さむ(@urakutenism)さんの人気ツイート(新しい順)

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かつて新宿駅に存在していた国鉄(現JR)と小田急を結ぶ連絡線。現役当時は終電後にひっそりと貨車の受け渡しを行なっていました。小田急新宿駅の地下ホーム建設にともない連絡線は廃止となり、今ではその痕跡すら無くなっています。
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久しぶりに小田急線乗ったら「節電のため走行中は車内消灯します」とアナウンスが入って明かりを消されてしまった💦
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15年ぶりぐらいに川越線乗ってるんだけど、日進と指扇の間に駅が増えてた…😳
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冷蔵輸送の技術が発達する前、豚の生産地から豚肉の消費地までを生きたまま運ぶために使われていた豚積貨車。 昭和40年代以降、道路網の整備とあわせて鮮度を保ったまま精肉を輸送できる冷凍(保冷)トラックが登場、家畜は生産地で食肉処理されるようになったため、1974(昭和49)年に姿を消しています。
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かつて全国に3800ほど存在した貨物取扱駅。中には1日1両しか貨車がやって来ない駅も数多くありましたが、それでも道路交通が発達する前は貴重な物流の要でした。1960年代以降、トラック輸送の台頭により鉄道貨物輸送は年々縮小していき、民営化時点での取扱駅は約350と最盛期の1/10以下に…
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今から60年ほど前、1960(昭和35)年頃の新宿ルミネ前。かつては京王線も地上を走っており、交差点を斜めに横切る形で横断していました。その後はモータリゼーションの進展から交通量が急激に増えてきた上、京王線も沿線の宅地化で年々増発を重ねていたコトから、現在の地下線へと切り替えられています。
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1974(昭和49)年の航空写真より中央線の西国分寺駅周辺。かつては隣の国分寺駅から東京(府中)競馬場までの支線も延びていましたが、武蔵野線の開業で廃止。この際、中央線と武蔵野線の交点に西国分寺駅が新設されました。線路脇にあった中央鉄道学園(国鉄の教習所)も民営化にともない閉鎖されています。
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群馬の山奥の駅にある、かつての特急車両を使ったレストラン
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ク5000形貨車による大量輸送が始まる前の昭和30年代半ば、10トン無蓋車で運ばれていた乗用車。積み下ろしにはクレーンを使わなくてはならないなど設備上の制限や作業の手間も多く、あまり利用されませんでした。
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国鉄が1968(昭和43)年に制作した記録映画「生活のなかの鉄道 〜ローカル線〜」より、K-LINE(川崎汽船)の海上コンテナを積んで走るトキ15000。黎明期はまだ専用貨車もなく、汎用貨車で運ばれていました。
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いまから55年ほど前、1968(昭和43)年の国鉄線における黒字路線と赤字路線。赤字路線が全体の8割以上と大幅に黒字を上回る状況でしたが、この時点でさらに8000キロ近い新路線が計画されていました。結局そのほとんどが国鉄末期に事業凍結され、未成線と化しています。
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かつて大阪環状線の野田駅から近くの卸売市場まで延びていた引き込み線をゆく貨物列車。長崎や唐津、下関などの港で陸揚げされた鮮魚が貨車に積まれ、ここまで運ばれていましたが、昭和50年代以降は急速にトラック輸送への移行が進み、1985(昭和60)年に廃止されています。
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月刊建築1967年3月号より、完成間もない頃の新宿駅西口広場。建ち並ぶビルの先に見える広大な土地は淀橋浄水場の跡(1965年閉鎖)。現在は東京都庁や京王プラザホテルなどが建っています。
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明日で閉店を迎える新宿の小田急百貨店本館12階にある展望フロアより。渦を巻くように地上から地下へとおりる特徴的なスロープも今回の再開発で姿を消すコトになるそうです。
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20年前に撮影した新宿駅東口。かつてはヨドバシカメラと熾烈な価格競争を繰り広げていた「さくらや」や、レストランビルの「じゅらく(聚楽)エイト」も今ではすっかり過去の光景に。
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貨物取扱量の少ない線区だとディーゼルカー牽引の混合列車もあったのね…
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いまも上野駅に残る、かつて使われていた18番線の遺構。長らく常磐線方面に向かう特急列車などが発着していましたが、長野新幹線の開業で長野方面行きの在来線特急が廃止となりホームに余裕が出てきたコトから1999年に使用停止。地下にある新幹線のホームが19番線からになっているのはこのため。
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実は旅客部門だけで見れば黒字を出していた国鉄。
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東海道本線の茅ヶ崎・平塚間を流れる相模川にいまも残る、かつての橋梁跡。明治中期の開業時に架けられたものでしたが、1923(大正12)年の関東大震災で倒壊。上流側に新たな橋(現在の旅客上り線と貨物下り線)が架けられるコトでその役目を終えました。
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安中市内に残る未成線の橋脚と築堤跡。元々この場所には高崎と長野原を結ぶ「上州電気鉄道」という路線が通る予定でしたが、工事の途中で資金不足に陥り、建設を断念。その後、労働者への賃金未払いも加わって会社は破産。完成した橋脚は撤去されることなく放置され、現在もそのまま残されています。
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群馬県と新潟県を結ぶ上信越道の横川サービスエリア(上り)に置かれているキハ58形。すぐそばにフードコートがあり、車内は飲食スペースとして開放されています。ちなみにこの車両、顔の部分だけが本物で胴体はレプリカ。廃車になる前は九州地区で活躍していました。
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国鉄時代の雰囲気が色濃く残る、沼津駅の改札とホームを結ぶ地下通路。高架化の計画があるためか、未だにエスカレーターが設置されていません。ちなみにこの通路が出来たのは90年ほど前のコト。当時木造の跨線橋が主流だった中、御用邸に向かう皇族の利用もあり、タイル貼りの地下道になりました。
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鉄オタによるキセルが横行しているという話を聞いて、それじゃ自分らの大好きな鉄道が維持できなくて廃止になっちゃうじゃんと一瞬思ったんだけど、だからどんなに赤字でも廃止にならない国鉄に戻せ!とか鉄道は公共交通機関なんだから廃止するな!って主張しているのかと妙な一貫性に納得してしまった
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今から70年ほど前、1950(昭和25)年頃の新宿ルミネ前。かつては京王線も地上を走っており、交差点を斜めに横切る形で横断し、次の初台駅へと向かっていました。経済成長期に入り甲州街道の交通量が増えてくると、徐々に渋滞の温床になってきたため、東京五輪を翌年に控えた1963年に地下化されています。
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都営新宿線開業に備え、狭軌用の台車を履き三田線で試運転中の10-000形試作車。新宿線開業後は量産車に混じって運用され、登場から33年後の2004(平成16)年に引退しています。