集団を眺めていると個々人の振る舞いは以下のようになっていて、うまく行くかどうかは比率の影響を大きく受けていると思っています。 ①提案者 ②実行者 ③批判者 ④傍観者 例えば私は①か③の性質が強いのですが、こういう人間だけで集まると議論が多く理想も語るけど誰も実行できないとなりがちです
ルールを守ることは大事ですが、同時にルールを疑うこと、それが本当に必要か議論し変更することも同じぐらい重要です。後者がない社会ではひたすらにルールが増えいずれがんじがらめになり、窮屈になります。ルールを守ることそのものが目的になっていきます。
意図してかせずしてか、ルールは権力の源泉です。ルールを作る時もですが、一度できたルールは人の行動を縛ります。形骸化したものでも。そのルールを超えて何かをやろうとする時、ルールを決める人にお願いする必要が出てきます。ルールが多いほど許可を出せる人の元には権力が集まります。
しかしやめると決めた途端、損が確定します。また誰かが犠牲になる場合もあります。だから言い出すことにリスクがあります。また、人は未来の合理性より手前の惰性の方を選ぶ性質があります。そして、何を止めるかを考えることは本質的にどうあるべきかを考えることなので頭も使います。
私の意見は「日本は小さい勝負が多いが、大きい勝負をする機会が少ない。日本国内での戦いは多いが世界での戦いが少ない。勝ち負けにはこだわるが大志がない」です。
めちゃくちゃ面白いです。ソリューションを提示しないメディアは信頼を失う時代です。 身体拘束「なぜ心が痛むの?」「地域で見守る?あんた、できんの?」精神科病院協会・山崎学会長に直撃したら…:東京新聞 TOKYO Web tokyo-np.co.jp/article/261541
日本人が最も特なことは一つのことを最後まで頑張ることです。最も苦手なことは戦場を選ぶことだと思います。つまり戦略です。少なくとも個人において戦略的であるとは、自分が持っている戦力と、戦場の特性を考え、戦いが始まる前に勝ちがある程度読めるようなところに身を置くことだと思います。
昭和型はずぶずぶなあなあですが、令和は貸し借りとテーマです。そして相手には自分の本心はだいたいバレていると思うのが第一歩です。その上で、正直に話し、相手にとってメリットがあることを提案することが大事だと思います。
何より子供の幸福度を低下させていると思います。
私は社会は選ぶということに自覚的であるべきだと思っています。選ぶ際に重要なのは ・全ては有限であること ・何かを選べば必ず何かは犠牲になること の2点です。リソースは限定的だから選ばなければならない。そして選ぶということは選ばれなかった方を犠牲にすることであるということです。
こちらも日本の事例ではないですが。ドイツは日本よりも正面から向き合えているという印象があります。 amazon.co.jp/%E5%BD%BC%E3%8…
老兵は太陽でもなく花でもなく土である。肥沃な土となろう!
昨日は鍛えるが大事になると言いました。なぜこれが大事なのかというと、基本的な人間のメカニズムがそうなっているからです。 「負荷がかかる→負荷に対し適応する→強くなる」 となっています。筋肉が太くなるのも、漢字を覚えるのも、プレゼンが上手くなるのも基本これに従っています。
人を自立させるのは葛藤である。ジレンマである。何かを得れば何かを失う局面で選ばせることである。自立とはこちらにいくのだという意志とその結果を引き受けるのだという覚悟の話である。故に周囲に流され、出されたものに反応するだけのものには自立はない。自立を阻むのは他ならぬ自分である。
若者たちへ! 貸し借りの感覚があるだけで信用されます。それなりに世間を知って賢くないと借りていること自体がわかりません。主には借りを意識することで、こいつ賢いなと理解させる効果と、こいつに貸せば返すつもりがあるなと思わせることで、人が助けてくれるようになります。
常に時代は「やはりまじめに謙虚に倫理観を持ってやることで結果が出るのだ」と「賢く戦略的にたとえ人に嫌われようと貫くことで結果が出るのだ」の間を揺らぎます。
「勝ちたい」が「勝たなければならない」になると黄色信号です。自分の心をよく観察するのが大事です。 結果出すのが義務みたいに…悩める日本記録保持者・田中希実「今は一番底の部分かも」ごまかしから“絶対の自信”へ(東海テレビ) #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/5fb9e…
素晴らしいです。 小学生の全国大会「意義あるのか」 室伏長官が柔道の大会廃止に見解(朝日新聞デジタル) #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/4b658…
@hitomi634594301 普通だからです。私たちは全体主義国家や、独裁国家に生きているわけではなく自由主義国家に生きています。それはつまり個人がどのようにいきたいかはその個人が決めることで、それを外部から強制してはならないというのが基本的な考えだということです。
同じものを見て普通に考えれば同じ結論にいたらうはずだという見方は、多様性と反対側の考え方です。多様性とは同じものを見て普通に考えても違う結論に至る人がいるということを前提とするということです。だから考えが違う人にいくら事実を伝えても答えが同じにはなりません。アルゴリズムが違います
「為末くんは優しい子だからわかるよね。戦争をするとたくさん人が傷ついて悲しい思いをするの。そんなことになったら悲しいよね」と言われました。暗に行われる強制はこのような優しさや思いやりの形で現れます。そしてこの強制の特徴は「あくまで相手の意思を尊重している形」をとるところです
さあスポーツ界の本気度が試されます。 japan-sports.or.jp/cleansport/tab… 体罰問題で退職の前大牟田高監督が異例の復帰 保護者・部員の復帰要望で指導員として(日刊スポーツ) #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/6c223…
「なにかあったらどうするんだ症候群」にたくさんのご意見をいただきました。その中に「何かあったらどうするのかを想定できなければ安全管理の点で問題がある」というものがありました。確かに医療や安全保障の分野などではつねに「何かあったらどうするか」を想定する必要があります。
多様性の議論は必ず「どの程度不快を許容できるのか」に到達します。 国連女性機関が『月曜日のたわわ』全面広告に抗議。「外の世界からの目を意識して」と日本事務所長 huffingtonpost.jp/entry/story_jp…
境目はこだわりの範囲ではないかと思います。中心と周辺の関係を理解し、中心だけに意識を向けられる人はうまく行っているのですが、周辺も含めてこだわってしまうとうまくいかない傾向にあります。全部にこだわると全部をコントロールしなければならなくなるので、本人が疲れますし周りも疲れます