沈黙は中立ではない。時の権力者への無批判の迎合であると思います(何か見た)。
菓子型で謎なのは、新潟県の菓子店にあった兵役免除を祝う菓子型。お金持ちが上手くやったって自慢したのでしょうか?
戦争は始めた側から終わらせるのは非常に困難。ロシアもその状態に陥っているのに、なぜ日本が先制攻撃に突っ込もうとしているかが分からない( ´・ω・`)
81年前の今日、1941(昭和16)年12月30日発行の大阪毎日新聞。フイリピンやマレーで激戦続き、現地の人たちの思いはいかばかりか(´;ω;`) 「『ゴムだ』『錫だ』に勇士もにっこり」の見出しが、太平洋戦争の侵略性を表してますね。「軍需も民需も万歳」って、勝手に持ってくの? (続)
しかし、ご遺族からの資料だと説明しているのに、自身が信じたくない内容だからすぐ捏造だの難癖言える輩は、ご遺族の心情や戦火をくぐった方への思いを全くしないのだなと。彼らがほしいのは自分に都合の良い、物言わぬ英霊であるのでしょう。戦没者の勝手な利用であり、敬意も哀悼も無縁でしょうね。
地元に元731の人がいて、その人が貴重な品を残して証言もしているんだから、せめて市民の証言ぐらい守ってやれないのか。 市教委はいろいろな議論があるからって逃げてるけど、ネットの妄想と生涯かけた研究者を同列に扱うようなもの。腹括っていこうよ。松代の説明文書き換えと同じじゃないか。
アベノマスクの廃棄を政府が決めましたので、この間の経過も併せて改めて記録しました。これからもアベノマスクのおかげでマスクの値下がりがあったというご意見が出てくるかもしれませんが、それならばここに示した内容を上書きできるような事実を示す必要があると思います。 sensousouko.naganoblog.jp/e2486866.html
物資不足の象徴、黒い牛乳瓶。さまざまなガラスを混ぜて再生を繰り返すうちに、どんどん黒くなっていったというもの。透明なガラスが貴重な生活って… (´;ω;`)
アジアの独立は日本のおかげっていう連中は、各国の独立した日や独立記念日を調べてみろ。そして建国の指導者がどんな苦難の歩いたかを。 そして日本は中国とずっと戦争していて、何がアジアの平和だか。
〈社説〉首相の改憲発言 コロナの不安に乗じるな shinmai.co.jp/news/article/C… 実にわかりやすく、読むと「そうだ!」とスッキリします。下村の「ピンチをチャンスに」など、人を人とも思わぬ姿勢が狙うものは、新型コロナ対策の為の論議では無いことを明確にしています。
神が創った唯一の国って強調するのは絵本にとどまりません。1941(昭和16)年10月15日発行の世界興亡図譜。神代からの天皇の系図を中心に各国を脇に置いてますが、まず、政権交代は国内に適用しない誤魔化しをして、一貫性を取り繕っています。そして神代の時代に、既に文明も国家も存在していますが。
愛国心などという、どうとでも取れる言葉を不用意に使う方は信用できませんね。 いろんな国が愛国心という言葉を使いますが、それぞれ積んできた歴史の上で言っていること。日本の「愛国心」は、明治から敗戦まで権力者の都合で使い倒されましたからね。
死にものぐるいで慰安婦は売春婦説を流しておられる方がいるけど、さまざまな資料紹介の場になっているようなので、当方も。
8月に集中して戦争の話題を掘り起こす「8月ジャーナリズム」は、それなりに意義があると思うけど、戦争被害者意識を広める恐れもある。出来れば、日中戦争開戦から太平洋戦争突入への流れを知り、戦争がなぜ行われたかを学ぶ「7-8月ジャーナリズム」が生まれてくれたらいいなと思っています。
作家の吉村昭さんの寄稿も分かりやすかった。
近衛首相は日中戦争開戦時の首相だけど、太平洋戦争開戦時は東条首相だし、満州事変はまた違う。それに大日本帝国憲法でいけば、誰がなんと言おうと天皇がトップでしょう。
先般、日中戦争初期のものではないかと推測した「愛国印 軍隊マスク」のツイートに対し「左から横書きしているんだから戦後の品に決まっとるだろう(ドヤァ)」(大意)とのリプがありました。ご説明しますと、日本語横書きが左からと決定したのは1942(昭和17)年7月18日の国語審議会総会(続)
戦前日本舐めすぎ。だいたい、軍隊軍隊叫んでる奴らは高みの見物か号令かける立場に自分を置いているんだろうな。
父は、ずっと、あの戦争とは何だったかを知ろうとしていました。権力は、戦後一貫してその姿を薄めようとしてきました。自分は、その流れに抗いたい。自国にも他国にも引き起こした惨禍と経緯を知り、後世に伝えたい。それが次世代の行動の為の、大切な武器になると信じています。
関東大震災では、全てではないですが朝鮮人らの虐殺犯の裁判が行なわれていますが、ひどい一例を。1924(大正13)年4月13日の横浜毎朝新報、中国人を集団(最低11人)で殺した事件で流言がなかったら罪を犯さなかったと最も軽い求刑に。見出しも「誤殺犯」と、まるで事故のような表現。この蔑視感!
インパール作戦にも参加した長野県の方の画集を出そうと頑張ってます。5年越しで、行動経路、特にいつインパール作戦のどの部隊に参加したかでつまづいていたのですが、何冊も本を集めて何度も読んで、やっと繋がってきました。学ぶ、調べるとはそういう事だと、しみじみ思う。8月発刊予定です。
どんなに自分が努力して目指す社会を実現しようとしても悪化する一方という状況でも、次の状況下で、また自分で考えられる最善手を尽くす。個々人のその思いこそが、社会を改善していける。 戦前の石橋湛山がまさにそうだった。後退しても後退しても踏ん張って発言した。みんな踏ん張っていこう。
上田市の戦没画学生慰霊美術館「無言館」が、信濃毎日新聞に反戦の全面広告載せてる(´;ω;`) ぜひ紙面をご覧ください…
今回の値上げは狂乱物価を思い出させる。同じ金額で変遷した駅売りホットドッグの再現をどうぞ。
リットン報告書公表前の既成事実作りで、満州国と日本が日満議定書を交わした1932(昭和7)年9月15日。深夜から翌日未明にかけて撫順炭鉱がゲリラに襲撃されます。そして16日、ゲリラと通じていると見なされた平頂山の集落のほぼ全住民、約3千人が関東軍に虐殺されます。その生き残りと訴訟団の記録(続)