すぺすぽん(@Iwatekko6969)さんの人気ツイート(古い順)

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そして深沢氏は遂に決断します。 それが「1歳未満の乳児と65歳以上の高齢者の、医療費の永久10割負担」でした。 当時、患者側5割負担が義務付けられていた日本国の保険制度では、沢内村のようなド貧乏寒村の村民が医者にかかることなどできるはずもなく、「医者にかかる=破産」でありました。
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岩手には「竈門をひっくり返して家計を破産させる」という意味で「竈門キャシー」という言葉があります。 当時の沢内村では、医者にかかるとこ自体が「竈門キャシー」的行為であり、長患いの年寄りは自決するものと相場が決まっておりました。 深沢氏はその状況をひっくり返そうとしたのです。
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ですが、これには医師会からクレームがつき、岩手県庁も慌てて沢内村の説得を試みました。 ですが深沢氏は 「憲法が保障できない健康ならば、その健康は村が守る。国が村を訴えるなら上等だ。最高裁まで争ってやる。国は後からついてくる」 とまで言い切りました。
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これにより、1962年、沢内村は全国の自治体で初めて乳児死亡率0を達成します。 かつて、現在のソマリアの乳児死亡率より酷い乳児死亡率7%を記録してい、名実共に全国で一番子供が死ぬ村であった沢内村は、全国で一番子供が健康な村へと進化したのであります。 その間、わずか8年。
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ですがその直後、深沢氏の身体に食道癌が見つかり、村長在職のまま、1965年、深沢氏は肺炎のために死去します。 猛吹雪の中、無言の帰村を果たした深沢氏の遺体を乗せた車は、瞬く間約1000人の村民に取り囲まれ、村の入口から葬儀会場までたどり着くのに数時間を要したといいます。
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そして1966年、彼が守り抜いた沢内村診療所の敷地内に、 深沢氏の不滅の功績を讃えた『いのちの灯を』を題されたモニュメントと、彼の胸像が建立されました。 この象の除幕式の日は、豪雪と戦い続けた彼の生涯を象徴するような、凄まじい猛吹雪の日であったと言われています。
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これは超貴重な映像……! 多くの人が「イワナは山を登る。大雨の最中に水のない所を張って山を登り、分布を広げてゆく」と証言している。事実、放流も移植も行われていない山奥の沢にもイワナがいる場合は数多い。 twitter.com/Aqua_Char/stat…
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誰か研究して欲しいんだけど、大体の川で「ここからヤマメとイワナが入れ替わる」とか「モクズガニはここから先には登らない」という生物的な分布が入れ替わる地点には高確率で神社やお堂がある。 そういう場所には「神様が魚を通せんぼするからその先に魚がいない」とかいう言い伝えがあったりする。
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@tips_boxes マジで誰か研究して欲しいんですよ。釣りしてて「おっ、イワナが釣れ始めたか」って思ってふと顔を上げると神社ないしお堂があったことが一度や二度ではないのです。 私、今とんでもない思いつきを口にした気になってます。私が新たな学問、生物民俗学、もしくは生物誌学の祖になるんですよ。
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バズったので先週の土曜日に釣っためちゃくちゃ美人だったヤマメを宣伝させてください 重ね重ね言いますがめちゃくちゃ美人でした
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@cicada3301_kig ロムヴァっぽいですね。 ソ連に宗教弾圧されすぎたため、ソ連崩壊後にバルト三国古来の宗教を復興する中で、もうキリスト教通り過ぎて古代宗教にまで遡っちゃったヤツ。
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@goshuinchou 七人ミサキ……。 秋田マタギも、山で突如、生暖かい風に吹き付けられる事があり、その時は「ミサキ風にあたった」と言って引き返し、その日の猟に落ち度がなかったか顧みるという。 そういう時は、親戚にお産があった人がいたり、七人で山に入ってたり、必ずマタギ側に落ち度があるもんだそうです。
