76
ウクライナ侵攻に関連して日本の食料自給率を心配する声が出ています。実際に日本が封鎖されたら、燃料の不足が一番の問題となるでしょう。運搬が滞り生鮮品は腐る。肥料も農薬も生産できず運べず機械も動かないので、生産は縮小する。自給率どころじゃない悲惨な状態が予想できます。(続)
77
太平洋戦争下の日本が今より食料自給率が高かったのに飢餓が広がっていったのと同じです。当時も運送の麻痺で港や農業産地に滞貨の山ができ、豆は芽を出しサツマイモは腐ると。
今なら産地へ買い出しに行こうとしても、鉄道はローカル線が廃線になってきているし、一層苦しいと思いますね。
79
たった2人の高校生が呼びかけて50人の若者が集まり、歌を歌って歩くデモで停戦呼びかけたって…素晴らしい。仕事じゃなかったら一緒に歩きたかった。
ウクライナ危機 平和的解決求める若き訴え 長野市中心部で高校生らがデモ shinmai.co.jp/news/article/C…
80
81
今朝の信濃毎日新聞に乗っていた記事「TV出演者、偏る男女比 NHK放送文化研究所調査」が興味深い。男性が6割と多いけど、問題は年代。女性は20代、男性は40代がそれぞれピーク。男が女子どもに教えてやる、導いてやるーという構図が明らか。「自然と男性目線の意見が多く発信されてしまう」と。(続)
82
84
85
憲法記念日ですが、年々、権力者が憲法を棄てようとする圧力の高まりを感じます。しかし、権力に抗う事こそが大事であり、抗い続ける限り、敗北の連続であろうとも、先人の犠牲の上で得た憲法に恥ずかしくない生きざまをしたと、胸を張って次代に期待し託せると思います。
祖父と父の話をします。(続)
86
父は国民学校を卒業した翌日、1944(昭和19)年に海軍工廠へ行きます。太平洋戦争が始まった日、地図を広げて「日本は負ける」と直感した人です。既に兄2人は出征、自分も戦争に行かされるだろうが、海軍工廠にいれば少しでも遅くなるとの見通しからでした。そのうち中島飛行機の武蔵工場へ(続)
87
祖父は太平洋戦争でニューギニアに出征しました。自宅に妻と子供2人(1人が母です)を残し。「家族のため、必ず帰る」という信念で赴いたということです。さまざまな努力の末、終戦。仲間が山に逃げるという中、祖父は海岸近くに残って捕虜となり、帰還したということですが、山の仲間は帰らず。(続)
88
父は、ずっと、あの戦争とは何だったかを知ろうとしていました。権力は、戦後一貫してその姿を薄めようとしてきました。自分は、その流れに抗いたい。自国にも他国にも引き起こした惨禍と経緯を知り、後世に伝えたい。それが次世代の行動の為の、大切な武器になると信じています。
89
行かないかと募集があり、200円貰えるという事で手を上げます。ところが、いろんな名目で中抜きされ、僅かしか残らず「世の中、こんな風に出来ているんだ」と実感したとか。そしてb29の空襲を受け、作業台に隠れて貫いてくる爆弾から何とか逃れました。そのうち元の海軍工廠へ戻りますが、(続)
90
今度は父親の葬儀を出して引越した当日に宇治山田空襲に。アルバム1冊を持ち、逃げ延びます。
戦争から生きて帰る、戦地になんとか取られないように…ささやかと言えば、とてもささやかな抵抗ですが、そのおかげで祖父と父は生き残り、戦後を働き、そして今、私がいます。(続)
91
92
日本がかつて攻め込んだ国をあげて、攻め込まれると煽る。9条さえ変えれば国が守れるという方こそ、9条信者とお呼びすれば良いか。
戦争の大きな要因は貧困と差別だと思っています。日本は憲法前文の精神に則り、その解消に力を入れ世界をリードすることこそ一番の国防と思います。
93
94
95
戦前日本、特に昭和初期は庶民が軍隊に過剰な万能感を持っていたけど、今も変わっていない人がけっこういるのだなと感じました。
96
97
98
99
100