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『銀の匙』とか『百姓貴族』を読んだぐらいで「酪農家って面白いんだなぁ」と思ってた時の自分は存分に愚かだった。彼らには休日の概念、労働時間の概念、趣味の概念、この3つは有り得ない。
逆に今、「酪農家やりながら漫画描いてた荒川弘って何もんなんだ? サイボーグか?」ってなってる。
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@rantyuu00 漫画家になった時
「忙しい時は徹夜もありうる」
と言われ、
「毎週徹夜してる酪農家より全然楽じゃん!」
と驚き、それ以後まるで定時退社くらいの気楽さで『鋼の錬金術師』を12年連載したそうですね。
酪農家はちょっと普通じゃないと勤まらないんですよね。『1ハガレン=1酪農家』ですね。
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@North_ern2 ハンガーノックにかかった方の体験談を聞いたことがありますが、目の前を歩く人の姿がだんだん小さくなってゆき、最終的にくるぶしぐらいにまで小さくなってたそうです。ようかん食ったら、元の大きさにムクムクと戻ったとか。
他にも、お地蔵さんが数百体見えたとか、家族の声が聞こえたとか。
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ナマケモノの親は成人した子に、ひとつプレゼントをあげるという。
それは今自分がいる木から降り、その木を子に明け渡すことだ。
当然、ナマケモノが木から降りるという事はかなり危険な行為。そのまま殺られる個体も多い。
地面を這いずるナマケモノがいたら、それは成人のお祝いなのだ。 twitter.com/FIFI_Egypt/sta…
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@isoo_ 正直、児童虐待事案を、法律じゃなく福祉の範疇で営むことに限界がありますよね。
誰も警察署や弁護士事務所に「法律違反だ! 子供返さなきゃ訴えるぞ! ここで腹切るぞ!」って怒鳴り込む人おらんでしょ?
児相にも専属の弁護士いなきゃダメですよね。
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本当に、これだけは言いたい。
大雪に見舞われる関東の農家よ、今夜夜2時に起きてハウスがヤバそうだったら、カッターナイフでビニールを裂くんだ。ビニールはすぐ買えるが、骨が逝ったら5月まで復旧は不可能だ。
とにかく今夜ビニールハウスの上に雪が少しでも積もってたらビニールを裂け。
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ああ、これやな。
ある坊さんから聞いた話だけど、「『人に迷惑をかけない』というのを人生訓にしてた人ほど、老人ホームでは極悪な人間になる」と言ってた。
そういう人は迷惑しかかけられない存在になった時に、タガが外れて一気に横柄に、そして暴力的になっちゃうそうだ。 twitter.com/shu_yamaguchi/…
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「人に迷惑をかけない」と念じてる人は、「それがいつか報われる時が来る」と信じてんだよ。
報われることなく社会から退場を迫られた瞬間、それは「命の限り社会に復讐してやる」という怨嗟に変わる。
鬼ですらない、餓鬼の道とはこのことだ。他人の迷惑を考えることは餓鬼道への第一歩なんよ。
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アボカドは天ぷらが最高。
アボカドは油分が物凄いので、衣つけて天ぷらにするとエグい濃厚さが感じられて非常に美味。タラ白子の天ぷらを食べてるような極濃厚感が味わえる上、麺つゆとも相性が良いので、本当に美味しい。
#鉄腕DASH
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ママ母が「いいシーンなのにめっちゃ軽トラックの轍があるんだけど……」って呟いてて笑いが止まらない。
田舎民ならわかる草の生え方。
#麒麟がくる
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@qfiZZJ0DagldgTt あと棚田のシーンでも、棚田の端っこの方にコンバインでバラバラに切り刻まれた稲藁クズが山積みに捨ててあってこれも草生えました。
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@goshuinchou この間見た素敵すぎる道祖神を鑑定して下さい!!
ちんちんのなる木です!!!
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あれ、ブラートブルスト・シュネッケンって言うのか(驚愕)
ソーセージマルメターノじゃあないのか(愕然)
#鉄腕DASH
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浜田雅功「お前なぁ!」
志村けん「先輩に『お前』って言うなよ」
松本人志「そうやでハマタ! こいつにお前とか言うな!!」
いまだに覚えてます twitter.com/matsu_bouzu/st…
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島根県民と岩手県民、お互いに「おっ……お前が相手か!」みたいな感じになってる。
岩手県民は「あの砂漠があるとこか」と思ってる。
鳥取県民は「平泉・橋野高炉の2つの世界遺産を擁し、龍泉洞や小岩井農場に加え、『あまちゃん』の舞台ともなった、あの岩手が相手か」と思っているに違いない。
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深沢晟雄の功績としてよく知られる「ブルドーザーで除雪無双」ですが、彼は当時、岩手県内にも3台しか存在せず、それを借りる予算が村の8分の1になるブルドーザーを、村の特別会計組んで買い、村中をゴリゴリ除雪し、村民が冬期間も自由に医者にかかる事が出来る命の道を切り拓いた事であります。
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また、当時沢内村には医者がおらず、回されてきた医者がヤク中だったため、深沢氏がブチ切れてクビにして以降、村は無医村になりました。
深沢氏は自分の母校の福島大学の真ん前に宿を借り、述べ9ヶ月間日参して嘆願を続け、遂に「鬼才」と呼ばれた天才医師・加藤邦夫医師の派遣を勝ち取ります。
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だが当時、沢内村の各家庭の権力は姑が握っていました。姑がウンと言わなければ、母親が子供を医者に見せることすらできませんでした。
そこで深沢氏は「おばあちゃん努力賞」を創設します。
これは、村で一番よく孫の面倒を見た姑に、村が賞状と高級座布団をプレゼントする企画でした。
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これは各家庭の姑間のプライドを著しく刺激し、子供が咳ひとつしようものなら慌てて病院に押しかけて医者に診せ、ミルクの飲ませ方までいちいち心配する姑まで出ることになりました。
こうして村民の「風邪は寝てれば治る」という状態は急激に改善されていきました。