『社会に出ると理不尽なことが多いから、学生のうちに理不尽に慣れておいた方が良い』みたいなことを耳にすることがありますが、学校で理不尽に慣れるから理不尽がまかり通る社会が変わらないんですよ。 本当に必要なのは、理不尽な社会を変えようとする力では?
学校に行かないことを悪いことだとは決して思わないが、教員の不適切な指導によって学校に行けなくなった子が多くいることは事実。 学校に行かないことを自ら選んだわけじゃなく、行かないを選ばざるを得なかった子が本当に多い…。
文科省「学校を休むことを認めます。フリースクールなどと連携を取りましょう。」 保護者「そもそもフリースクール近くにないし、通わせる金銭的余裕もないよ。」 文科省が休むことを認めたなら、ちゃんと制度・環境も整備して下さいよ…。
「一度学校を休ませると学校を休むことが癖になりますよ」と言われることありますが、癖になるんじゃなくて、学校が苦しい場所だということに気づいただけ。 むしろ、無理やりに登校させると嫌なことでも何も言えない我慢癖がついてしまう。
『不登校からの大逆転エピソード』ばかりはいらないんです。 ただ普通の選択肢の1つとして「学校以外の場所で学ぶ」があって、『逆転』なんて言われずに、1人1人が活躍できる社会であってほしい。
教育界ではよく『成功体験』が重視されているけれど、 それよりも大切なのは、「失敗しても大丈夫、なんとかなる、誰かが支えてくれると感じれる『失敗の安心体験』」。 自分が成功した時の喜びを強調するよりも、失敗したときの怖さを小さくする方が、人は新しいことにチャレンジする。
日本の学校では、インフルエンザや怪我など目に見える体調不良で学校を休むと何も言われないが、心の調子が悪くて学校を休むとズル休みだと言われる。 若者の自殺が多い国だというのに、心の健康が未だに軽く見られている。
過去「不登校は良くない」 ⇩ 現在「不登校でも良い」 ⇩ 未来「不登校かどうかはどうでも良い」 学校に行くか行かないかよりも、1人1人がどうありたいかが重要な時代になる。 いや、すでになってきているよ。
約20万人もいる不登校の子に対して学校以外の学び場の選択肢も提供できなくて、何が多様性社会だ。 教育が多様化しなければ、多様性を認め合える社会になんてなるわけがない。
教師「もう学校で働けない」 子ども「もう学校で勉強できない」 保護者「もう学校を信用できない」 いつまでこの悪循環を続けるの??
お子さんが小学校へ入学する親御さんへ 2021年に発表された小・中学生の不登校数は約20万人です。 また、不登校傾向にある子は中学生だけで33万人とも言われています。 今後さらに増えると予想されます。 今のうちから不登校について、学校教育について考えておくことをおすすめします。
『学校は行かなくてもいいよ』 と言うと「行かないとコミュニケーション能力が養われない」とか「社会性が身につかない」とか言ってくる人が必ず現れるんだけど、 別に学校という小さな小さなコミュニティの社会性なんて無理して学ばなくても生きていけるから大丈夫。
【急募】 あなたが思う「大人が子どもに本当に教えるべきこと」を1つだけ挙げるとしたら何? #RT希望
感のいい人は気づき始めてる。 今の日本の社会はおかしい… 今の日本の教育はおかしい…と。 しかし、大多数の気づいていない人たちが、その考えを否定する。 いや、考えどころか人格をも否定する。
まだN高ができたばかりの時の話ですが、自分の教え子をN高に行かせたという中学校の先生と話をしました。 教え子が「N高に行きたい」と言うまで先生の誰一人N高の存在を知らず、職員室が騒ぎになったとのことです。 先生も親も知らない進路・人生の選択肢はたくさんあります。
人と比べるのを止めよう!って言うけどさ、 テストに、部活に、運動会に、合唱コンクールに、その他諸々の学校行事のほとんどは順位が出るものばかりじゃん。 そんな環境の中で人と比べずに自分に価値を見出す方が難しいよ。
よく「逃げて良い」っていうけど、別に学校に行かないことは逃げでもなんでもないよ。 「学校に行かないことは逃げ」みたいな考えが不登校をネガティブに捉えて、彼らの自己肯定感を奪う。 『逃げて良い』じゃない。そもそも逃げですらない。 立派な選択だ。
「学校に行かずにどうやってルールを守ることを教えるんですか?」みたいなリプがくるときがあるけど、 どうしてルールは学校でしか教えれないものと思っているんですか? 学校に依存しすぎじゃないですか?
何度も言うけど義務教育ってのは、子どもが学校に行く義務じゃなくて、大人が子どもに教育を受けさせる義務があるんだよ。 そして、子どもには適切な場所で教育を受ける『権利』がある。 もし今の場所で受けている教育が苦しかったら違う場所で教育を受ける権利があるんだよ。
オンライン授業が「できるか?」「できないか?」ではなく、 本当はコロナに関係なく、公教育として「やらなきゃいけない」だと思う。 子どもたちにはあるのは『学校に行く義務』ではなく『教育を受ける権利』なのだから。
『社会に出ると理不尽なことが多いから、学生のうちに理不尽に慣れておいた方が良い』みたいなことを耳にすることがありますが、学校で理不尽に慣れるから理不尽がまかり通る社会が変わらないんですよ。 本当に必要なのは、理不尽な社会を変えようとする力では?
日本では「逃げ癖がつく」と言って我慢させることを『教育』や『指導』と言うことがあるけれど、 そのせいで「我慢ぐせ」がついてしまい、最後まで追い込まれ、自殺という手段を選択してしまう。 日本では逃げる練習が足りていない。
「一度学校を休ませると学校を休むことが癖になりますよ」と言われることありますが、癖になるんじゃなくて、学校が苦しい場所だったと気づいただけ。 むしろ、嫌なことでも何も言わず我慢し続けてしまう癖がついてしまう。
教育界ではよく『成功体験』が重視されているけれど、 それよりも大切なのは、「失敗しても大丈夫、なんとかなる、誰かが支えてくれると感じれる『失敗の安心体験』」。 自分が成功した時の喜びを強調するよりも、失敗したときの怖さを小さくする方が、人は新しいことにチャレンジする。
日本の学校では、インフルエンザや怪我など目に見える体調不良で学校を休むと何も言われないが、心の調子が悪くて学校を休むとズル休みだと言われる。 若者の自殺が多い国だというのに、心の健康が未だに軽く見られている。