扱いされていたとしても、以上の理由などから、その無邪気で悪意のない「ネタバレ」に抵抗し、いずれ無くしていくためにも、私ははっきりとレズビアンだと言う。