さむ(@urakutenism)さんの人気ツイート(新しい順)

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秋葉原駅の総武線ホームにかつて存在した50人乗りのエレベーター。千葉方面行きホームと中野方面行きホームで各1基ずつ設けられていました。エレベーター塔は現在アトレ口改札へと降りる階段に転用されましたが、特徴的な丸形の窓は埋められるコトなくいまも残されています。
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そんなレンガ橋をかつては鉄道が通っていました🚂 RT
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1970年代前半、いまの東京ビッグサイト周辺に建設が計画されていた、京葉線の有明貨物駅とそこから12号地や13号地へと延びる臨港線。折しも時代はモータリゼーション真っ只中、載せ替えに手間のかかる鉄道より直接荷主へ輸送できるトラックが主流となり、結局実現できないまま、計画は凍結されました。
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今日はもうひとつ、再開発にともない今年9月での閉店が決まったイトーヨーカドー金町店へ。オープンは約半世紀前の1973(昭和48)年、屋上に自動車教習所を併設するという全国的に見てもユニークな店舗でした。
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まだまだ作る気まんまんだった頃の成田新幹線。結局財政難から事業凍結となり、一部建設した構造物を流用して、JR成田駅から成田空港までの新線が新たに開通しました。(成田エクスプレスの運行開始もこの時)
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かつて小田急線から南武線へと延びていた登戸連絡線。貨物輸送の他、終戦直後は空襲の被害によって不足した車両の貸し借りなどにも使われていました。
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東京・豊洲を流れる運河にいまも残る、貨物線の橋脚跡。
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東京・墨田区の東武博物館に展示されている、かつて東武鉄道の貨物輸送を支えたED5010形電気機関車。写真の15号機は東上線に配属され、寄居や西大家から下板橋へのセメント列車を主に牽引していました。廃車は1984(昭和59)年。製造後60年が経っているとは思えないほど綺麗な状態を維持しています。
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イギリスで暮らす妹から「お兄ちゃんこういうの好きなんでしょ?」と送られてきた、国立鉄道博物館の写真。 …ハイ、大好物です…!
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2011年までお台場の船の科学館にて展示されていた青函連絡船の羊蹄丸。1988年の青函トンネル開通とともに役目を終えた車載客船で、船内の車両甲板にはDE10形ディーゼル機関車が収められ、昭和30年代の連絡船乗り場を再現した展示なども行われていました。
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今から50年前の町田駅前。築堤の上を走っていた小田急線は高架となり、その下にバスセンターがつくられるなど、景色も大きく変わりましたが、奥に見えるコンクリートの擁壁は当時のまま。
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秋葉原駅の山手線内回り・京浜東北線北行きホームに今も残る木製の手すり跡。かつてはここに1階の改札口へと下りる階段がありました。のちに動線が整理され、現在は総武線5番ホームに上がる階段となっています。
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先日のおさんぽフォトより、晴海運河にいまも残る晴海橋梁。かつては晴海埠頭にあった日東製粉の工場から内陸の需要家に向けて飼料用の輸入小麦などが出荷されていた他、新聞や週刊誌などで使われる印刷用のロール紙を積んだ貨車も北海道の苫小牧から毎日到着していました。1989(平成元)年廃止。
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かつて東海道線の平塚駅から、相模川と沿うように延びていた相模石油専用線。1996(平成8)年に廃止されるまで1日1往復、横浜の製油所からガソリンを運んできたタンク貨車が機関車に牽かれてここを通っていました。
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かつて国内物流の主力を担っていた鉄道貨物輸送。当時は殆どの駅で取り扱いがあり、発送された貨車は操車場を通るたび方面別に振り分けられ、中継を繰り返しながら目的地へと運ばれていました。しかし高速道路が整備されるとトラックに太刀打ちできなくなり、80年代でヤード系輸送は全廃されています。
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かつて三峰口から日窒鉱山まで走っていた路線バスと同じ道を自分も通ってみたいと15年ほど前に現地へ行ったら、まさにダムの底へと沈んでいく真っ最中で結局叶わなかったのを思い出す。RT
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先日のおさんぽフォトより、東京の品川駅より徒歩10分ほどの所にある「クロネコヤマトミュージアム」。ヤマト運輸の歴史を当時の貴重な写真や映像などから学ぶコトが出来るほか、ドライバーさんと同じ制服を着用して集配用のパネルバンに乗れるなど、オトナから子どもまで楽しめる施設になっています。
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横浜赤レンガ倉庫の前で佇む9600形蒸気機関車。1970年代に入ると海上輸送はコンテナが主流となり、晩年はほとんど引き込み線に貨車が入るコトもなくなり、1982(昭和57)年に廃止を迎えています。
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今から40年ほど前、廃止間もない頃の横浜港駅。かつて旅客の乗降に使われたホームの跡が長らく当時の姿で残されていましたが、再開発の際、半分以下の長さにまで切り詰められ、傷んでいた柱や屋根も新しいものに替えられました。
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今から65年前の今はなき横浜港駅。背後に見える建物は赤レンガ倉庫。
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今から65年前、横浜港駅のホームで出発を待つボートトレイン。米シアトルとの国際航路(氷川丸)に連絡する形でダイヤが組まれていました。1960(昭和35)年の運行終了後は貨物の取り扱いだけが残されましたが、それも再開発前夜の1982(昭和57)年に廃止となっています。
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今から60年ほど前、高架化前の大阪環状線から分岐していた大阪市場への貨物線。手前の道路には路面電車(大阪市電)が走っており、線路同士が平面交差していました。
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小学生の頃、社会科の授業で省庁の名前を覚えさせられたけど、半分近くが名称変わって、いまやまったく通じなくなってる。「うちの大蔵省がさ〜」なんて表現をするオジさま、近頃あまり見ないね。
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こないだ初めて乗った大阪モノレール、思った以上にくねくねしてた
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かつて菊名駅に存在していた、国鉄横浜線と東急東横線を結ぶ、貨物受け渡し用の連絡線跡。廃止後に東横線側のホームがそれまでの対向式2面2線から島式2面4線に拡張され、同時に上下線の間へ折り返し線が設けられたこともあって、いまや連絡線の痕跡はほとんど無くなっています。