76
77
江國香織の小説に「幼い頃に経験した最上の幸せとは違う幸せを選ぶ」という意味の表現で「枇杷の木はあきらめた」って一節があった
びわの木のそばで団欒した幸福の記憶から決別し、それを目指すことを人生から捨て去る一言だけど、印象的で離れない。誰しもがやっていることだろうし、普遍的に悲しい
78
大学が指導者に論文などの研究実績を求めるのは、僕や、あるいは僕をもっと極端にしたような、「それっぽい経歴があり、それっぽく喋る技術に特化した、習う側を満足させる能力だけが高い人間」を一定の節度のもと選別/排除するためなのだと思う。大学が大学であるために、だ
79
こういう「大学は分かりやすく役立つことを教えろ」系の記事を読むたび暗い気持ちになる
たぶん僕はそういう世界になれば仕事をもらえる。わかりやすくそれっぽく話すだけなら、大抵の大学教員より上手いから。でもそのとき僕が何をごまかしているか考えるとグロいものがある
weekly-economist.mainichi.jp/articles/20221…
80
初めて見る話題なので少し資料をあたって調べてみたところ、「行政・財政のエグい話」というより「環境工学・都市工学上の問題解決」の文脈がメインのようです。なんも知らんかった。結果「羅生門というよりシムシティだ」と感想が動きました。もう少し調べてみます。
81
「してる」じゃない「しようとしてる」だ、めっちゃミスった
82
京都市、火葬後に焼け残った銀歯の銀や金・プラチナ(たぶん結婚指輪)とかを売って一億円にしてるらしい。エグい。すごい。市ぐるみで羅生門の老婆みたいなことしてる
kyoto-np.co.jp/articles/amp/8…
83
尾崎豊の「15の夜」って今なら17か18になる気がする。下手したら21とかかもしれない。誰にも縛られたくなくて走り出して、自由になれた気だけする年齢にしては15歳ちょっと早い
84
勉強、読書、体操、ランニング、お絵かき、楽器の練習、散歩などすること自体はなんでもよく、「とりあえず何かしら活動しよう」というコンセプトだった。休みの日には10時、14時、20時にコーヒータイムがあった。割といいルーティーンだった
85
僕には「親に勉強しろと言われて嫌だった」系の思い出がない。うちは「勉強じゃなくてもいいから何かしろ」系の家で、20時になったら家族全員がコーヒーを一杯飲み、寝るまで各々好きなことをやる文化があった。いつか何らかの集団を率いることがあったら絶対パクると思う
86
多分世間で言われるほど「Instagramに載せるために遊んでる奴」なんかいなくて、「Instagramで周りが遊んでるのを見ると、自分が周りほど遊んでないことに不安になって、とりあえず遊びに行ってInstagramに投稿する奴」がいっぱいいるんだと思う
87
一定以上難しいことを言うと、「難しいこと言ってないで、感覚に任せて楽しくいこうぜ!」しか言わなくなる奴の、あの「分かることを諦めただけのポジティブ風シャットアウト」が嫌いなんだけど、誰かから見たら僕がそれをやってる瞬間も確実にあるのめっちゃ怖い
88
「尾道もじゃないか」というご意見を頂きました。尾道の夜景、知らん。坂多いまち全部言うな
89
「長崎もじゃないか」というご意見を頂きました。長崎の夜景の価値もぐんぐん上がっています。
90
「神戸もじゃないか」というご意見を頂きました。神戸の夜景の価値もぐんぐん上がっています。
91
円安によって日本国内のいろんなものの価値が下がっているが、函館の「100万ドルの夜景」のみ価値がぐんぐん上がっている
92
まあ、あの「胸揉みたい」は「導入でそんなストレートに言っちゃう?」「どういう漫画なんだ?」という不快感や違和感を与えることを意図したに決まってる部分なので、不快感自体が作者のてのひらの上だと思う。今いろいろ言ってる人の中にも、そのうちたまたま続き読んでハマる人もいるだろう
93
「焼肉食いたい」だと未熟さが表現できないし、デンジくんが太る。「ケーキ食いたい」だと日常感が出ないし、デンジくんが太る。「いっぱい寝たい」だと他者との繋がりたさが出ないし、デンジくんが太る
94
チェンソーマンのデンジくんの「胸揉みたい」が読んでない人・読む気ない人に色々言われてるけど、あれって性的な意味合いでのそれというより、日常生活の平凡さと卑近さと脆さ、成長する前の精神の未熟さ、他者との繋がりたさを集約した描写なので、何でもよさそうで他に置き換えるの困難だと思う
95
中学受験国語の参考書が親ガチャについて取り上げていた件、経済的に恵まれた子どもの方が、そうでない子どもより先に「親ガチャ」という概念を手にするんだというエグみを感じた
96
山口真由さんが「受験勉強は競争したい人に向いていて、知的好奇心のある人に向いたものではない」という旨のツイートをしていて、受験生の頃が懐かしくなった
僕は資料集を読むのが好きだった。だから知識は入っていたけれど、知識を試験問題的な採点基準に合うよう変換するのに苦労した記憶がある
97
小学3年時の担任が、絵を描くときに紫を使うと「子どもが使う色じゃない」と怒る先生だった。あんま意味わかんなかったけど、とにかく紫は禁止だった
ある日僕はぶどうを食べた。そのことを絵日記に描く際、一応全てマスカットとして描いた。人生で初めて「理不尽」を認識した瞬間だったかもしれない
98
友達が「もう俺はだめだ。将来を担保にし過ぎた。都合のいい将来への期待、予想を担保にして、辛い現実を耐えて生きてきた。でもいつまで経っても、担保にしたはずの将来が来ない。なぜ将来が担保になると思ってたのか、今はもう分からない」と言っていた。気持ちは分かるから物凄く沁みてしまった
99
花王メリットさんの失言、ノリがエイプリルフールだったのが気になった。「企業Twitter担当者は何かにつけてバズりたく、その日が何の日かを調べては小ボケでバズろうとしており、細かい判断力は失われている」的背景が透けて見えた。似たような企業アカウントの炎上は今後増えそう