新しい世界観ってのは「今の世界に居場所がない」と感じてる人しか作れないもんだな。そこそこ居心地が良いのに新しい場を求める「必要性」が無いのだから。
他人に良いことをして返ってくるのは、そこに共感や敬意がある場合のみ。何もなければ与えられるのは「当然の権利」と考えるようになり、足りなければ「さらに要求する」ようになる。長期的にギブアンドテイクな関係を望むなら、お互いに敬意や共感が存在してるかを見るのが良い。
まだ表面化してないだけで、従来の仕事は着々とAIに削られてるし、付加価値も下がってる。人口ボーナスを失い成長が止まった国では、新しいテクノロジーの周辺にしかチャンスは生まれない。個人の生存戦略としては、成長国に移住するか・技術革新の近くにいるか・衰退を我慢するかあたりな気がする。
2018年は色々な社会システムが限界をむかえて崩壊する歴史的な年になるだろうな。2017年ですら時代と合わなくなって様々な仕組みが悲鳴を上げていた。「こちら側」に残るか、価値観を切り替えて「あちら側」に飛び乗るかが運命の分かれ道。自戒も込めて覚悟が必要。
人間はみたいようにしか世界を見れない。目新しい知識を詰め込むよりも、まず自分の脳にこびりついた思い込みを外す作業のほうが実は優先度が高い。そして、思い込みは体験を通さないとなかなか外れてくれないのが厄介。
一番やりやすい場所でやる。説得することに時間と労力を費やすよりも、できる場所でさっさと作ってしまうほうが時間対効果が高い。何よりも熱量を奪われるのを避けたい。
結局は①好きで②得意で③需要があるの三つを同時に満たすこと以外は続けられないし、価値も発揮できないもんだな。それが見つかれば後は脇目も振らずその領域を深掘りし続けるだけで良い。
あれほど才能のある人でも普通の人生の半分の時間しか与えられていなかった。死んだら名誉も金も称号も本人にとっては何の意味もなくなる。誰にでもいつかはあり得る展開。後悔は残さないようにやっておきたいと改めて思わされた。
バーチャル都市の建物の内部を自動で埋めてる人いてすごい…建物内部の床・柱・壁・机・イス・インテリア等を自動生成。部屋の中まで動き回れるようにできるのは便利。 twitter.com/TearUpGame/sta…
「〇〇の才能がない」「あの人のようには成れない」って悟ることは必ずしも悪いことではない。自分の限られた強みに特化する覚悟が得られる。在り方に迷いが無くなる。一つのことしかできない人のほうが社会では突き抜けやすい。ただ、振り切るためには他の道を諦める必要がある。これが一番難しい。
実際は人間って死ぬギリギリの間際まで世の中の幻想に縛られて他人の時間を生きてしまう生き物なんだろうな。何の制約もない圧倒的な自由に対する潜在的な怖れのようなものがどこかにあるんだろう。
そうか。自分から遠い存在を排斥したり攻撃したりが盛んになってきた背景は、世の中が不確実で不安定になってきて、人々の足下のアイデンティティが崩れてきてるからか。自分と対極の存在を攻撃するという活動は、自分が何者であるかを確認でき、その価値を実感できるという役割があるのか。
他人に生きる活力を与えると自分の生きる活力も増えるけど、自分のためだけに生きるとやがて自分の活力は減る。誰かの悩みを解決することに忙しいと、自分の悩みが気にならなくなる。他人のためのようで自分のためでもある不思議な話。
東京のど真ん中ですらカードすら使えない店おおい上に、紙のレシートを毎日何回も渡されて断らなければならない。まるで世界でこの土地だけ何十年も時間が止まってるみたいだ。なんかの呪いか。
技術も資金もアイディアも膨大に溢れて、活動が分散的になっていく時代だからこそ、逆に何かに集中して深くコミットできること自体の価値が上昇するって昨日話してて、全くその通りだなと思う。あらゆるものが流動的で刹那的で日和見的だからこそ、環境に左右されずに「貫ける人」に価値が集中する。
個人が持つ価値によって得られる報酬や機会の格差が急速に開いてきているなと最近よく感じる。特にSNSによって誰でも評論家・専門家になれる時代なので、発言ではなく実行力とそれによって出した実績の重要性が増大。言ってることではなくやってることをみればいいから楽ではある。
やることが増えてくると時間の使い道だけではなく精神の使い道にも優先順位をつけていく必要性がでてくる。あれこれ手広く考えても、深掘りできなければ使った時間と精神が無駄になる。
途方もないものを望むなら長期間に渡って誤解される覚悟をしなければならない、って本当にその通りだと思う。成果を得るための代償として先払いしなければならないコスト。逆に、安易な道に流されたコストは後払いになる。
ツイッターなどのSNSの学習がさらに進むと、本人はつぶやいたり誰かに絡んだりしてるようで、相手からは存在を認識されてないってことになる未来も。やってるほうは満足して、やられてるほうは見えていないって確かにどちらのユーザーも離脱しない。それぞれが見たい現実のみをシステムが見せる。
統計では小学5年生の国語の問題を9割正解できるのが成人の約2割。論理を扱える人の比率は昔から変わらないので、残り8割の人に伝えたい昔の指導者は言いたいことを歌や絵にして伝えた(宗教など)/ 「日本人の5割くらいは5行以上の長文読んで意味を取ることができない」togetter.com/li/1651304
血のにじむ鍛錬で人間がどれだけ速く走れるようになっても、(構造的に)月にたどり着くことができないのに近い。鍛錬は無駄ではないが、月に行くにはロケットを開発する必要がある。ただロケットを開発してると、必死に筋トレしている人達から「あいつは努力していない」って言われる虚しさに似てる。
仮想通貨ビジネスも政治力が鍵になってる、こうなると既存の金融業界の人達は強い。省庁の誰を知ってるかとか、前職で同じ金融機関だったとか。一方で新しいものを作りたい人にとってはこういう金融村のロビーイング合戦みたいな展開はテンション下がる。新しい利権ができただけだな。
適当に茶を濁しながら時間を稼いで、自分の代は定年まで逃げ切ろうとしてるのがいつも透けてみえる。フィンテックとか余計なことやるんじゃねぇよって言うのが彼らの本音だろうな。仕事増やすなと。
フォーカスの力ってすごい。あれこれ色々なこと考えると何も進まないけど、ひとつのことだけに思考を集中して、他のことを忘れると、どんどん深掘りできて点が線になってく。忙しい時ほど「忘却力」を身につけると突破口が見つかる。
なので人生の早いタイミングで何かしらの成功体験を自分で勝ち取らないと、その後は可能性を信じられなくなり負のスパイラルから脱出できなくなる。「未来の可能性を信じれる力」ってのは子供が真っ先に獲得しないといけない能力かもしれない。