NHKの報道問題、完全に「そういうもの」という視点で素材をねじ曲げて作ってるのが一番危険。デモを語るのになぜ現場に行かないのか。それは台本通りにいかず都合が悪いからだろう。まともな報道関係者なら、デモで日当っていう言葉だけでスクープと感じ、その為の取材を直ちに始めるはず。
「Go To イート」で食事券って聞く度にチラつくんですが、これで合ってますか?
戦時中の「配給」が有料だったという事を初めて知ったという方がおられましたので、主要食料の配給通帳をどうぞ。金額欄が分かります。また、これは1945(昭和20)年の時点ですが、玄米より代用の馬鈴薯が目立ちます。4枚目は長野県上田市の配給の木炭割当票ですが、これも単価が明記してあります。
これは戦時下の資料についても同様でして、同じ時期、日付のものを重層的に集めるのがポイントです。その点で1945(昭和20)年は紙自体の不足から出版物や書類まで手に入れにくく、苦労しています。最悪の状況になると、記録を残すのも困難になるのです。
徴用っていうのは、何日からここで働けという命令だからね。日本人も徴用されると家業を捨てて行かねばならなかったのですよ。強制以外の何物でもないです。 twitter.com/veenmsqnvsohsf…
今朝の信濃毎日新聞に乗っていた記事「TV出演者、偏る男女比 NHK放送文化研究所調査」が興味深い。男性が6割と多いけど、問題は年代。女性は20代、男性は40代がそれぞれピーク。男が女子どもに教えてやる、導いてやるーという構図が明らか。「自然と男性目線の意見が多く発信されてしまう」と。(続)
酷いと言えば、85年前の1937(昭和12)年11月13日の信濃毎日新聞の「首斬り免許皆伝」。当時北支に出征していた松本歩兵第50連隊所属の曹長が妻の実家に送った手紙を紹介した記事で、表現をそのまま見出しに。戦前の庶民的感覚か、中国への蔑視感か、こうした行為も表現も平気だったようです。
「赤紙は予備役だけ」「天皇は戦前も象徴」という主張を拝見し、学ぶ姿勢がなければ、身の回りのことからしか物事を推測出来ないと実感。象徴天皇、議院内閣制、予備自衛官といった現在から、過去を類推してしまうでしょう。ならばできるだけ当時の情報を流して、過去から学べるようにしたい。(続)
日本がかつて攻め込んだ国をあげて、攻め込まれると煽る。9条さえ変えれば国が守れるという方こそ、9条信者とお呼びすれば良いか。 戦争の大きな要因は貧困と差別だと思っています。日本は憲法前文の精神に則り、その解消に力を入れ世界をリードすることこそ一番の国防と思います。
貯蓄から投資へって、戦時下でもたくさん聞かされます最終的に発行しすぎた紙幣回収のインフレで紙くずにさせられるですが。 もっとも、戦争とは関係ないけど、大口利用者には「損失補填」なんてのがあったか。
小林多喜二が特高警察に虐殺された1933(昭和8)年の2月には、長野県で「赤化教員」の一斉検挙が4日から行われていました。100人以上が検挙され、9月にようやく記事解禁となって世の中に伝わります。いわゆる2.4事件です。こちら、9月15日発行の読売新聞夕刊です。(続)
#歴史知らない人が嘘だと思うけど本当の事言え 太平洋戦争末期の1944(昭和19)年12月、軍需省が全国の飼い犬の「強制的供出」を決め、軍需省科学局長と厚生省衛生局長の連名で全国の地方長官に通牒を発します。長野県でも翌年3月に実行されました。 sensousouko.naganoblog.jp/e2217566.html
77年前の今日、1944年2月23日、毎日新聞が掲載した「竹やりでは戦えない」などとする記事に東条総理が激怒した「竹槍事件」が発生します。東条総理はこの紙面を直ちに発禁とし、毎日新聞の廃刊を命じますが…。以下、ブログには書き込まれていない内容を連投します。sensousouko.naganoblog.jp/e2232146.html
私が戦時下の資料を収集して研究しているのもまさにこれで、戦争や戦時体制というものは「軍が悪かった」で済ませるべきではありません。政治や教育などどれがどんな影響を与えたか知る事が、そうした状況の再現を阻止する力になると思っています。今と同じ…と思える場合、特に注意が必要かと。 twitter.com/dog2shiba/stat…
たった2人の高校生が呼びかけて50人の若者が集まり、歌を歌って歩くデモで停戦呼びかけたって…素晴らしい。仕事じゃなかったら一緒に歩きたかった。 ウクライナ危機 平和的解決求める若き訴え 長野市中心部で高校生らがデモ shinmai.co.jp/news/article/C…
今の日本の発想は、強者に擦り寄り弱者を叩けば「自分」は生き残る、というものでしょう。内閣不信任対応から派遣使い捨て、戦争賛成まで。抵抗して獲得するという行為を忘れているようです。
私に貴重な遺品を提供してくれた方がおられます。その方は「おじいさんは人を殺したことがあるの?」と小さいころ尋ねたけど、何も話さなかったと。しかし死後、遺品の中にかごにきっちりと日中戦争当時の日記と勲章が入れてあったと。おじいさんは、凄惨な体験、加害者・被害者として―を残して(続)
新聞に期待するのは記録性です。歴史資料に大事なのは客観的な事実の把握であり、誰が何を発言し、何が起きていたかを伝えるのが基本。後世の人が評価できるよう判断材料を残すのが大事なので、その点で新聞は有効。後世に隠れた事実が掘り起こされた時には、それが知らされなかった証拠にもなります。
せっかく関心を持たしてもらったので、これでもしっかり読むか。
77年前の今頃、1945(昭和20)年3月の長野県丸子町常会徹底事項。飼い犬を差し出す指示が出ました。毛皮は軍需に、内臓は薬品に役立てるから、11日に警察署裏へ連れてこいと(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`) 忘れちゃいけない。権力者は、庶民のささやかな生活なんて考えちゃいない。
はだしのゲンで知られる中沢啓治さんの作品にも東京大空襲がテーマの「あの街この街」があるのを教わりました。切ねえことばっかり(´;ω;`)
今回の地震で、さまざまな差別ツイートが流れていましたが、それは差別的言動がどんな影響を与えてきたか、知らないか差別意識があるかだと思います。関東大震災で長野県に「不逞鮮人」の話題がどう伝わり、どんな動きがあったかを当時の新聞記事でご覧ください。 sensousouko.naganoblog.jp/e2301006.html
ちょっと思うところあって、小池都知事が関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊に文書を送らなくなったきっかけの、2017年3月議会一般質問の自民党都議の主張が凄い。当時の日本には次々朝鮮人の活動家がやってきていて、震災に合わせて暴動や殺人をやったから流言ではなく事実だった、間違って殺されたのは(続)
84年前の今頃、日中戦争下の1938(昭和13)年の雛祭りに合わせて作られたとみられる変わり雛です。皇軍万歳の旗と、女子青年団の見送りで戦地へ。 長野県軽井沢町の出物で、当時の信濃毎日新聞に同型の変わり雛が店頭に出ているとありました。 子供の幸せを願うお雛様がこんなになって(´;ω;`)
自虐史観なんて「自分の大好きな大日本帝国を楽しんでアジア各国を見下してるのに水をさすな」と考えるような方が、らしい言葉で本音を覆う造語でしかない。 自分も世界有数の首狩り族の末梢ではあるけれど、それで落ち込んだ事はないし否定しようとも思わない。二度とそうならないようにで充分。