中嶋 哲史(@J_J_Kant)さんの人気ツイート(リツイート順)

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日本は77年もアメリカの属国だったのだから、アメリカのよいところをもう少し学んでもよさそうなのに、悪いところばかり真似している。アメリカの民主主義、国民の自主自立の精神、リベラリズムとプラグマティズムなど、まだ学ぶべきところはいくらもある。
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国民にとっては不利益でしかない保険証の廃止という暴挙に出てまで強制したいマイナンバーカードの真の目的が、行政事務の効率化や税と社会保障の公正の確保であるはずがない。
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日本という国は、本心では欧米の価値観を決して共有はしていないのに、イスラム社会や中国、ロシアのようにそれと堂々と対峙し、あくまで自己の価値観に従って行動する勇気も気概もなく、外に向けては欧米と価値観を共有しているふりをしながら、国内に向けてはそれらを「反日」と蔑む二重国家だ。
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日本のように人を大事にしない社会は早晩内側から崩れていくだろう。資本主義という枠組みの中でだって労働者を大切にすることはできるし、そもそも資本主義は労働者を大切にしてはならないなどという決まりはない。
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自民党を取るか未来を取るか。自民党を取るなら、我々はもう未来を諦めなければならない。
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一社会思想、一政党にすぎない共産主義、共産党がなにか特殊な異次元の思想や政党のように扱われ、特に根拠もなく忌み嫌われるというのも、日本社会の後進性を示す指標のひとつだ。
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要するに、海に流すのが一番安上がりという以上の理由はないね。
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三浦某やひろゆきや成田某をマスコミが持ち上げるのは、彼らの主張を喝采する国民が多数いるという現実は受け止めなければならない。日本では人権、個人の自由、平等、生命の尊重、環境の保護、理性、良心といった諸価値を大切にしていこうという人々は、圧倒的に少数派なのだ。
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どうして外国人を同じ人間として見られないのか、その方が不思議。日本人だって日本を出れば外国人だ。紛争中の敵国ならいざ知らず、外国人であることを理由に人権や生命まで奪われても「それは当然でしょう、仕方ないね」とどうして思えるのだろうか。
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福祉になど関心はないが金になるなら福祉ビジネスをやろう、教育になど関心はないが金になるなら教育ビジネスをやろう……という社会のなれの果てが、スポーツなどに関心はないが金になるならオリンピックをやろうということだろう。そのどこに人間としての「心」があるのだろうか。
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自分たちがやりたい政策は憲法があろうと世論の反対があろうと強行するくせに、やりたくない政策は憲法を口実にしたり支持者の反発を恐れて実行しない。それを理をもって説明し、説得するのが政府の責任だ。理がないから憲法や法律も平気で破るし、理がないから国民に説明も説得もできない。
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日本の伝統的思考の中には「人間は全て平等」という観念がない。その基準はまちまちだが、人間には貴賤上下があって当然で、社会の安定は上下関係の安定を意味している。だから「人権」もピンと来ないし、「民主主義」も機能しない。この「タテ社会」を克服しない限り、日本は先へは進めない。
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『世界』9月号では自民党と統一教会の関係が「緊急特集」されている。早速、中野昌宏「統一教会・自民党関係史」を読んだ。この論文の中でも「統一教会と自民党の思想・主張の内在的な共通性」が論じられているが、ここに単純に「政教分離」では片付かない深刻で本質的な問題があるのは明らかだ。
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前にも言ったけれど、天は人の上に人をつくり、人の下に人をつくる。だから人は人の上につくられた人には少し我慢をしてもらい、人の下につくられた人の手助けをしなければならない。それが人が社会を作る意味であり、そういう社会を実現するために政治があるのだ。
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憲法より上位の普遍法の概念なしにどうやって新しい憲法を作ることができるのか、理解できない。
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統一教会問題ではっきりしたのは、極一部の例外を除いて、日本という国は政府も国民もこぞって反近代、反共、反リベラルだったということだと思う。こういう国が21世紀の世界で生き残れるとは到底思えないのだが、自称愛国者の方々は世界から取り残されていく祖国を見ても、何とも思わないのだろうか。
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日本というのは本当に定型から外れると地獄のように生き辛い国だ。元々金があるか、金になる特殊な能力がない限り定型に合わせなければ生きていけない。しかもその定型が年々狭く小さくなっている。これでは生き辛い人ばかりが増えるだけで、社会は内側から崩壊していく。
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政権交代が起これば今の与党支持者は政権を批判する側に立つのであって、その時は心ゆくまで政権党を批判すればよい。政権交代が普通に起こる国ではそれはお互い様で当たり前のことだが、政権交代が起こるなど夢にも思わないから、政治家を批判すること自体が悪のように言われるのだ。
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ぼく自身は「9条信者」であるはずもないのだけれど、「9条嫌い」の方がよほど宗教的なにおいがする。
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五輪に観客入れて声を出すななんて、酒を出して酔うなというようなもの。五輪をやるという無理、観客を入れるという無理、声を出すなという無理の、三無理五輪。
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野党が何を言っても、国民がどう言っても、自民党政府はやりたいことをやっていくのだろう。しかしそれはアベノミクスの失敗、コロナ対策の失敗で明らかなように、日本を破滅へ導くものでしかない。だがそれも国民の選択。何がよいことなのか国民自身が見失っているのだから、よくなるはずもない。
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自分の生まれた国が、世界一ではなくともそこそこ豊かで、平和で落ち着いた、温かい、知的で文化的な国であることを望んではいけないのか。戦後の原点はここにあったはずだが。
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正直言って、日本の侵略行為や植民地支配、その中で行われた日本人による残虐行為を認めることがなぜ自虐になるのか分からない。そこには力を笠に着た人間が行いそうなことが普通に行われただけのことであって、日本人だけが特に異常だったわけではないだろう。それを自虐というのはナイーブすぎる。
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民主主義というのは国民一人一人が権力者であるという自覚を持つことだ。自らの持つ権力を普遍的な正義(法)に基づいて行使する責任を負うことだ。それは代議制民主主義においても変わらない。これは建前である。しかし、この建前を実現しようとしなければ民主主義は実質を失い、機能しなくなる。
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麻生が言ったという「理屈じゃねえんだよ」というのはこと「国葬」に限らず、自民党の政治すべてに共通するマジックワードだ。