中嶋 哲史(@J_J_Kant)さんの人気ツイート(新しい順)

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日本社会には人として最も重要な、決定的なものが欠けているように思う。それは人に対する思いやり、共感、尊敬、総じて言えば愛だろう。人なのだから当然自分とは異なる考えや行動、あるいは間違いもあるはずだ。どうしてそれをかくまで否定、排除し、なきものにしようとするのだろうか。
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豊かになりたいなら入りを増やすことを考えるべきで、出づを減らすことしか考えないからしみったれた、他罰的な発想しか生まれないのだ。
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戦後80年で日本の政治、経済、社会が身につけなかったもの、真摯に向き合わなかったものは〈自立〉だ。右顧左眄して強いものや世の流れに依存し、従属していれば、自分で考える必要はないし、自分を律する必要もないから、思考力も判断力も規範意識も育たない。論理も倫理もない社会になるのは当然だ。
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確かにお金は刷ろうと思えばいくらでも刷れるが、物やサービスは作ろうと思ってすぐ作れるものではない。本当に豊かな生活というのはお金が沢山あることではなく、必要な物が手に入り、必要なサービスが受けられるということだろう。はたしてそれらはお金を刷ればすぐ手に入るのか。
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皆既月食中に天王星食が起こるのは442年ぶりと言うけれど、442年前には天王星の存在は知られていなかったよね。
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義務教育は小学校まででよいというのは、国民が賢くなると自分たちの権力が維持できなくなるということを正直に告白している。
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日本にフランスの「反セクト法」のようなものを作るのが難しいのはこちら側(市民社会側)の価値観がはっきりしないからだ。市民社会の価値観がはっきりしなければ「反市民社会」の問題性もはっきり決められない。だから「信教の自由」というもっともらしい理屈で誤魔化されてしまうのだ。
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こういう時代だからこそ、自分の足元を固めなければならない。正しい人間にならなければならない。それは正しいか、何が正しいことなのか、正解はどこにもない問いの答えを求め続けなければならない。正しくあろうとすることから逃げてはならない。
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政権交代がないから野党も成長しないのだ。政党の政治能力は政権担当経験でしか育たないだろう。国民も少しの不満や我慢を惜しむあまり、政権交代のない腐敗し淀んで停滞した政治を選んでしまっている。政権交代は代理人の交代であって、主人の交代ではないのだ。何を恐れることがあろうか。
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自民党的なものと決別しないと、日本は真の民主主義国家になれないばかりか、真の資本主義国家にもなれないだろう。自民党政府の下では資本主義経済の厳しい国際競争に勝ち残れる見通しは到底立たない。
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どんなに科学が進んでも未来がどうなるかは誰にも分からないから、人は未来への不安から逃れることはできない。未来に向き合うには冷静な判断と想像力が必要だが、それは容易なことではないのでそれを何かに委ねたくなる。そこに宗教が入り込む余地があり、また一方で科学への盲目的な信仰も生まれる。
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つくづくと日本社会から「常識」というものが消えてしまったと思う。古い常識が消えたのではなく、常識という存在そのものが消えてしまったのだ。これで親や教師は何に従って子供を教育すればよいというのか。
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色んな人間がいていいし、色んな考えがあっていい。そこには対立も反発もあるだろう。批判とは言えない誹謗中傷や妨害もあるだろう。それをなくすことは難しい。ただ、社会の根幹に正義と法が機能していることが大事なのであって、それさえあれば愚論は消えていくのだが、そこがなんとも心許ない。
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正直に言うとこのフォロワーさんの数は荷が重いのだけれど、気負わず気にせず、これからも「違和感」を呟いていきます。皆様の何かの気づきのきっかけになれれば幸いです。
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いくら知識が豊富にあり、情報収集能力に長けていても、人を差別することなく思いやったり、人を気遣う心がなければ、せいぜい性能の悪いAIのようなものでしかない。
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民主主義と共和主義は車の両輪のようなもので、両方が揃わなければ近代国家は機能しない。ここで言う共和主義とは国家をres publica(皆の物)と考える政治的意思のことで、大統領制とは関係がない。日本は民主主義は入れたが共和主義は入らなかった。日本の民主主義が形骸で終わるのはこのためだ。
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政府も野党も日銀も経団連も連合もマスコミも学者も、実は皆「どうしてよいか分からない」のではないか。
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日本社会は、文化的にも科学技術も芸術やスポーツでも世界に伍して十分トップクラスにあるのに、どうしてこと政治になると時代が100年遡ってしまうのだろうか。それが今様々な分野に波及していることが大問題なのだ。
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今後日本の生産力の増大は見込めず、全体の富が減少していく中で、なおかつ分かち合いを拒否するのであれば、必然的に弱い者から死んでいくことになる。そういう社会への準備が既に始まっているのだろうと思う。
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今日も「ああ、嫌だ嫌だ、主権者なんかになるのは嫌だ、国のことを自分で考えるなんて嫌だ、政治は偉い人に任せればいいんだ、日本の政治家は西洋とは違って民のことを一番に考えて、俺たちに悪いことなんかしないんだ、悪く言うのはサヨクだけだ」という声が聞こえる気がする。
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「戦後民主主義」を第二の「大正デモクラシー」にしてはならない。
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サヨクサヨクというけれど、日本政治の目下の課題はサヨク政権を作ることではなく、まず全うな自由民主主義政治を取り戻すことであり、日本国憲法を遵守し、その理念に基づく政治を行うことだ。これは与党も野党も関係なく、日本が近代国家であろうとするなら絶対不可欠なこと。改憲論議はその後だ。
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関東大震災時の朝鮮人虐殺について、「なかったという証拠はないが、あったという証拠もない」という人間に対しては何をか言わんやで、そのままずっと日本人無謬論のお花畑で生きていけばいいと思う。幸福な人生をあえて邪魔する無粋を演じることもないだろう。
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弱者を支え、国民生活を豊かにする社会共通資本の維持増進のために増税する必要があるというのなら協力する余地もあるが、国民には背を向け、反社会的な宗教団体や身内の大企業、アメリカへの軍事協力のために使われる金をどうして国民が負担しなければならないのか。
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人間を見失ってしまった社会(これは日本だけではない)に、人間をどう取り戻すか。時代の流れに抗する覚悟で進めなければならない。