墨東公安委員会(@bokukoui)さんの人気ツイート(リツイート順)

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「表現の自由戦士」と揶揄される自称「オタク」について、「男向けエロの自由にしか興味がない」という批判はかねてからありましたが、私が思うに、エロの自由すら本質ではなく、自分の全能感を他人を攻撃して満たすことが眼目なんじゃないかと思うのです。
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それにしても、たくさん本を読んで知識を身につけて、それをバックに議論をしたら、「お前はマウントしている!本なんか読んでも偏向するだけだ!」で片づけるとは、まあなんというか、阿Qもびっくりの「精神的勝利法」だなあ、と思うのです。ネット時代の弊害なんでしょうか。
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こうして、コンテンツをダシに、売れているものに乗っかって、自分もマジョリティだと誇るのは、「オタク」の原義からすればまったく別物と言わざるを得ません。「くだらない」と言われがちなアニメやゲームに耽溺することで、マジョリティの価値観を相対化した「オタク」の影はそこにはありません。
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オタク趣味を通じて他者からの承認を得たい、それ自体は悪いことでも何でもありません。好きなことで人生を切り開きたいのは当然のことです。でもそこで、コンテンツとしっかり向き合うのではなく、ルサンチマンをこじらせて他者への攻撃性を暴発させるのは、ダメです。
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時節柄つい思ってしまうのは致し方ないですが、まあ統一協会的な、つまり家父長制と近代家族をおっさんに都合よくアマルガムにした妄想を抱えている印象はしてしまいます。家族が崩壊している人を救済する機関に「親子関係を稀薄にする」と因縁付けるのは、論理が顛倒していますね。 twitter.com/skd7/status/15…
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過去に不幸な経験があったことは気の毒ですが、自分がいじめられたからといって、他人をいじめていいことにはなりません。さらに言えば、オタク趣味への批判に過剰反応してしまうのは、趣味自体を楽しんで自己実現し、過去の抑圧も昇華することができていないためではないかと思うのです。
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それにしても、まっとうな研究者を法解釈を捻じ曲げてまで嫌がらせをしておきながら、どう考えても怪しい、ネトウヨの学者崩れみたいなのを「有識者」としてありがたがるというのは、まことこの国の権力者の体たらくをよく表しています。真理などどうでもよく、耳に心地よい追従を重用する典型的暗君。
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社会的な弱者が声を上げることに対して、「声を上げて騒いでいる奴らこそ悪い!我々サイレントマジョリティーこそもっとも苦しんでいる!」と叫びながら、強者に媚びることを「現実的」と称し、弱い者いじめで現状を糊塗する。それが「ネット論客」です。
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率直に言って、「表現の自由戦士」の「戦い」とは、ヤンキーの暴走行為や落書きみたいなもんじゃないかと私は思っています。親に象徴される社会の権威に対し、反抗しつつも甘えて、自分のことを認めて欲しいと思っているだけじゃないかと。だから自己宣伝に熱心になるのは、前稿で述べたとおりです。
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まじめに理想や正論を語ることを、正面から違う理念をぶつけるのではなく、「上から目線」と腐して意味がないかのようにこじつけ、現実的と称して何もしないで不公正を放置する。そんな空気が今の日本をダメにしていると思わざるを得ません。 twitter.com/yuandundun/sta…
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有料記事がプレゼントされました!1月2日 22:02まで全文お読みいただけます 低成長で余裕なき社会、生き抜くためのタイパ Z世代あおる大人たち:朝日新聞デジタル digital.asahi.com/articles/ASQDM… 安田峰俊氏のコメントともども、多くの人に伝えたい記事と思い、シェアします。
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もちろん、俺は歴史学の造る「星座」になんか興味ない、俺は俺の知りたいことを調べてるだけだ、という立場もあり得ます。マニアや好事家、在野の愛好家という立場ですね。徳永氏も「星座」に関心がないなら、そちらの道を目指されてはいかがかと思います。『歴史群像』とかいいのではないでしょうか。
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結局、「オタク」を自称しながら、コンテンツを鑑賞する眼も磨かず、ネットで徒党を組んで騒ぎまわるしか能がないから、営々とした蓄積を見せつけられるとコンプレックスに感じるんでしょうかね。そういう人が「オタク」を称すること自体が間違っているとしか私には思えませんね。
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何かを志す他人を腐すことで、何もしない自分が立派であるかのように装うこの馬鹿げた思想もどきに浸りきった人物が、「表現の自由」を看板に掲げるのには笑うより他はありません。あなたには表現したい何物もないんじゃないですか?
