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子育てを通じて、自分の幼少期を追体験することがあると思うのだけど、自分が幼少期に満たされなかった思いや、誰かにぶつけたかった気持ちが、自分の子どもの育ちと同化してしまうことがある。目の前の子どもは自分の幼少期ではないし、別々の人生だと意識しないと、感情が揺さぶられる場合がある。
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くすぶった感情が、ぶつけるべき人にぶつけられないままになってしまっていると、時にそれは、立場の弱い人へと流れていく。ぶつける側は正当性があると思っているけど、感情を紐解いていくと、本当にぶつけたい相手は、過去の誰かだったりする。
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自覚も難しくなったような、もつれて絡まってしまった感情を、ひとつずつ紐解いていって、整理して、本当にぶつけたかった相手が誰なのかに気づき、言語化する作業を、一緒にしていくような伴走者が必要なのだと思う。
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自分さえ我慢したら、集団が平和に丸くおさまると思ってしまうタイプの人、「集団」から自分を外してしまってること、忘れがちだと思う。自分も含めて丸くおさまる方法を考えるのって、難しいし労力がいる。だから自分さえ我慢したらと思ってしまうのだろうな。
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子どもが親離れするより、親が子離れするほうが難しい場合がある。親にとって子どもはいつまでも子どもだと思ってるけど、成長につれて、自分だけの世界、子どもだけの世界を広げていく。子どもが巣立っていこうとするときに、うまく子離れできるように、親も自分だけの世界を持つのも大事だと思う。
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何回かつぶやいてるけど、娘が生まれるとき、周りの20代〜30代女性に父親との関係をリサーチしたんですよ。そしたら、大人になっても父親と関係がよい人は、かなりの確率で父母の仲が良い。女性陣いわく、自分のことをいくら可愛がっても、自分の母親(妻)をないがしろにする父親は信用できない、と。
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感染爆発している中で、オリパラ強行し、PCR検査を優先的にまわし、東京マラソンまで開催している中で、子どもたちは、給食は黙食、遠足や修学旅行、行事は延期や中止、たくさん我慢させられてきた子どもたちは、いまの大人の背中や政治をどんなふうに見ているのだろうと暗澹たる気持ちになる。
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いまの子どもたちは、当たり前だけど、数十年後には大人になり、社会を担っていく。社会を作る側になる。そんな子どもたちが、自分たちは大人や社会に大事にされた、守ってもらえたと思えることが、先の未来に繋がっていくのではないかと思う。
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対人関係で不安が高い人って、嫌われてないか、悪く思われてないか確認したい気持ちが強い。そうして自分の良い評価よりも、悪い評価ばかり確認してしまい、余計不安になる。たとえ良い評価があっても、それに見合うはずはない、もっと悪い評価があるはずだと、不安な状態で安定しようとしてしまう。
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支援者として「相手の感情に巻き込まれない」スキルは、自分も相手も守るために大切。一方で、若くて経験が浅いときにこそ「巻き込まれて葛藤した経験」も必要だと思う。生身で感じた人間らしい感情が、支援者としての軸を作る。そのためには、支援者を導いてくれる支援者の存在が重要だと思う。
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大学時代に、キャンプインストラクターの資格をとる実地講習で、はじめに決めるあだ名や呼称は、周りが決めずに必ず本人が呼んでほしい名前にすると教えられた。周りが悪気なく、たとえ親しみをもってつけたあだ名でも、実は本人は嫌がってて、ずっと言えないということがあるから、と。
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自分に全く非はないと思い込んでる人って、何かの原因は周りにあるはずと他罰的になるのだけど、こういう話をすると、伝わってほしい人には刺さらず、気遣いできる人に不要に刺さってしまう傾向ってあると思う。
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周りは自分の考えを理解してくれているはずだ、思ったとおりに動いてくれるはずだというのは幻想で、「わかり合えていない前提でわかり合おうとする」「わかり合えなくてもやりとりはできる」ことが、コミュニケーションの基礎になると思う。
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殴る蹴るの暴力を伴わなくても、性行為の強要、避妊の非協力、非合意の性的接触、無視、暴言、威圧、破壊行為、経済的制裁、不当な行動の監視、制限、他者との連絡への干渉、制限などの行為は、すべて関係が対等ではなく、支配関係によるDV、性別問わず。
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糖尿病、喘息、アレルギーなどは、たいしたことない、頑張ればなんとかなる、周りへの影響がとか言い出す健康で無知な人がいますが、死と隣り合わせなので、正しい知識と対応を知っておく必要があると思います。 twitter.com/chilime/status…
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自分が嫌なことされているのに、自分の受け取り方がおかしいのかも、自分にも非があるのかもと思い始めたら、「自分の嫌な気持ち」が透明化される。「自分にも非があるかもしれない」のと、「自分の嫌な気持ち」は併存していい。
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同じ「出来る」状態でも、「頑張ったら出来る」のと、「頑張らなくても出来る」には、天と地の差がある。そして、それは周りから見ても簡単にはわからないということを、人を育てる立場の人は知っておく必要があると思う。
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執拗に、誰かを攻撃する気持ちや支配欲が生まれるとき、背景に自分の親に認められたかった気持ちが成仏していないということはあるかもしれない。だからといって攻撃が正当化されるわけではなく、自分の過去の満たされなさとは切り離す作業は必要だよなと思う。
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褒められたときに、「褒められて嬉しい」「今の自分が認められた」と思えるのは強い。「褒められるに値する人間でいなければ」「認めてくれた人を裏切らないようにもっと頑張らないと」と思って、褒められたのに何故か追い詰められるような気持ちになる人もいる。
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筋トレしたりランニングしてると、今さらモテたいのみたいなこと言われるときあるけど、シュッとしたおじさんになりたいただの自己満足です。女性がネイルしたり化粧したりお洒落するのは、男ウケじゃなくて自分のテンションあげるためっていう意味が、おじさんになってわかった気がする。
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学校で親への手紙書かせるのはもう時代遅れ。多様な家族の形があるし、書きたくない子もいる。周りに言えない事情もある。ずかずかと子どもの心に踏み入ると心に傷を負わせる。両親がいなくても満たされている子もいる、両親がいても家がしんどい子もいる。親への感謝を強要されない社会を望みます。
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社会では、「自分の意見を言語化できる力」が求められるのだけど、「自分の意見が言える環境で育てられる」ことが、実は恵まれているという現状があると思う。子どもたちの権利が守られる社会が、子どもたちが意見を言える環境が、これからの社会を豊かにしていくのではないかと思う。
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今の社会は、一度進学や就職したら方向転換するハードルがとても高いように感じる。勉強や仕事しながら、途中で方向転換したり、違うことにも挑戦してみたり、そんな幅や余裕があるほうがいいように思う。実際にそれができるのは経済的環境的に恵まれている人に限られてしまっている。
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子どもは「話は聞くけど、意見は聴かない」「理由は聞くけど、気持ちは聴かない」ような大人のことは信用しないよなと思う。
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不当な要求を、関係づくりやその場を穏便に済ませるためにのんでしまうと、穏便におさまるどころか、次はさらに要求を大きくされることが多いことを、対人援助職は理解しておく必要があると思う。不当な要求を毅然と断ることから生まれる信頼関係もある。