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大学病院の病棟にいた頃、PICUが全床循環器疾患の子で埋まろうがカテ室で患児の心臓が止まろうが現場の最前線に立ちつづけていたタフと書いて『4歳の外来担当主治医』はご自身のクリニックを持ってこの第七波
「忙しすぎて倒れた」
らしく額に大きな擦過傷。みんなこんなに頑張っているのに。
202
京都で学生をしていた頃、送り火の日はアパートの大家さんが屋上に登らへんかと店子の皆を誘いに来た。遠くに赤い火の灯る大文字山を眺めたその時は
「珍しいもん見た」
位にしか思っていなかったそれが京都の人の地方から来た若者への優しいもてなしやったんやと今になって気付くのだから人生は。
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私が真夜中近眼の視界を更に別の理由で曇らせながら目撃した病棟の廊下を歩く青い服の男は幽霊ではなかった。あの頃先生はどれ位帰宅できていたものか、労働基準法とは砂漠の幻か、しかし今ああいうひとびとが最前線で命の砦を守ってくれているのだ。文句なんか言うたらあかん(CV:上沼恵美子)
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真夜中の主治医だった。主治医は娘の術後回復が難航して、次に何が出るか予測不可なもので帰るつもりが幾日も帰宅できず、その上連日小児の救急搬送が続きそれの多くが呼吸器系の疾患、そして循環器医は当時病棟にひとりだけ。寒い冬から温かなさみどり色の春の来る頃、循環器系疾患児は皆調子が悪い。
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ある晩、娘が軽い痙攣をおこした。娘は術後の昏睡が長かったもので脳に損傷の可能性を示唆され、私も周囲も娘の状態に過敏になっていた。夜勤の看護師が主治医を呼びますと院内PHSでその日はもう帰宅したはずの主治医に連絡をして数分、見るとあの青い服の青い顔の男がぼんやりと病室に立っている。
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その人は中空を見つめこちらがまるで見てない様子で、ずるずると足を引きずるようにして病棟の奥のPICUに消えた。それは救急車の音の聞こえた後、病棟の廊下の少しざわつきの後に必ず起きる。夜中の病棟を歩くときには眼鏡を外していて、いつも視界の朧ろな私はそれを病棟の幽霊だと思うようになった。
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小児病棟には幽霊が出る。それを見たのは去年の春に4歳の娘が長く入院していた頃のこと、深夜娘の狭いベッドの隙間から這い出した私は青い服の青い顔の男がふらふらと廊下を歩く姿を見た。それは救急車が立て続けに3台救急入り口に停まった日、PICUの廊下が潮騒のようにざわついてそれが引いた後。
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13歳が帰省もお墓参りもお盆らしいことは何もないしつまらんと言うので私が祖母の名代として、夕飯を角煮とサラダと巻きずしと小さいグラタンと後からスイカという田舎のばあちゃんの食い合わせ選手権をしてさしあげたら「そういうんとちゃう」と言われまして。うちの実家のお盆はそういう感じやで。
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世の中は迎え盆で、4歳のお友達には今年が新盆である子がいるもので
「あの子が帰って来るんやで」
という話をしましたら、窓辺にぬいぐるみを沢山並べてその子のことを待っているのですけれど、お友達は自分のお家に帰るのであって、うちには遊びにこないのだよって私は上手く説明できないのです。
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本日、ウチでは唐揚げを1㎏揚げる儀式があり
ケーキのろうそくを吹き消して無事に娘が11歳になりました。
11歳の女の子というのは眩しいくらい透明な生き物ですね。少し難しい妹のある娘は妹のことを「ふつう」だと思っているそうです。
全速力で|きなこ @3h4m1 #note note.com/6016/n/n2839bc…
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ワーファリンを服用しているのでタンコブひとつが大事故の4歳が、ソファから落ちて少し頭を打ちまして、ああ祝日で病院は救急になるのにと私は焦るのに4歳は特に痛くはないらしく冷静で
「Hセンセイがいてるしダイジョブよ」
この主治医への絶大な信頼、祝日は当直やろと言うその実績(大体いる)
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普段知らない人によく話しかけられる私は今日もスーパーで見知らぬおばあちゃまから「孫がばあちゃん家にどうしても行く言うて東京から来るねんけど15歳の男の子で水泳しとる子って何食べると思う?何でもええ言うのが一番困るの」と聞かれて、多分ですが肉ですね。そしてそれは幸福な自慢ですね。
