平成の終わりに、松本死刑囚ら教団幹部の刑の執行があり、一応の区切りがついて、再び江川さんの仕事に注目があつまっているが、江川さんがオウム事件に関して今書く原稿も、本当に新聞記者らしくって、ちょっと感動している。彼女くらい有名になってしまうと、タレント化活動家化ご意見番化することも
あると思うが、オウムに関しては、本当に今も現役の記者なんだな。正義だとか、思想だとかではなく、取材をもとにした事実の積み重ね優先の姿勢から発する言葉は、いい感じに地味で誠実だ。平成という長い時間をかけて、命張って体はって事実を求めた記者という意味ではちょっと追随をゆるさない。
私はあこがれたし、取材の神様に愛されすぎていることに対して嫉妬もしたけど(記者が大事件においてよい取材を遂行できるのは努力や根性だけではなく、かなり運もある)、今はなんかまるで自分自身のことのような、みょうな感動にひたっている(なぜかはわからない)。
とあるメディアが、墨汁女子のことを取り上げようと考えたらしいが、大手メディアも報じてないし、現地の大手メディア記者も裏が取れない、というから、やめたんだと。まあ彼女自身も彼女の家族も、彼女を応援していた華涌もつかまったし、事実確認できる相手いないからね。
医者は体力勝負だから女子は体力ない分減点してよいという理屈なら、医学部試験に腕立て伏せとか懸垂とかフルマラソンとか入れるといいよ。
世の中は不条理で不平等だ。男女差、金のあるなし、容姿の美醜、”血統”でも歴然と格差がある。ある程度の諦観や妥協も智慧だと学ぶ。だからこそ、せめて未成年者の教育システムにおいては、人は生まれながらに平等であり、競争はフェアなルールのもとで行われるという建前を守り抜く必要がある。
やっぱり、 孟宏偉の失踪と 王健の事故死を関連づけて考える人でてくるよなあ。実際関与していなくても、それなりの情報を知っている可能性はあるしな。それより、彼にはパンチェンラマ10世”暗殺”の実行犯説があるんだな。そういう人が銭形の上司になれたというのがちょっと驚いた。
とあるフェミニストの記事を読んでいてふと思ったのだが、非正規未婚女性と非正規未婚男性だと、日本は非正規未婚女性の方が生きやすいよな、と非正規未婚女性の私自身が思うのだ。この生きやすさのおかげで私はフリーランサーの道を選ぶことができたし、姪っ子たちは卒業後やりたい仕事(続
やりたい仕事の夢を追って無理に就職することをなくフリーターの道を選べた。そもそも大学にまで一定演劇やら音楽やらアートやら、あんまり就職に役立ちそうにない学問を学びたいという希望を親が許したのは私や彼女たちが女であったからだった。
兄は考古学をやりたいといったが、考古学者になれる一握り以外は食うにも困るんだぞ、みたいなことを親戚中が言って諦めさせていた。私が男だったら絶対法学部行け、って言われただろう。だが、私は女の子だし、好きなことさせてやれ、みたいなことを父親に言ってもらったのだ。
役者になりたいとか、夢追い系フリーター系は確かに男子もいるが、その世界に飛び込むには男の方が覚悟が試されるし、抵抗が強い。若い女性(そこそこ美しければなお)の場合、いざとなれば結婚という道もあるしな、とか本人も親もどこか逃げ道を想定している気がする。もちろん違う人もいようが。
日本で女性が差別されているとか、国会議員が少ないとか、社長や役員クラスが少ないとかいうのは、おそらく、たいして地位も金ももたなくても、若い女性はさほどひどい目に合わないからだ。社会に居場所がなくて困る、ということがさほどないからだ。
社長のいすに座ろうと思えば、ライバルを蹴落とし、上に媚びを売るようなそれなりの競争を勝ち抜き政治を駆使する場面を乗り越えねばならないが、そんな苦労をしてまで、自分が社長にならなくても、社長になれる男と結婚していれば、内助の功を評価されて、社長夫人として社会的地位が与えられる。
