香港のオムニバス映画10年を見返して見て。同じ光景が。今の香港にある。あれは2015ねんから10年後の2025年を想定した映像だった?現実の方が早かった。
交通妨害していた学生がお腹撃たれた場所、まだ血痕が残っているのな。
屋台のオーナーや、近くの店の目撃者に聞けば、やはり警察の正当防衛は、違うって話だ。あの時は、デモ隊に関係ない店主とかも、警察に殴られたりしてんのね。
記事で政治がうごかず、世論が無反応だからと言って、ネタをネタ元の了承なしに、他者に渡せば、記者とネタ元の信頼関係は崩れる。リーク系スクープ、違法の可能性を孕むグレー取材は、ネタ元と記者が最後まで信頼関係を維持し、さらに客観的事実報道に徹してこそ、ジャーナリズムと主張できる。
すみません、私は別の原稿に手間取っていて、うごけません。封従徳さんは6月4日の香港のヴィクトリア広場のキャンドル追悼会に出席する予定でした。学生リーダーの柴玲さんの元夫といえば思い出す人も?香港の自治はぐだぐたです。身柄拘束されなかったのが不幸中の幸い、一時は行方不明と言う話も。
デマと情報隠蔽、このテーマは昔からジャーナリズムの授業で取り上げられてきました。私は隠蔽がより罪深いと思うのは、SARS、チベット騒乱、そして大地震災害での取材経験からきています。ちょっと個人的なコラムをかきました。 twitter.com/foomii_com/sta…
ド素人がfうっかり捕まったのではなく、経験豊かなジャーナリストが必ず成果を持ち帰る自信をもって赴いた現場だ。だから生還できた。そういう意味では、外務省の支援に感謝はすべきであるとは思うけれど、ジャーナリズムに興味もない人からバッシング受けるいわれはないよね。
逮捕された時用に弁護士にパスポート情報わたした。どんだけ、厳しい状況なんだ。
情報を立場上秘匿しなければならない人に則をこえさせて話させる。それが記者の仕事。だから人間の弱い部分をつついたり揺さぶったりするのさ。それで自己嫌悪に陥ったり、良心の呵責にさいなまれたりする人もいるけれど、これは国民の知る権利、公共の福祉のため、と言い聞かせて罪悪感を薄めるのさ
記者を放水車が、狙い撃ち。
今回の件について、多くの人が、実は問題の本質はジェンダー論ではなく、組織論だと気づいている。なぜ、この五輪は競技場問題やロゴや汚職などの疑惑が次から次へと起きミソがついてしまうのか、問題の本質はどこにあるのか、というのを考えないと、
きょうが国慶節なんて、なんて滑稽な
催涙弾うちますよ、と警告してくれるだけでも親切なのですが、ここにはメディアしかいませんよ。
子供守り隊やボランティアスクールバスをやってる、地位も良識もある大人たちに、火炎瓶投げてる青少年どう思う?自分の子供が参加してたらどうする?と聞くと、彼らが火炎瓶投げるのは、彼らが悪いのではなく、そこまで追い込んだ経緯がある。大人の責任、と。
台湾の友達いわく、台湾人の方がタイの観光客よりも金払いがいいよ!台湾を対象にいれてよ!と。台湾を緩和対処にいれて、中国をいれないと、中国が怒るから、というばかばかしい理由なら、日本は今すぐに考えなおすべきだと私も思う。今こそ、台湾と中国の扱いに差別化を見せる必要があるんじゃないか
復光香港 時代革命ってさけんでる。沙田のショッピングモールで。
理想は、日本は日本で民主主義のジレンマだとか、そういうものを克服するのに有効なシステムだとかスタンダードとかもっていますよ、考えつきました、というのが提示できたら、とか思うけれど。
私は怖がりなので、ガラス越しでゴム弾うっているところとりますが、友達のセルフメディアの子は、真正面からとっています。すごくいい写真とってます。ぜひ、大手メディアの方は、彼らの写真買ってあげてください。APよりお安いと思います。
香港に来る前に、中共側からの今回の香港デモについての見方を色々きいたのだが、香港親中派議員が面従腹背だった、じつはこの法案ができたらこまるのは、中国で商売している彼らで、わざと審議を長引かせた、という声も。
残念ながら、台北と桃園共に青に奪われ、新竹は白に奪われそうや。敗因は、インフレ、失業問題に向き合ってない、という蔡英文政権へのダメだし。民進党内の微妙な派閥争い。六都市候補全員蔡英文指名なので、この敗北責任が蔡英文にかぶることになる。抗中保台のスローガンに頼りすぎた。
香港のデモは過激化しているが、七割方の市民が、あの暴力を容認しているのは何故か。暴力を肯定しない人も、彼らを表だって非難しない。あれは、もう反送中デモじゃなくて、時代革命って認識が、共有されているんじゃないかな。100年なかった未曾有の変革のきっかけが、香港ってありえそう。
朝日の某記者の問題の本質は、記者が政治家との関係の深さを自慢げに言いふらしたり、その威を借りてよそのメディアの報道検閲みたいなことをやることが、誤報を防いだとか、あたかもジャーナリズムの正義風に正当化することを、おかしいと感じない感覚じゃないか。
防暴隊300個隊が龍合街に待機、やばい
政治部の記者が政治家とガチンコ勝負しない、と批判する社会部記者が意気揚々と官邸記者会見の(暗黙の)ルールお構いなしに、質問しても、では字になるネタがとれたかというと、自分自身が他者のネタになっているくらいなので、それが宣伝効果になって新聞購読者増につながる可能性はあるものの
そしてツイッターとかその他SNSという新なメディアは、世論を誘導することに淫する快感を、記者以外に広げてしまった感があるな。炎上というのは、不幸にもうっかり起こしてしまったものもあるが、わざと炎上させることもあるでしょう。あれ、ちょっとこわいよな。