しろちち@C102日曜東ヒ14b(@shirochichi0707)さんの人気ツイート(リツイート順)

恐らくヴ王の逆鱗に触れたのはこの点である。生命すら操る旧世界の技を独占する、神の如き存在を自称しながら、たかが失政すらカバーできないのか?人間は完全ではなく、人間が行う政治も当然に失敗することがある。その意味で失政は政治の(或いは人間の)本質である。それを救済できない存在が神?
日本ではエンタメに社会批判入れるのが嫌われる?単に社会批判、というかやっっすいイデオローグに無理矢理エンタメ要素絡めて大衆受け狙った挙句失敗したのを、エンタメファンのせいにしてるだけでしょうに。要はエンタメを愚民向け宣教ツールと舐めてかかって失敗したのを逆恨みしているだけ。
我が社の場合、トップから「大丈夫なのか!?大丈夫なのか!?大丈夫なのか!?」と詰められます。これも酷いやり口で、NOと言えば「そんな話持ってくるな!」で、YESと言えば「失敗したらお前の責任払い」とされるわけです。かくして、権限に見合う「責任」を一切持たない、無敵の体制が完成します。
この前段でヴ王は墓所の主の偉大さを説ヒドラ(人造人間)に対し不信を顕にしている。墓所のもつテクノロジーを分けてやるから協力しろ?今までの庇護者が消滅した途端に随分調子がいいではないか、と。これに対するヒドラ達の答えは「我々を擁護する限りは協力する」で、実は答になっていない。
こうして見てみると、長期政権末期のgdgdぶりというのは、老年になって急に劣化したというより、それまでの長年の積み重ねによって「起こるべくして起こった」「組織/現場でのフォローが限界を超え決壊した」と言えるのではないでしょうか。
ただ、現実には財務省が予算編成権を握り、そのチェックを通らないと政府予算にならない以上、財務省査定のお眼鏡に叶わないと予算化できない―にも拘わらず予算化の過程で「犠牲になったもの」については財務省が責任を負えないーのでは、現場サイドは「やってられない」となるでしょう。
そこで更に王は問う。では何故今までの庇護者は滅びたのか?と。それに対する答えが「失政」、つまり土鬼王の自滅であり、我々のせいではないと。これまた見事な責任転嫁である。
まず、トップの在任が長くなると細部の細部まで精通し、下手すると年数の浅い現場担当より詳しくなります。そうするとトップは、だんだん下からの―特に耳障りの悪い話を―聞かなくなります。自分の方が詳しいし上手くやれるんだ、オマエラはただ儂の言うことに黙って従えばよい、と。
現場からの意に沿わない提案に対し「本当にそうか?もっとよく考えろ!」として跳ねつけ、現場から「自発的に」トップの意に沿う提案・報告をさせるわけです。そうすると、万一失敗したときは「お前がこうしろと言ったんだろ!」と責任転嫁できるわけです(勿論、上手くいったときは手柄を総取りです)
もしソレが真実であればとんだ虚仮脅しだし、実際にはその力がありながら先の庇護者を見捨てたのだとすれば、墓所の主とやらの真の意図は何なのか。ヴ王の一見理不尽な逆切れがこうした思考に基づくことは続く台詞でもうかがえる。いわく「王が要るならもっと気の利いた条件を示すがいい!!」と。
A「どこの国が1番好きです?」 BC「ローマ帝国!」 A「気が合いますね!!時期いつですか?私五賢帝時代が好きなんですけど」 B「10世紀マケドニア朝」 C「12世紀シュタウフェン朝」            終          制作・著作          ━━━━━           ⓃⒽⓀ
こうしたヴ王の人間観が出ているのが、最終盤。墓所に保管されていた「人間の卵」…世界浄化後に孵化する理想の新人類の破壊を前に、ナウシカが躊躇う一方で、ヴ王が「そんなものは人間とはいえん」と言い放つ場面であろう。流石は王の器である。
