大野左紀子(@anatatachi_ohno)さんの人気ツイート(新しい順)

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RT これはオタクの人だけではなく、ある世代以降に見られる傾向の一つだと思う。芸術系大学の講義を持っていた頃、ゼロ年代に入ってから批判に弱い学生が増えてきたと感じた。作品についての指摘を、自分自身を否定されたように感じてしまうとか。
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CMで洋服を「高見え」と言ったり化粧品を「若見え」と言ったりするのが商品PRとして有効とされている世界が、貧乏臭くてほんとに厭だ。なんでそんなに剥き出しなのか。
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怒れるエネルギーのある人はまだいいかもしれない。生活基盤がぐらぐらだとそれどころではないと思う。そういう人間的な感情すら根こそぎ奪っていくような社会になっている。
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昔は政治家が少々頼りなくても、官僚がしっかりしてるからまだ何とか持ってるみたいなところがあった。安倍政権の7年半の間に、多少残っていた信頼も徹底的に崩された。ここまで毒が回っていては取り返しようがないと思う。そして怒りを溜め込みつつ、誰もが生活の防衛で手一杯で為す術がない。
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「温泉むすめ」というキャラが全国の有名温泉地にあるのを今頃知った。観光庁が後援しているらしい。一人一人にいろいろ細かい設定まであるとな。「鉄道むすめ」ってのもあったよね。すごいな。広報はとにかく「むすめ」なんだ。日本の経済は「むすめ」の姿をしている‥‥。
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「妻も夫の性欲処理機ではない」。一般論として言われれば「そうだね」としか思わないが、他でもない自分の夫の結婚前の性的行いについて散々批判した後で言ってるのが聞こえてきたら、「言葉に気をつけろ」とは思うね。もし自分の目の前で言われたら、机ひっくり返すかもしれないね。
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ガチガチのホモソーシャルの中で必死でのし上がってきた女は、男たちに認めてもらうためにホモソーシャルの価値観を人一倍内面化していることが多いんだろうなと思う。どこまで行ってもそこでは「女だてらによくやってる」という目線でしか見られないわけだけど。
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閉会式見てなくてまた例によってTLで知ったが、国旗入場のBGMが小津の『東京物語』って何で? 家族の崩壊を描いたあの名作とオリンピックが、一体どういう関係? まさか「東京」繋がりで小津が世界的な監督だから使ったってだけ? ふざけるなよ‥‥。
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修正されたルックバック、加害者が同じ領域にいる、地続きだという設定だったからこそ、もっと書き手の足元を自ら抉るような批評性を持てたはず(そこまで踏み込めてなかったが)なのに、加害者を完全に外部化することで逃げてしまっていて、まったくダメな感じがする。
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ところで最初の「好きなものを少しでも批判されると攻撃的になる人」の増加、自著では戦後教育の一部に原因を求めているが、好きなもの=全面永久肯定でないと気が済まないのって一種の信仰だから、どこかで信仰を心の支えとして必要とする人間には「好き」がその代わりになっているのかもしれない。
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RT あるある過ぎる。自分の好きなものを少しでも批判されたり相対化されたりすると、自分を否定されたかのようにめちゃくちゃ傷ついて攻撃的になる人が増えている。自分が肥大化して自他の区別がつかなくなっている。9年前の自著にも書いたが、この20年くらいの間に顕著になってきた現象だと思う。
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開会式は最初の方を見ただけだがTLから想像するに、職人技とか江戸とか鎮魂とか医療関係者リスペクトとかレインボーカラーのドレスとかマンガとかゲーム音楽とかイマジンとか、「世界からこう見られたい」というものを寄せ集めてみたけど何か芯があるわけではないという、今の日本そのものらしかった。
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ほとんどの人は、公共なら性的な表象はNG、個人の表現ならOK、企業の広告などはケースバイケースくらいに捉えて、今回は不適切と言っているのに、「公共の場に私の嫌いなものがある、傷つくから配慮せよと言っている。「脆弱」を盾に取ってる」とか言う人は一体何を見てるんだ。
