Shotaro TSUDA(@brighthelmer)さんの人気ツイート(リツイート順)

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この記事によると、かつてはこの手の合成動画は有名人のものが一般的だったが、最近では知人や家族!の映像をもとにポルノ動画を作成するビジネスまで生まれているらしい。また、この手のディープフェイクは以前には政治的なものやパロディもあったものの、現在ではだいたいがポルノになっている。
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ぼくが大学院生のころ、当時の流行テーマをやっていた年長の院生が、とある年輩の研究者を指して「あの人、時代からズレちゃったんだよな」と評していた。それから約20年、その「ズレちゃった」とされた研究者の昔の論文を読むと、その年長の院生が書いていたものよりも現代性があったりする。
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ある問題が発生したときに、論点がずれていって「その問題を報じたマスメディアの問題」へと移行していく過程については、山口仁『メディアがつくる現実、メディアをめぐる現実』(勁草書房、2018年)に詳しい。そうやって「マスメディアの社会問題化」が起きれば、当初の問題はうやむやになる。
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「国をあげて盛り上がっているときに、しらけるようなことはやめておけ」という発想を「宴会同調主義」と呼んだ研究者がいたのだが(浅見克彦『批判のエロス』青弓社)、今度のオリンピックは日本社会でこの宴会同調主義がどれぐらい強いのかをみるうえでいいバロメーターになると思う。
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さらに、この女性の自宅や職場の住所まで晒され、心理的に参ってしまったという。申し立てによりその合成ビデオや個人情報は削除されたそうなのだが、いったんネットに出ると完全に消去するのは難しい。
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「不祥事を起こした政治家が不快な表情をする映像が流れていることに対しBPOは注意しないのか」という妙な質問が出る会合の後で「BPO委員の人選に国会が関われないか提起したい」という声が出てくる怖さ。news.ntv.co.jp/category/polit…
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聴衆のなかから、サッチャー氏の功績を評価して反論を始めた人がいた。その二人のあいだで論争が始まって、周囲の人たちはその様子を眺めている。ぼくはサッチャー氏は支持しないけれども、その様子を見て「民主主義というのはこういうものなのか」とつくづく思った。
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『専門知は、もういらないのか』で面白いと思ったのは、米国のジャーナリズムが駄目になった要因の一つとして大学でのジャーナリズム教育が挙げられていた点(p.192)。ジャーナリズムが職人の仕事から学問になったことが問題だという。
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動画作成のための素材はソーシャルメディアにたくさん転がっているという。Zoomの画像をもとにビデオを作ったこともあるとか。こういう話を読むと、クローズドなソーシャルメディアであっても顔写真を晒すというのがリスクなってくる感がある。
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プロパガンダでは大事なポイントを繰り返し伝える必要があり、広告業界出身者はそこをよく理解しているのだが、ジャーナリスト出身者は繰り返しにすぐ飽きてしまい、新しいテーマに飛びつこうとするのが良くないと第二次大戦時に戦争プロパガンダに関わっていた人が書いていたのを何となく思い出した。
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酒井氏の記事中でも言及されている通り、難民の扱いをみても、ウクライナ難民と、中東やアフリカ、アジアから難民への対応に露骨な違いがあるのは明らか。で、こういうダブルスタンダードが放置されていると何が起きるかといえば、国際秩序が規範としての力を持ち得なくなってしまう。
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遅ればせながら、江原由美子さんの「からかいの政治学」(『増補 女性解放という思想』ちくま学芸文庫に所収)を読んだ。初出は1981年とのことだが、昨日か一昨日ぐらいに書かれたんじゃないかと思うぐらいに現代性がある。(1)
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いわば、表現の自由以前にその自由を行使する力をそもそも奪われている存在。だから、サバルタンという概念を否定するのであれば、表現の自由が平等に享受されていない現状を肯定し、自身を語れないのであればそんな人々は無視してよいという話になりうる。(続)
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あんまりこういうのを言いたくはないのだが、1月号で「トランプ票 三百四十万が盗まれた!」という記事を載せておいて、2月号で「陰謀論はなぜ拡散したのか」「フェイクの発信源は圧倒的にトランプ陣営」という記事をしれっと売りにするというのは、どういう神経をしているのやら。
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毎日新聞の掲載された酒井啓子氏のコラムが「どっちもどっち論」だと批判するツイートが流れてきた(有料記事)。ぜんぶ読んだが、これを「どっちもどっち論」だと言うのは、かなり無理があると思う。mainichi.jp/articles/20220…
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ちょっと前に「憎悪クリエイター」というのが話題になった。要するに、集団間の憎悪をわざと煽る記事を書いてPVを稼ぐという話。1996年に出版された本(翻訳の出版は2003年)を読んでたら、米国ではその手の話はかなり以前からあったことが分かったので、ちょっと紹介。
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この間の授業で、犯罪被害者が被害者として世間から同情されるのにはいくつかの条件があり、その条件をクリアしたとしても、ずっと受け身の客体でない限り、同情がバッシングへと転じる可能性があるという話をした。主体的、積極的に発言を始めると「ずるい」「がめつい」という感情を
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そういう文脈を無視して、しょーもない敵対構造を作り出して「表現の自由」を唱えるとか、ちょっとどうかしているんじゃないか。(終)
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授業の最中に堂々と漫画を読む生徒がいたら、本人は誰にも迷惑をかけてないと言い張ったとしても、「この授業は聞くに値しない」というメッセージを全身で発するのだから、教室の秩序をすでに大きく損なっている。教室内のパソコンで、ある生徒が授業と無関係なサイトをみていたら、周囲の生徒の
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つまり、「国際秩序」というのが欧米+αにとってのご都合主義でしかないというように非西洋世界からはみえているのではないかということ。これはきわめて妥当な問題提起であって、どっちもどっち論などと矮小化するべきではないと思う。(おわり)
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@kondohi 特命チームを立ち上げてプロジェクトX風に自衛隊の大規模接種を政権の成果としてアピールしたかったのに面子が潰された形になったので、それをごまかすのに朝日と毎日だけをピックアップして、いつものウヨサヨ対立の構図に持っていき、ダメージコントロールってところじゃないですか。
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封じ込めたい主張が出てくると「上級弱者」としてレッテルを貼り、他の人びとの利益とは相反する主張なのだと言い立てることで、連帯を困難にして孤立させる。トラブルメーカーもしくは既得権者扱いして一丁上がりという感じ。
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猪瀬さんに限らず、「メディアに煽られて事前には反対と言いつつ、開催されたらそれをすっかり忘れてオリンピックに熱狂する愚かな大衆」というイメージを持っている人がいるように思うのだが、世の中の人びとはもうちょっとしたたかだと思うんだけどな。
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テレビの世界というのはある種、内輪なところがあって、いったん離れると、多くが内輪受けに思えてしまい、全く面白くなくなってしまう。メディアの王様だったテレビは何十年もかけて、チャンネルの違いを超えてその内輪の世界を作り上げてきたのだが、それが急速に崩れつつある感じ。
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「ジャニー喜多川を叩いているのは左翼」というツイートをたくさんみて(検索をかけたからだが)、粗雑なカテゴリーで物事をみていると解像度がどんどん落ちるということを改めて痛感する。文筆家でも、かなりやばい人がいる。