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何度も繰り返しますが、学問的に意味のある解釈なんかどうでもいい、俺は俺の知りたいことを調べるだけだ、という行き方があってもいいのです。さらにいえば、歴史学では前提の事実発掘だけでも、「研究ノート」「史料紹介」という形で業績として評価されます。そういうやり方もあるのです。
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twitter のトレンドに人為的な操作が入っていたというので話題になっているようですが、個人的には納得です。白饅頭の書いた社会に害悪を撒き散らす文章のタイトルがトレンドに入ってくるたび、「このトレンドは有害かスパムです」をクリックし続けたのに、いつになってもトレンドに入るんだもの。
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ポストモダンの鬼っ子たちの「逆張り」は、物事をより広い・長い視野で見ることを拒み、わざと一部を切りとって「良いこと」であると言い募っているだけではないでしょうか。その背景には、田野先生のご指摘のような世相があるのはその通りでしょうが、もっと単純に自己顕示欲の中二病もあるのでは。
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東島誠先生が「戦後の民主化をテーマとした「戦後歴史学」の流れが完全に終焉し、歴史学、とりわけ前近代史の若手研究者が、無思想のまま緩やかに右傾化(ネトウヨ化)している」と指摘されていたので、いまさら驚くには値しないのかもしれませんが、やはりげんなりする妄言です。 twitter.com/sayu_nt/status…
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そして私個人が悲しく恐ろしく思っているのは、ニセでない人文学を学んだはずの人も、ネットにはまりすぎると「ニセ人文学」に傾いてしまうのです。今の東氏がそうですし、呉座勇一さんも白饅頭やもへもへの類としばしばやりとりし、RTもしていました。私はやめとけと直言したのですが。
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千葉県知事の、黙食緩和への異論に対する逆ギレなど見ていると、なんというかコロナ対策は「なし崩し」と化しているなあと思います。いまだ第八波でかなり感染者は出ており(全数把握やめたなら実際はもっと多いでしょう)、死者も決して僅かとはいえないにしては、悪い意味で慣れてしまったのですね。
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本当は「偉い」はずの自分が世間に十分認められていない、という自分勝手な自意識を抱き、ネットでそれを満たそうとして、自己宣伝を他人に押し付けては顰蹙を買うも、それを「自分が否定された!」と逆ギレしてさらに攻撃的になる、そういうのが「表現の自由戦士」なんじゃないかと思います。
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さらに考えれば、社会問題を見つけた人が「こんな問題がある!何とかしなくちゃ!」と訴えると、当座その問題で苦しんではいない人の中には「俺は無事に暮らしてるんだ!余計なことで俺を不快にさせるんじゃない!」と逆ギレする人もいます。その平穏が弱者の犠牲を生む可能性に目をつぶるのです。
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要するに、「表現の自由戦士」は、コンテンツへの向き合い方も、「戦い」と称するネットリンチも、自分を認めて欲しいという叫びなのではないでしょうか。もちろん、他者からの承認は安定した自己形成に必要ですが、それがあまりにルサンチマンに満ち、攻撃性を孕んでしまっているのです。
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これに対し、「100%現状を肯定」するために、問題を冷笑と罵倒でなかったことにし、権力者に「寄り添う」ことで自分も肯定される現状の一部だと思い込む、それが「アベ時空」の正体なんじゃないかと思っています。問題から逃げているという自覚すらない現実逃避。
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しかしより本質的な話をすれば、軍隊が一番熱心に守るのは、実は国家ですらなく、自分自身の存在です。ミャンマーを見ればわかる。国家が軍隊に乗っ取られているのです。軍隊がない国として知られるコスタリカも、権力争いやクーデターを引き起こすので、軍隊を廃止したと聞きます。