1151
ぼく自身は自然死であれば、死はさほど恐ろしいとは思わない。寿命が尽きて死ぬことは誰も免れ得ないのだから。ただ自然死の前に外からの力で命を奪われることは苦痛と恐怖であるに違いない。病気、怪我、捕食、そして人、戦争。こうした死には全力を挙げて抵抗しなければならないと思う。
1152
当時の日本の権力者に「ファシズム」の自覚はなかっただろう。彼らは彼らなりの「よかれ」に従っていただけで、ただその「よかれ」には普遍性も客観性も合理性も倫理性もなく、世間の勢いと雰囲気で作られ、国民もそれを当然のように受け入れたということだ。その頂点に立たされていたのが天皇だ。
1153
政府がどう言おうと、世間がどうなろうと、ぼくはもう少しマスクは続ける。ワクチンは打たない。
1154
テレビを見ていた頃から思っていたけれど、ウクライナ戦争のような深刻な事態を伝えるメインキャスターが、スポーツコーナーになるといきなり軽薄で上ずった声になることに違和感を感じていた。スポーツニュースをやるなとは言わないが、せめて担当者を変えるとかできないのか。
1155
こういうとき「客観的には阿波おどりが要因だと考えられるが、阿波おどりにはそれ以上に重要な価値がある」とどうして言えないのかな。議論はそこから始まるものなのだが。 yomiuri.co.jp/national/20220…
1156
山上容疑者が統一教会に対して強い恨みを持っていたというのはおそらく真実なのだろうが、そこからなぜ安倍殺害に至ったのかについてはまだ釈然としないものが残る。「教団と深く関わっていると誤解した」というマスコミの説明は信じるに足りない。真相は国民の前に明らかにされるのだろうか。
1157
ウクライナから必死の思いで脱出しようとする人々の弱みにつけ込んで人身売買組織が暗躍するとは、人間というものはどこまでさもしい存在なのか。
1158
選挙で白票に効果を持たせたいなら、ある選挙区で白票が1位になったときは議席を空席にするか、立候補者を全て入れ替えて白票を越える票を得る候補者が現れるまで再選挙するという制度にすればよい。
1159
大学生を教えるときに我々の時代の中学生を想定して言葉や言い方を選ぶとちょうどよいというのはよく聞く話。これは普段学生・生徒と接していると実感することだ。知的精神年齢の後退は覆うべくもない。この後で成長してくれるならよいのだが、どうなのだろうか。
1160
国のコロナ対策はともかく「支出を最小限に抑える」という一点で一貫しているが、金はあるけれど国民のために使うのは嫌だというのならまだしも、本当はもう出せる金もないのではないかという懸念は拭えない。大戦末期の政府だってそうだったではないか。破綻は近いのではないかと予感する。
1161
ぼくはもちろん戦争体験はないけれど、両親は学徒動員(勤労動員)から学童疎開の世代であり、母方の祖父は海軍に徴兵され母島で敗戦を迎え、父方の伯父は陸軍士官として戦死していて、戦争の話は断片的ではあるが直接聞いていた世代だ。その頃の話の中で太平洋戦争がアジア解放戦争だったなどという
1162
ぼく自身は哲学的にものを考えたいと思っているけれど、哲学を研究したいとは思っていない。自分が考えるべきはあくまで自分はどう生きるかであって、過去現在の哲学はその参考になるに過ぎない。哲学にどんなに詳しくなっても、今ここをどう生きるかの答えは結局自分で考えるしかない。
1163
政見放送で右派ポピュリズム政党の政権を聞いていると、彼らの不満の一部には理解できるものもあるようだ。ただ、その問題をどういう方法で解決していくかが決定的に重要なのであって、主観的感情や非合理的信念では問題が解決するはずはない。護憲派野党には科学と理性から決して離れないで欲しい。
1164
性表現と性犯罪に因果関係はないとされているはずなのに、反安倍言説と安倍殺害行為との間に因果関係があるとするのはおかしい。
1165
敢えて言うけれど、この近代社会を作ったのは西欧社会であり、西欧に背を向けて、その歴史をトータルに学ばないのなら、国際社会で渡り合うことは不可能だろう。それは決して西欧に対して卑屈になれということではないが、サッカーのワールドカップに蹴鞠の装束で出るような真似は失笑を買うだけだ。
1166
文明は人間が自然から離れていくことだけれど、人間が生物であることを忘れたら、文明は自滅していくだろう。
1167
自立し、主体的に生きるということは、言い換えれば自己の内に確固たる規範を持つということである。規範がなければ善悪の判断をすることができない。善悪の判断ができなければ、行為を主体的に選択することができない。その結果人は目の前の欲に流されるだけになる。これ以上は言うまでもない。