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『世界』9月号では自民党と統一教会の関係が「緊急特集」されている。早速、中野昌宏「統一教会・自民党関係史」を読んだ。この論文の中でも「統一教会と自民党の思想・主張の内在的な共通性」が論じられているが、ここに単純に「政教分離」では片付かない深刻で本質的な問題があるのは明らかだ。
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日本には本当の民主主義はないけれど、本当の資本主義もないのだ。どちらの主体もブルジョワ(市民)であり、彼らにとって国家(政府)は基本的に敵対する存在であり、政府を自己のコントロール下に置くために民主主義が生み出された。こういう原則のない日本を近代国家と呼ぶことはできない。
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統一教会の教義と保守派の価値観・世界観がほぼ重なっていることが厄介なのだ。思想良心信教の自由は誰にもあるから、統一教会を信仰したり共鳴したりすることに他者が介入することはできない。もちろん教団の違法行為については法に則って裁かれるべきだが、その先は個々人の良識に委ねるしかない。
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内閣改造人事では、当然統一教会との関係を問われることになるが、全く関係ない議員なんているのだろうか。
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古市憲寿氏もそうだけれど、取りあえず左派やリベラルの言うことには反対するということをしていると、正しいことであっても左派やリベラルが言っているからやめておこうとなって、結果として間違ったことを選ばざるを得なくなる。
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アベノミクス、コロナ、統一教会はそれぞれ問題の性質は異なるが、政府の問題解決能力の欠如が露呈したということでは共通している。もはやお手上げ状態で今後もさらに迷走が深まることは確実なのに、国葬だけはしっかりやるらしい。
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政治というものは個別利益の奪い合いではなく、普遍的価値の創造(の競争)であるべきなのに、日本の政党はどれも狭い団体の利益代表にすぎず、どの政党も普遍的・全体的視野を欠いているから、結局相対的多数の個別利益だけが実現し、いびつで歪んだ社会にしかならないのだ。
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国のコロナ対策はともかく「支出を最小限に抑える」という一点で一貫しているが、金はあるけれど国民のために使うのは嫌だというのならまだしも、本当はもう出せる金もないのではないかという懸念は拭えない。大戦末期の政府だってそうだったではないか。破綻は近いのではないかと予感する。
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世界で一番人を殺してきたのは共産主義だと吹聴している人がいるけれど、重要なのは誰が一番殺したかではなく、人を殺しやすい歴史的文脈に注目することであって、そういう文脈を再び作り出してしまったら、共産主義であろうとなかろうと、多くの人が殺される事態が生じることは避けられない。
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米ソ冷戦のときは黙ってアメリカに付いていればよかった。しかし米中冷戦はそうはいかない。米中の対立で最も深刻な影響を受けるのは日本だろう。下手をすると代理戦争の戦場になりかねない。どちらの言いなりにもならない主体性こそ日本を救う途だが、おそらくそうはなるまい。
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自分の権利を主張することは必要だし、いつでも主張するべきなのだが、自分が権利主体であると全く同等に他者も権利主体なのであって、自分の権利が他者の権利に対して何の根拠もなく優越するなどということは決してないのに、他者の権利を圧することが権利の主張だと勘違いしている人は多い。
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国葬はなんとしてもやめさせたいが、もし世論に押されてやめたとなれば岸田の政治生命も終わるから、オリンピックと同じように絶対に強行するだろう。しかし、このように自己の保身とメンツで道理に合わないことを積み重ねていくから、国全体がどんどん常軌から外れていくのだ。
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自民党政府にとってはコロナも統一教会も突然降って湧いた「天災」だから、ひたすら首をすくめて災難が通り過ぎるのを待っているのだろうと思う。これらの問題を真摯に受け止め、(国民のために)積極果断に解決していこうという意志は微塵も感じられない。
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金の魔力に打ち勝てず、善悪を捨て去ったために国が衰微していくなんて、陳腐すぎて話にならない。
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日本を近代的な民主制国家であると思うから大問題だとなるが、古代的な貴族制(寡頭制)国家であり、世襲の執政官が神政政治を行っている国だと思えば、別段何の問題もないということになる。
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どんな病気だって「すぐに医師に相談を」であるのに、コロナになるとPCR検査は無駄、コロナはただの風邪、治療法はないのだから家で寝ていろという言説が現れるのは、ひとえに新自由主義的医療政策の結果、医療体制を貧弱化させた失政を隠すためにすぎない。全く愚かしいことだ。
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医療資源を守るために感染しても治療の必要がない人は必要のある人に譲れと言うけれど、治療の必要があるかないかを決めるのが医療ではないのか。他の病気であれば「素人判断は危険、おかしいと思ったらすぐ医師に相談を」というけれど、それはコロナだって同じだろうに。
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統一教会をはじめ宗教団体は合法非合法を超越した論理で多額の金を動かすことができ、人的資源も豊富なので、票源・資金源として政治家にとってこれほど有用な組織はない。しかしそれは宗教団体が金で政治を買っているということであり、民主主義に対する破壊行為と言わざるを得ない。
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趣味とか好き嫌いとかの話ではなく、道理に合わない判断は結局失敗に終わるということで、それは政治においても同じだ。アベノミクスが失敗したのは道理に合っていなかったからであり、モリカケサクラが批判されたのは道理(法理)に反していたからだ。道理に反する政治は多くの人を不幸にするのだ。
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弁護士の口から「反日」という言葉が出るのも驚きだが、「反与党」にすぎないことを「反日」と呼ぶとはいかがなものか。すべての国民には日本をどのような国にするかの選択の権利が保障されているのであり、それがどんなに厳しく現体制を批判し、根本的に異なる体制を対置したとしても、日本という国を
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冷笑系は形式的な制度をもって日本も自由民主主義国家だと言い張るわけだが、自由主義も民主主義もその主体に相応しい国民が存在して初めて自由民主主義と言えるのであって、そういう主体の存在しない日本を世界標準の自由民主主義国家と呼ぶことはできない。
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日本を世界標準の自由民主主義国家にすると自民党は政権を手放さなければならなくなる。ただそれだけのために、日本の進歩・発展は阻害されている。
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中島岳志氏の言う「個人の理性には限界があるから歴史の中で鍛えられた先人たちの集合的理性から学ぶべきである」という「保守」の定義には全面的に同意する。ただその「先人たち」を日本人に限定する必要はないだろう。世界中の「先人」から学べばいい。それを日本に限定するから保守が守旧になる。
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敢えて言うけれど、この近代社会を作ったのは西欧社会であり、西欧に背を向けて、その歴史をトータルに学ばないのなら、国際社会で渡り合うことは不可能だろう。それは決して西欧に対して卑屈になれということではないが、サッカーのワールドカップに蹴鞠の装束で出るような真似は失笑を買うだけだ。
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今の日本の政治経済社会を横断する様々な問題の多くは、長年政府が問題解決に真剣に取り組まず、ずっと問題の先送りをしてきた結果だろう。あまりにも多くの問題が累積し、複雑に絡み合っているので、もはやこれを解決できる人は、日本人の中に誰もいないのではないか。