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普段知らない人によく話しかけられる私は今日もスーパーで見知らぬおばあちゃまから「孫がばあちゃん家にどうしても行く言うて東京から来るねんけど15歳の男の子で水泳しとる子って何食べると思う?何でもええ言うのが一番困るの」と聞かれて、多分ですが肉ですね。そしてそれは幸福な自慢ですね。
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ワーファリンを服用しているのでタンコブひとつが大事故の4歳が、ソファから落ちて少し頭を打ちまして、ああ祝日で病院は救急になるのにと私は焦るのに4歳は特に痛くはないらしく冷静で
「Hセンセイがいてるしダイジョブよ」
この主治医への絶大な信頼、祝日は当直やろと言うその実績(大体いる)
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本日、ウチでは唐揚げを1㎏揚げる儀式があり
ケーキのろうそくを吹き消して無事に娘が11歳になりました。
11歳の女の子というのは眩しいくらい透明な生き物ですね。少し難しい妹のある娘は妹のことを「ふつう」だと思っているそうです。
全速力で|きなこ @3h4m1 #note note.com/6016/n/n2839bc…
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世の中は迎え盆で、4歳のお友達には今年が新盆である子がいるもので
「あの子が帰って来るんやで」
という話をしましたら、窓辺にぬいぐるみを沢山並べてその子のことを待っているのですけれど、お友達は自分のお家に帰るのであって、うちには遊びにこないのだよって私は上手く説明できないのです。
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13歳が帰省もお墓参りもお盆らしいことは何もないしつまらんと言うので私が祖母の名代として、夕飯を角煮とサラダと巻きずしと小さいグラタンと後からスイカという田舎のばあちゃんの食い合わせ選手権をしてさしあげたら「そういうんとちゃう」と言われまして。うちの実家のお盆はそういう感じやで。
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小児病棟には幽霊が出る。それを見たのは去年の春に4歳の娘が長く入院していた頃のこと、深夜娘の狭いベッドの隙間から這い出した私は青い服の青い顔の男がふらふらと廊下を歩く姿を見た。それは救急車が立て続けに3台救急入り口に停まった日、PICUの廊下が潮騒のようにざわついてそれが引いた後。
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その人は中空を見つめこちらがまるで見てない様子で、ずるずると足を引きずるようにして病棟の奥のPICUに消えた。それは救急車の音の聞こえた後、病棟の廊下の少しざわつきの後に必ず起きる。夜中の病棟を歩くときには眼鏡を外していて、いつも視界の朧ろな私はそれを病棟の幽霊だと思うようになった。
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ある晩、娘が軽い痙攣をおこした。娘は術後の昏睡が長かったもので脳に損傷の可能性を示唆され、私も周囲も娘の状態に過敏になっていた。夜勤の看護師が主治医を呼びますと院内PHSでその日はもう帰宅したはずの主治医に連絡をして数分、見るとあの青い服の青い顔の男がぼんやりと病室に立っている。
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真夜中の主治医だった。主治医は娘の術後回復が難航して、次に何が出るか予測不可なもので帰るつもりが幾日も帰宅できず、その上連日小児の救急搬送が続きそれの多くが呼吸器系の疾患、そして循環器医は当時病棟にひとりだけ。寒い冬から温かなさみどり色の春の来る頃、循環器系疾患児は皆調子が悪い。
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私が真夜中近眼の視界を更に別の理由で曇らせながら目撃した病棟の廊下を歩く青い服の男は幽霊ではなかった。あの頃先生はどれ位帰宅できていたものか、労働基準法とは砂漠の幻か、しかし今ああいうひとびとが最前線で命の砦を守ってくれているのだ。文句なんか言うたらあかん(CV:上沼恵美子)
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京都で学生をしていた頃、送り火の日はアパートの大家さんが屋上に登らへんかと店子の皆を誘いに来た。遠くに赤い火の灯る大文字山を眺めたその時は
「珍しいもん見た」
位にしか思っていなかったそれが京都の人の地方から来た若者への優しいもてなしやったんやと今になって気付くのだから人生は。
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大学病院の病棟にいた頃、PICUが全床循環器疾患の子で埋まろうがカテ室で患児の心臓が止まろうが現場の最前線に立ちつづけていたタフと書いて『4歳の外来担当主治医』はご自身のクリニックを持ってこの第七波
「忙しすぎて倒れた」
らしく額に大きな擦過傷。みんなこんなに頑張っているのに。