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な? 田圃って凄いやろ? ああやって大面積を取って、浅水管理で、日光をめちゃくちゃ上げる事で熱帯原産の稲を何とか生かしてるんや。 日光が降り注ぐから微生物も発生しやすく、それを食べる生物も増え、生き物たちがたくさんやってくるんや。まさに水田は人工の揺りかごなんや。 #鉄腕DASH
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数日前、溺れる息子を助けて溺死した父親が全国ニュースになっていた。 川原が広くて一瞬平和な流れだと錯覚しやすいが、対岸が岩のガックリ抉れた壁で、水押しの強い深み。ここで流されたら溺死するまで浮き上がるまい。 素人は川原にこそ警戒しろ。 川原の反対側は自然法則的に必ず深みなんだ。
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何度も言って自慢したいんだけど。 数年前、岩手県の遠野市を歩いてたら、 『若草色の着物に雪駄、ごま塩のざんばら髪に丸眼鏡、ステッキを持った手に黒い指抜きグローブを着け、爆笑しながら凄く機嫌よさそうに街中を歩く男』 に遭遇した。 京極夏彦先生だった。 #あなたの狂った体験を聞かせて
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その時たまたま雑誌『幽』の講演会が遠野市であったらしく、荒俣宏大先生、宮部みゆき大先生と一緒に、その座談会講演会に出演するため、遠野にいらっしゃっていたのです。 おかげで遠野ドライブの予定を大幅に変更し、飛び入り参加で京極夏彦先生の講演をまるまる全部聞いてしまいました。
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@V6CzxxsinuhLcvz しかも案内役のスーツ2人に挟まれてました。ヤクザの親分にも見えない風体なので、すれ違う人々がみんな「何者!?」って立ち止まって振り返ってました。 オフの京極夏彦先生はめちゃくちゃ機嫌がよさそうで、街をぶらつきながらめっちゃニコニコしてました。
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バズったので宣伝させてください!!!!!!!!!!!!!!!!! 『遠野物語』刊行の舞台、民俗学発祥の地として有名な岩手県遠野市は、いまだに色々ないかがわしい名所旧跡の類がなお数百件あるならんの土地であります。とても一度では回りきれないボリュームを約束できます! すぐに来い!!
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@xarnstfmC9t7LIY その後の講演会で、 「昔、私が遠野市に通い始めた頃は、『遠野は民俗学発祥の地であって妖怪の住処ではない! 味噌もクソも一緒にすな!』というお叱りを随分受けた」 と仰っていました。 自分が一番妖怪じみた風体してましたけどね。
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学生の頃、ニコニコ動画に嘘字幕シリーズを投稿してた時、とあるセリフがそうとしか聞こえず、このシーンの字幕に、 「おっぱいプルンプルン!」 という字幕入りの動画を投稿した。 それが今ではこの映画を代表する名台詞に成長した。 画像はイメージです。 #あなたの狂った体験を聞かせて
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バズったので宣伝させてください!!!! 何分記憶も記録も曖昧なのですが、仮に、仮に私が総統閣下に言わせた『おっぱいぷるんぷるん!!』が全ての始祖・起源・元凶だった場合、 総統閣下が悲壮な顔で『おっぱいぷるんぷるんが見たい!!』と慟哭した人は確かこの人のおっぱいぷるんぷるんです。
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@tamanotetu 『畜生めぇ!』は違います。『大っ嫌いだ! サンライズのバーカ!!』も別の方です。
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このシーン、勝新太郎が黒澤明と喧嘩して降板した事件の直後だったから「勝新太郎がへそを曲げればこの大河が終わる」という意識が俳優だけでなくスタッフの間にも共通しており、一発録りのこのシーンはマジで全員が震え上がっているそうだ。 #独眼竜政宗 #麒麟がくるまでお待ちください
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#独眼竜政宗 #麒麟がくるまでお待ちください さとう宗幸氏が演じた支倉常長の慶長遣欧使節が乗った船、サン・ファン・バウティスタ号も、石巻市に復元されて現在も一般公開されております。日本最大の木造船であります。 老朽化に伴い、この先見学できるのもそう長い時間ではありません。
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アッネの勤める保育園で、 「朝、天狗が空を飛んでくる」 という話をする子が年に数人入ってくるらしい。 子供たちの話はだいたい一致していて、その天狗は超巨大で、たまに早池峰山の方から飛んできて、近くの○○森に腰掛けるのだという。 その時物凄い轟音がするが、大人には聞こえないとか。