女社長と結婚している無職男子が主夫として彼女を支えたからといって、社長の旦那として社会的地位が担保されるだろうか。されるかもしれないが、陰でヒモメンとか言われることの方が多いのではないだろうか。
この女性の方がより多く与えられている生きやすさやゆるさが存在していることを女性自身が自覚して、そんなものは不要、男と同等の競争社会上等だぜ、とタンカをきるか、社会全体が別に男は働かなくていいよね、ライオンもメスが狩りしているんだし、私が養ってあげるよ、と
男のゆるい生き方に寛容になるか(そうなると女はもっときりきり働かなくてはならないが)、そういう価値観の変化がない限り、女性大臣や政治家が増えるとか、女性社長や役員が増えるとか、ありえないとか思うのだが、どうだろう。
自分の人生を振り返ると、私はたぶん真面目に働けば、主夫と子供一人くらいは十分養えるくらいの仕事量はこなせたと思うのだが、そうするためには、嫌な仕事も粛々とせざるを得なかっただろうし、上司にもごまをすっただろうし、いくら退職金上乗せとかいわれても42才で会社退職とか決断できなかった
だから、こういう日本の女性に対する期待の薄さと表裏一体の、女性にたいする緩さ、甘さがあったからこそ、自分の生きたいように生きることができたのかな、と思う。日本のジェンダー格差順位が中国や韓国より低いのに、女性の幸福度が異様に高いのは、こういうことだと思う。
今日、中国の出版関係者と話した会話。福「中国の出版界、景気どうよ?」出「市場が急激に縮小中。一昨年1500冊の書籍出したが昨年は1000冊しか検閲通らんかったー。香港とか台湾関係者の本は新聞出版総署(宣伝部)だけじゃなく台弁(統戦部)にも回さなあかんし、やってられへん」
出「しかも国産コンテンツより翻訳もの増やすな、言われて。うちは7割翻訳もので食っていたから、厳しい」福「出版界だけ違うみたいやね、市場縮小。不動産も」出「不動産 はもう市場が消滅してるわ。不動産の値段は今は政府が決めた固定相場やで、事実上」
みんな会えば、モノ売れへん、市場縮小と嘆いていた。政府の市場干渉の度がこすと、ほんとモノか売れなくなってくんの。あと民営企業の締め付けがひどくて、モチベーションただくだり。単に産業構造の調整期とは言えない、と。米国貿易戦争のせいよりも、市場干渉など政策が経済減速の原因やと。
中国の体制の発言やモノの見方を正確に伝えようとすると、すぐ中京共の代弁者とか回し者とか言う人がいるが、相手が何を考えているかわからなかったら、こっちも手のうちようがない、とは考えないのだろうか。相手の思考を理解するということは、自分を守ることの最善の方法だよ。
新聞記者としてマフィアも人買いも墓荒らしも、売人も取材したことあるけど、彼らの論理を理解するけど彼らの犯罪を肯定したり加担したりは絶対しない。深淵を覗いて深淵に入らないのが、鉄則だもの。覗いた深淵の情報を広く社会に提供することで、予防や対策に役立てもらおうというのが、犯罪取材。
中共の論理、思考、現状などをつたえるけど肯定しているわけではない。でも、それを知らないと、中国と付き合えない。付き合わないと言い切る人もいるだろうが、それでも付き合わざるを得ない、と考える人があり、そういう人に向けての情報発信である。
たぶん、こっちに来て、体制内学者や国務院系アナリストの話をきけば、彼らの安倍評価が高いのにびっくりするだろう。理由はシンプルで日本経済の回復を華僑経済を通じて感じでいるからだ。消費税増税で来年から経済悪くなるかもよ、移民政策も失敗すると私が批判的に言うと、彼らの方がなぜか安倍擁護