文科省「学校を休むことを認めます。フリースクールなどと連携を取りましょう。」 保護者「そもそもフリースクール近くにないし、通わせる金銭的余裕もないよ。」 文科省が休むことを認めたなら、ちゃんと制度・環境も整備して下さいよ…。
約20万人もいる不登校の子に対して学校以外の学び場の選択肢も提供できなくて、何が多様性社会だ。 教育が多様化しなければ、多様性を認め合える社会になんてなるわけがない。
『不登校になったら将来困る』ではなく、『今、困ってるから不登校』なんだよ。 将来の心配よりも、まず今の困り事は何か? 見るべきは、今、目の前のその子。
教師「もう学校で働けない」 子ども「もう学校で勉強できない」 保護者「もう学校を信用できない」 いつまでこの悪循環を続けるの??
18万人もいる不登校の子に対して学校以外の学び場の選択肢も提供できなくて、何が多様性社会だ。 教育が多様化しなければ、多様性を認め合える社会になんてなるわけがない。
日本の学校では、インフルエンザや怪我など目に見える体調不良で学校を休むと何も言われないが、心の調子が悪くて学校を休むとズル休みだと言われる。 若者の自殺が多い国だというのに、心の健康が未だに軽く見られている。
よく「逃げて良い」っていうけど、別に学校に行かないことは逃げでもなんでもないよ。 「学校に行かないことは逃げ」みたいな考えが不登校をネガティブに捉えて、彼らの自己肯定感を奪う。 『逃げて良い』じゃない。そもそも逃げですらない。 立派な選択だ。
「一度学校を休ませると学校を休むことが癖になりますよ」と言われることありますが、癖になるんじゃなくて、学校が苦しい場所だったと気づいただけ。 むしろ、嫌なことでも何も言わず我慢し続けてしまう癖がついてしまう。
文科省「学校を休むことを認めましょう。フリースクールなどと連携を取りましょう。」 保護者「フリースクール近くにないし、フリースクールに通わせる金銭的余裕ないよ。」 文科省が休むことを認めたなら、ちゃんと環境も整備して下さいよ…。
過去「不登校は良くない」 ⇩ 現在「不登校でも良い」 ⇩ 未来「不登校かどうかはどうでも良い」 学校に行くか行かないかよりも、1人1人がどうありたいかが重要な時代になる。 いや、すでになってきているよ。
不登校の子が18万人以上もいて、加えて、コロナで自主休校をしてる子もたくさんいるのに、 どうして『義務教育の内容をすべての子にどう届けるか?』って話にならないの?? いつまで学校に行った方が良いとか悪いとか言ってんの? そんな話どうでもいいよ。
日本の学校では、インフルエンザや怪我など目に見える体調不良で学校を休むと何も言われないが、心の調子が悪くて学校を休むとズル休みだと言われる。 若者の自殺が多い国だというのに、心の健康が未だに軽く見られている。
感のいい人は気づき始めてる。 今の日本の社会はおかしい… 今の日本の教育はおかしい…と。 しかし、大多数の気づいていない人たちが、その考えを否定する。 いや、考えどころか人格をも否定する。
「学校に行かずにどうやってルールを守ることを教えるんですか?」みたいなリプがくるときがあるけど、 どうしてルールは学校でしか教えれないものと思っているんですか? 学校に依存しすぎじゃないですか?
『不登校からの大逆転エピソード』ばかりはいらないんです。 ただ普通の選択肢の1つとして「学校以外の場所で学ぶ」があって、『逆転』なんて言われずに、1人1人が活躍できる社会であってほしい。
オンライン授業が「できるか?」「できないか?」ではなく、 本当はコロナに関係なく、公教育として「やらなきゃいけない」だと思う。 子どもたちにはあるのは『学校に行く義務』ではなく『教育を受ける権利』なのだから。
若者の死因の1位が自殺の日本。 10代のうちに「もう、人生詰んだ…。」と思わされる社会なんて絶対におかしい。 10代のうちに教えるべきは1つの正しい道じゃなくて、様々な楽しい道ではないだろうか?
毎日「今日は学校に来れそうですか?」って、 不登校になった原因が取り除かれていないのにどうして行けるでしょう? 学校に行けないのを子どもの気持ちの問題にしないでください。
本来、不登校の子を「学校に戻す」という考え方は古い考え方で、2017年から施行された教育機会確保法でも学校を休むことの重要性について書かれている。 問題は、子どもを学校に戻せないことではなく、教育機会確保法が上手く働いていないことであり、義務教育期間の教育環境が変わっていないこと。
子どもたちが持っているのは「学習権」 義務を負っているのは大人で、その子どもたちが学びたいと言ったときに、学ぶ方法すべてを提供しなければなりません。 岐阜市に「不登校児専門公立中」開校。除幕式で会場を涙させた京大准教授のスピーチ(Forbes JAPAN) #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/28bde…
教育界ではよく『成功体験』が重視されているけれど、 それよりも大切なのは、「失敗しても大丈夫、なんとかなる、誰かが支えてくれると感じれる『失敗の安心体験』」。 自分が成功した時の喜びを強調するよりも、失敗したときの怖さを小さくする方が、人は新しいことにチャレンジする。
約20万人も不登校の子がいるというのに、今の学校教育が制度疲労を起こしていることに気づいていない人が多すぎる。 「不登校」を無くすのではなく「不登校という言葉」を無くすための改革が必要。
何度も言うけど義務教育ってのは、子どもが学校に行く義務じゃなくて、大人たちが子どもに教育を受けさせる義務なんだよ。 そして、子どもには適切な場所で教育を受ける『権利』がある。 もし今の場所での勉強が苦しかったら違う場所で教育を受ける権利があるんだよ。
『学校は行かなくてもいいよ』 と言うと「行かないとコミュニケーション能力が養われない」とか「社会性が身につかない」とか言ってくる人が必ず現れるんだけど、 別に学校という小さな小さなコミュニティの社会性なんて無理して学ばなくても生きていけるから大丈夫。
「学校行ってなくて大丈夫??」 と聞いてくる人がいるみたいだけど、 逆です。 「学校が大丈夫じゃなかったから行かなくなったんです。」 むしろ、学校に行かないから、今、大丈夫なんです。