財務省は「国家予算の編成」「税収確保」が主たる役目の省庁なので、それ以外の「査定された事業のその後」が責任対象外なのはある意味当然で、そこは本来、個別省庁を超えた官邸・国会で政治的になんとかすべき世界ではあるかもしれません。
現場サイドからすれば「あんたら(財務省)も現場で生じる査定結果に責任を持て」か、それが無理なら「最終責任を負うところ(総理か国会)に直接話をさせろ」となるわけで、そのどちらもダメと言われれば、それは省益保護・組織防衛&責任回避の輩として厳しい目で見られるのも仕方ないでしょう。
最期にヴ王はナウシカを庇い、墓所の断末魔の攻撃を受けるのだが、王はその時に彼女を「破壊と慈悲の混沌」と呼ぶ。墓所の誘惑を否定・破壊する峻厳さの一方で、人間の卵や巨神兵の死を悲しむ優しさを併せ持つ。王の言うとおり「もっと早く出会えていたら」ヴ王はどんな治世を築いたのだろうか…
だが同時に自身の愚かさに自覚的でもあった。常に道化を傍に置き、自らについてすら辛辣に批判させながら咎めず、最期には自身の遺言の証人にまで指名したことがその証左である。
かくてナウシカと墓所の主の対話(対決)後、ヴ王はナウシカの側につく。それどころか思いっきり肩入れし、最後には自身の命すら賭けるのだが、かかるベタぼれぶりも、ヴ王とナウシカの見る世界・考えが一致した(少なくともヴ王はそう感じたから)こそであろう。
気のせいでなければ、とっつぁあんが水車を見た時、ルパンを運ぶ重みのせいか一瞬水車の速度が変化していて、それでとっつぁあんが勘づいたのだとすると本当に凄い…! #カリオストロの城
…が、こんな無茶苦茶が無限に通じるのはあくまで「内輪」だけです。内輪の論理が通用しない、外部(それも自分達より強力な)という「現実」に直面したとき、それまで糊塗され、現場に押し付けてきた無惨な現実が一気にトップに付きつけられます。
因みにヴ王が名君かと言えばやはり暴君に近い。本作の背景となる「トルメキア戦役」を引き起こした張本人であり、子供たちを常に疑い、自らクシャナ暗殺を命じさえした。墓所の主が嫌う、「愚かで醜い人間」の代表とさえいえる人物であるとさえ言えるかもしれない。
そうすると、側近は「トップが聞いてくれ易い」形に情報を統制するようになります。悪い話は伏せ、いい話は成果を針小棒大に拡大し…かくしてトップにはますます耳障りのよい話しか入らなくなります。世界の全ては我が意の儘に!(笑)というやつです。
この後にナウシカと墓所の主の対話が続くが同じようにナウシカも主の欺瞞を見抜き真実を語れ!と迫るのである。そう考えれば主の声を聞くナウシカの不快感あらわの表情と「否!」の叫びは先のヴ王の反応に重なってくるのである。
こうなると何時ものように部下を怒鳴りつけようが責任転嫁しようがどうにもなりません。「どうにかできる他の可能性」をトップの独善と側近の忖度で全て潰してしまった以上、怒鳴ろうが殴ろうが「粛清」しようが、現実は無常なまでに覆らないわけです。正にインガオホー。
そんな自身(と自身を含む人間全体の)愚かさに自覚的であったからこそ、墓所の主の欺瞞=全能の自分を崇める限り失敗はないとする宣教の裏の意図には敏感であり、また許し難いものがあったのであろう。人間の愚かさを切り捨てておいて何が救済だ?と。
これほどトップ(と側近)の権力が強まると、ヘマしたときの反動=責任追及が大きくなりそうですが、実はここにもカラクリがあります。有体に言えば「責任だけ現場に押し付ける」なのですが、どうするかと言うと「具体にこうしろ」という命令・指示をトップや側近からは一切出しません。