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歴史問題について書いたコラムがアップロードされました(契約によっては全文を見ることができないかも知れません)。祈る気持ちで書きました・・ご一読いただけますと幸いです。digital.asahi.com/articles/ASG2J…
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ウクライナはオバマのアフガンになるのかと以前ツィートしましたが、その可能性が見えてきました。不介入政策を基本としたカーター政権がソ連のアフガン侵攻を契機に政策を転換したように、ロシアのウクライナ介入がオバマ政権の対ロ政策を変える引き金となる可能性です。
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藤原帰一の「守護霊」が話した内容をまとめた本が刊行されているようです。改めて申し上げるまでもありませんが、私はこの「守護霊」の発言に一切関わりはありませんし、この書籍の刊行にも全く関与しておりません。その書籍における「守護霊」の発言について責任を負わないことを申し上げます。
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教え子の結婚式で、相手の立場に立つことができなければ自分の主張を通すことは期待できないと申し上げました。もちろん新婚のお二人に捧げた言葉ですが、国際関係もそうです。相手の立場を無視して自己主張をするだけでは自分に有利な状況をつくることはできません。
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日中関係の緊張について中国政府の責任が大きいと思いますが、その緊張を打開するためには中国から見た世界に目を配る必要がある。中国に妥協するとかおもねるとか言うことではなく、日本の主張に相手を引き寄せるために必要です。それが不可能だと割り切れば外交の選択を自ら封じることになります。
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私は中国の最大の敵は日本でもアメリカでもなく、中国自身だと考えます。独裁の下で権力を拡大した国家がその権力を外に行使する誘惑は大きい。だがそれは、中国を取り巻く諸国にとっても中国にとっても自滅的な選択に過ぎません。
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中国との関係を打開する必要があると申し上げたら、左翼だと言われました。中国共産党による極度の人権抑圧を前にして見て見ぬふりを続けた人たちと一緒にされるのは残念ですが、それ以上に、緊張の打開などを図るのは相手におもねることに過ぎないという考え方がとても残念です。
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昔、石川真澄さんが、自民支持者は不満があっても野党には投票しない。不満があれば自民に入れる代わりに棄権すると指摘されました。ずいぶん前の分析ですが、これに従うなら、自民支持者の間で、今回の選挙に対する静かな不服従が起こったのかも知れません。
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「そう、ぼくたちの生きる時代は暗い・・・笑う人たちは、恐ろしい事態をまだ聞いていないだけだ」すでにナチが権力を握り、オーストリアも併合した1938年にブレヒトが書いた詩の一節です。
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人質を救い出すことができなかった以上、政府の責任が問われるのは当然です。しかし、交渉と身代金提供による人質解放の可能性を確実とするような議論には賛成できません。他方国会での首相答弁は、集団的自衛権の承認や憲法改正に言及している。それでは力で人質を奪回できたのか。私は疑問です。
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イスラム国に向かい合うとき、力の行使は避けられないと私は発言しました。いまでもそう考えます。同時に、それを口にすることで、自分の生きる意味がひとつ失われた索漠とした思いに襲われます。
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武力を行使することなく平和を保たなければならない。これは、原則の問題ではない。どうすれば武力に訴えずに紛争を打開できるか、その具体的な選択を考えることが必要だからです。その裏には、力を用いなければ現実に多くの生命が失われる、ほかに選択がないという文字通り恐ろしい事態があります。
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イスラム国ないしISILは、大量殺戮を行ないそうなのではなく、現に行なっている存在です。戦争と破綻国家のなかに生まれた急進的暴力組織であり、交渉の合理性も抑止の合理性もない。イラクのフセイン政権などのような独裁体制と異なる、現在の危機です。
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ところが、力をどう行使すればよいのか。ここで新たなジレンマが生まれます。シリアでいえば、大量殺戮を繰り広げているのはイスラム国だけではない。むしろ、殺害した数でいえばアサド政権の方が酷いでしょう。また、地上軍を展開せずに空爆に頼るなら一般国民が巻き添えになってしまう。
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この状況のなかで何ができるのか、何を優先するべきか。2013年にシリア内戦が激化してからずっと考えてきました。難民移動の安全を確保すること、そして難民キャンプの安全と結びつけて相対的に安全な区域を面として広げてゆくのが私の意見です。先週月曜のNEWS23でもそう申し上げました。
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力の行使が必要な状況は存在しますが、その状況が生まれてしまったこと自体、少なくとも国際関係を専門とするものにとっては、それだけでもう敗北なのです。そして、力の効果を過信すればそれが新たな災厄を招いてしまう。再びブレヒトを引用すれば、そう、ぼくたちの生きている時代は暗い。
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読み手を考える、読者を絞らないという意味は、自分の文章に賛成しない可能性の高い読者にも届けるように書くという意味です。私は、四半世紀前まで続いた東西冷戦の時代よりもいまのほうが文章における党派性が強くなったという印象があるんですが、違う考えの人に届かなければ書く意味がありません。
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横浜が、また勝った。横浜が、首位キープ。生きているうちに一度優勝しただけでうれしい、これ以上を望んではいけないと思ってきたのに、つい欲が出て、夢を見てしまう。そして、出口の見えない国際紛争を前に、まだ見えない展望を探ろう、ほとんど不可能は不可能とは違うという気持ちになるのでした。
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何点取っても逆転される。流石にもう勝つと思ってもまた負ける。お帰りなさい、横浜ベイスターズ。一勝だけで一週間余韻に浸る生活に戻ります。
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横浜が、また負けた。横浜が弱いから、国際政治を勉強したり映画を観たりしてこれまで生きることができました。今年は強そうに見せかけたけど、やはり横浜。ありがとう。仕事に戻ろう。
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新安保法制の採決は認められない、政府は法案を撤回すべきだと考えます。月一回の朝日新聞のコラムでは三回連続でこのテーマを取りあげました。憲法違反の一言で終わりという議論もあるでしょうが、国際政治の視点から見た問題点を書いています。休日の関係から掲載は火曜21日夕刊になります。
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昨日、大沼保昭・三谷太一郎両先生を代表とした「戦後70年総理談話について」と題する共同声明が発表されました。緒方貞子、入江昭、さらに添谷芳秀、石田淳などの諸先生とともに私も賛同人に加わりました。朝日の記事をご覧いただけますと幸いです。digital.asahi.com/articles/ASH7K…
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私が安倍政権に抱く危惧は日本の植民地支配、日中戦争、そして第二次世界大戦に対するこの政権の考えです。その危惧が、私が新安保法制に抱く懸念とも結びついています。河野談話や村山談話を引き継ぐだけでなく、明確に日本政府の侵略責任を認め、そこから未来を語ってほしい。
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侵略責任を認めることは自虐ではありません。それどころか、米国の抑止力に支えられたとはいえ軍事力行使に慎重な態度を貫き、腐敗と非効率に満ちたとはいえ議会制民主主義を保った第二次世界大戦後の日本に少しでも誇りを持つならば、戦争の美化こそが日本をおとしめる行動であるとわかるでしょう。
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キャンベラでもワシントンでも、安倍首相は軍国主義と現在の日本を切り離し、民主主義国としての日本のイメージを示し、議会の喝采を受けました。ですが、日本国内では、首相は歴史問題についての発言を避けている印象があります。終戦70周年の談話は戦時戦中と異なる日本を内外に示す機会です。