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大阪の長居公園の中の自然史博物館には駅を降り公園に入って1㎞ほど、この炎天下に心臓疾患児の4歳はそう歩けないし上の子に酸素ボンベをもたせて私が17㎏を背負った訳ですが木陰のベンチの大阪のじいちゃんばあちゃんらに
「おかあちゃん、がんばりー!」
という声援をいただきました、まかせろ。
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自然史博物館の特別展示を見に行きまして、色々の剥製や標本を4歳は怖がるかしらと思っていたら意外にクモとカマキリの展示を好み、お隣の太陽みたいな髪色のお姉さんと
「虫すき?」
「ウン」
「これキレイやね」
「ウン」
そんな会話をしていました。虫めづる姫、君らはきれいなものが好き。
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「マクドナルドの募金箱の写真の子は退院しているのですか」と娘に聞かれた旨のツイートをしたら、その後の顛末がとても嬉しいことになりました。ドナルドマクドナルドハウスは全国11か所、病気の子どもと家族のための宿泊施設です
マクドナルド友達|きなこ @3h4m1 #note note.com/6016/n/n7ac081…
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ただいま4歳が4冊目の絵本の読み聞かせ『ねずみくんのチョッキ』でことりと眠りに落ちまして、ようやっと私の1日にも終わりがやってきましたが、寝室を覗きにやってきた13歳が眠る妹の隣にごろりと転がってひとこと
「いやー寝てる時が1番可愛いわー」
お父さんか。
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伯母が亡くなりました。娘三人に囲まれた穏やかな最期だったらしいのですが、諸事情あって伯母が息子のようにして育てていた孫は出棺の時など大丈夫かなと皆そちらに気がいっていたらしいです。伯母の遺したもの。
サヨナラだけが人生ならば|きなこ @3h4m1 #note note.com/6016/n/n95bdb9…
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脳が疲弊してくると必ず「それいま必要?」というものの欲しくなる私は台湾の調理家電『大同電鍋』を欲しくなり、台湾のリンさんが「あなたザツだし説明書も読まないし、そういう人はコレがいい、魯肉飯も作れる」と言って勧めてくれるので悩んでいます、リンさんは私の脳内にいる架空の人物です。
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時折お外で出会う首の座った位の月齢の赤ちゃんというものは、夏の陽の光を真白い積乱雲を遠くに眺めて目を眇めながら
「わたくしこの世界はまだまったく不慣れなもので、あのきらきらとふわふわしているものは一体何ですか」
と生真面目に困惑した顔をしていることが多くて大変に可愛いですね。
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昨日の朝、広島の平和祈念式典を見ていた4歳はあの白い黒い服の人々を平和の鐘を見て、それを幼稚園で時折あずかる礼拝だと思ったらしく何かを祈っていました。
戦争を知らぬ世代の次の次の世代の子どもが一体何を祈ったのかはわかりませんが私個人は広島のデルタに永遠に緑の輝くことを祈ります。
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モロゾフのプリンのガラス容器と言うと私の周囲ではクリスマスの頃「キャンドルサービスで使いますのでお家にありましたら…」と幼稚園から収集をかけられその時は皆小首を傾げながら
「家にいつもあるもんとは違うけど…」
そう言うくせに実際はあっという間に予定を上回る数が集まるあれ。
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普段コーヒー豆を買いに行く喫茶店のような食堂のような店があって今日も豆を買おうかなと思って出かけたら店が
『暑くてくさくさするしええクッキーも焼かれへんかったので俺は休む(大意)』
そんなことで臨時休業で、仕事とは人生とはかくありたいと思った向日葵のうつくしい夏の午後のことです。
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夕暮れの驟雨の中を息を止めるようにして駆けてゆく少年というのは、歌に詠めそうだし言葉としても情景としても懐かしい夏であるのに我がこととなると
「なんで傘持って行かへんかったん、パンツは無事なんかパンツは」
「あかんパンツも全滅や」
ってパンツの話に終始してしまうんだ私たちは。
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スイミングスクールの観覧席にセブンティーンアイスがあるだけでそこに通いたかった子ども時代が私もありまして、17歳を越えた日から食べてはいけないとなぜだか思い込んでいたあれは今、子ども達の一番好きなソーダフロートのみずいろと白い制服と夏空の取り合せがあまりに夏すぎて個人的に夏の季語。