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近所の『猛犬注意』の札を門扉に貼っている大きなお屋敷、大型犬でも飼ってはるんかと思っていたら今日、格子戸をからり開けて出たきたおばあちゃまの連れたワンちゃんが大変にポメポメしい栗毛のポメラニアンだったもので「エッ?」って顔をしたらおばあちゃまも「ウフフそうなの」って顔、確信犯。
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優秀な人々は「出来てしまうから苦しい、持っているから苦しい」ということを周囲に言っても「貴方はいいわよ~」なんて言われて余計苦しいのだなあということを凡庸な私は最近知りました。すごく優秀な友達の話。
うれいなくたのしく生きよ、娘たち|きなこ @3h4m1 #note note.com/6016/n/n145ae2…
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4歳の支援関係の書類を出しに夏休みの幼稚園に行ったのですけど、園の扉を開けた最初の先生との挨拶が
「アーッ!お母さんご無事でしたか?」
「先生こそ、ご無事ですか?」
というものでさながら戦場のよう、こんなに周囲のひとびとがただ元気でいることが嬉しい夏は44年生きていますけど初めて。
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NICUにも窓がありました。
温度管理の完璧な空間に窓、それは自然の採光を室内に取り入れるためのものだと思いますが、そこに娘を預けていた頃の私には、面会時間を終えて病院の外から小児病棟を見上げた時、あの灯りの中で娘は安心して眠っている、そう思うためのやさしいひかりの、希望の窓でした。
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病院の窓については、設計とか設備とか治療、諸々の適性を孕むものなので、ないとかあるとかそれは医療者の方にお任せすることですが、患者家族である私にとって「窓」はこういうものでしたよという話。娘のかかりつけ病院は窓が多い、掃除が大変。
窓|きなこ @3h4m1 #note note.com/6016/n/n5bcc38…
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雨の夕方、傘をささずに私の前を歩く女の子がいて、背後からそれを追いかけて男の子がやって来て、自分の青い傘をその子にほいと渡してそのまま雨の彼方に駆けていく姿を見まして、それがあまりにもサツキと勘太で、その場にいた私は思わずトトロの顔になりました。
清いものを見ました。
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それからあまり出かけられないけれど、美術館や博物館の学芸員であるとかキュレーターの方にも、特に大きな企画展の時には
「私こそが東奔西走していろんなとこから借りてまいりました展示品を」
という顔でにこにこどこかに立っていてほしい、それで「ありがとういい展覧会でした!」とか言いたい。
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扉を開けたら、お化けの扮装をした芸人さんが突進してきてそれを目の当たりにした人は「ギャー!」と悲鳴をあげて逃げ惑うという動画をうちの子は大変に好む。私は嫌だ、だって怖いから。でも扉を開けたら意外な景色が広がっていて驚愕したという経験は実はある、心臓が止まっても大丈夫そうな場所で。
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子が長く入院して退院する時、親は院内の方々に「お世話になりまして退院します」を告げながら歩くもの。あれは直近の手術入院の時、入院して退院まで2ヶ月程かかったもので、そして「退院の日には寄ってね」と言われていたもので私はICUに挨拶に行った。娘がそこで3週間程お世話になっていたから
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ICUは『生き馬の目を抜いているのはここ!』という部署であるし、軽く挨拶だけと思い面会時間丁度、ICUのインターホンを鳴らし「1ヶ月前にお世話になりまして、今日退院です」と伝えると「あっ!開錠します」と事務の人がそう言った直後、扉の向こうに聞こえたのはざわざわとした人の声と複数人の足音
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さては急変か、この命の砦に呑気に退院報告というのはそぐわなかったのかと身構えた時「どうぞ」と開いた二重扉の前に、20人近い人間がずらりと並んでいた。藤色のスクラブと紺色のスクラブ、深緑の術衣の人々。何ごとかと驚き慄く私と娘に看護師のひとりが「自分達に見覚えはないか」と笑顔で聞いた。
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私には前列の数名、娘を担当していた看護師に見覚えはあったけれど、背後の特に医師であるらしい人々が全く分からなかった「どちらさまですか」と聞くとそれは呼吸器科医と集中治療科医と臨床工学士だという、実際はこの倍の人数が、ICUに入院していた娘の為に総出で日夜稼働してくれていたのだそう。