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この間まで五輪中止するか否かの話だったのに、観客入れるか否かになって、いつのまにか観客人数の話になって、今はなんと酒類提供云々の話になってる。
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ずっと前ネットで少し話題になってたが、日雇い労働者が受け取った賃金を煙草や酒に使ってしまい、貯蓄に励んでその環境から脱しようとしないという話、自分がその日雇い労働者の立場で考えてみたらどうかと思った。日々削られていく自分をいっときでも取り戻すために、煙草や酒が必要なんだよ。
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預金残高が三桁になってるのに煙草を買ってしまう人の感覚を問うツイを見た。うーん‥‥三桁しかないからこそ煙草という選択になるんじゃないかな。無論客観的に見たら「他に使い途が」と言われるのはわかってるだろう。でも三桁のお金で自分を維持できるものは煙草なんだ。元愛煙家なのでわかる。
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「おかあさん食堂」という言葉で実際に郷愁を覚える人は少なくて、「昔の母親は割烹着で台所に立って手作りおかず作ってたらしいな。自分は知らんけど」と思う層がコンビニ惣菜利用者の大半だろうにも関わらず、ステレオタイプがノスタルジーを喚起する像として提出されている点はちょっと興味深い。
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だからこういうのは、言葉狩りだとか何とかではなく、ノスタルジーをどう取り扱うかの問題ではないかと思う。「最近は何かいろいろ行き過ぎている。昔は良かった」という思い(私も持つことがある)を様々な場面で多くの人が感じれば感じるほど、ノスタルジーは醸成され時にイデオロギー装置ともなる。
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これが単なるノスタルジーとして全面的に許容されるようになるには、性別役割分業が完全になくなっていることが条件であり、今はその過渡期(?)なのでまあ反発も起こる、ということかな(私は「おーい、お茶」もなんとなくだが嫌だった。ヤメロとは言わず買わずに済ませていたけど)。
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ファミマの「おかあさん食堂」問題やっと追いついた。ハウスの「私作る人、僕食べる人」から45年ですね‥‥。「おかあさん食堂」というネーミングは、共稼ぎ家庭が多数となり夫も家事をするのが当然という考えが行き渡った現代において、母親が常に台所にいた時代へのノスタルジーなのだろうが、→
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ただ頑張るだけではダメなことがあり、そんなに頑張らなくてもできちゃうこともある、という現実を見ていかないと、自分より年収や学歴の低い人を「努力してないんだろ」と見下すような人間になっちゃうよなぁ‥‥。
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RT これ、10年近く前に感じていた。提出物や作品を批評すると、「でもすごく頑張ったんですけど」とか。とにかく自分の努力をまず評価せよという気持ちがとても強い。小学校くらいから「頑張った子が偉い」というような教育を受けすぎているような気がする。
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女性をエロく描いた絵が好きで自分でも描いたりするし人の描いた絵もいろいろ見てみたいと思っているのと、殊更エロが必要ないところに突然あると嫌だなぁここでは見たくないのにと思うのとは、両立する。そこをわかってなくて、相容れない欲望だと思っている人が結構いるんじゃないかと感じる。
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思考パターンが「法で禁じられていないので自由」という現実追認的なところからなかなか発展しない。これは「法で禁じられているのでダメ」という考えに簡単に反転する。「法」が絶対化されていて、なぜ禁じられるのか?に踏み込む学生は少ない。
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RT よくわかる。大学非常勤していた時、○○についてどう思うか?と問うと「人それぞれなので好きにすればいい。ただ押し付けは良くない」など思考の跡のない回答が急に増えてきたのが2010年代だった。自分の意見を言うのを避ける傾向。「どう思うか?」ではダメなので「なぜだと思うか?」にしたが。