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その自己肯定感の低さが、おそらくは過剰な攻撃性の要因にもなっていると思われます。今の自分が思うような自分でないのは抑圧してくる奴のせいだ、と明後日に責任転嫁し、それと「戦う」ことで「本当の偉大な自分」を取り戻せる幻想を抱いているからではないか、そう私は考えるに至りました。
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ですのでこのような考え方は、陰謀論とも相性が良く、ますます「敵」を攻撃するのに正当性を勝手に感じ、手段も問わなくなるのでしょう。実際には明後日の方向を叩いているので自分の問題は解決せず、解決の幻想を維持するために叩き続けるしかなくなり、かくて炎上が長期化するのです。
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率直に言って、「表現の自由戦士」の「戦い」とは、ヤンキーの暴走行為や落書きみたいなもんじゃないかと私は思っています。親に象徴される社会の権威に対し、反抗しつつも甘えて、自分のことを認めて欲しいと思っているだけじゃないかと。だから自己宣伝に熱心になるのは、前稿で述べたとおりです。
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こうなると、彼らのコンテンツ消費も、いわば「ルサンチマン消費」じゃないかと。「お前らがバカにしたこれをこんだけ消費してやるぞ!」という一人芝居なのです。いわば見せつけることで自分をアピールする――初音ミクとの「結婚生活」を喧伝するような――ためのダシにコンテンツを使っているのです。
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要するに、「表現の自由戦士」は、コンテンツへの向き合い方も、「戦い」と称するネットリンチも、自分を認めて欲しいという叫びなのではないでしょうか。もちろん、他者からの承認は安定した自己形成に必要ですが、それがあまりにルサンチマンに満ち、攻撃性を孕んでしまっているのです。
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オタク趣味を通じて他者からの承認を得たい、それ自体は悪いことでも何でもありません。好きなことで人生を切り開きたいのは当然のことです。でもそこで、コンテンツとしっかり向き合うのではなく、ルサンチマンをこじらせて他者への攻撃性を暴発させるのは、ダメです。
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結局、結論はいつもと同じで、オタク趣味を自己実現の梃子とするのであれば、ルサンチマンをこじらせないで、コンテンツにしっかり耽溺することだと思います。他者の承認を得るのにも、結局その方が早道で王道なのです。ルサンチマンでつながると、互いに漕ぎらせあうことになって、事態が悪化します。
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打ち間違い、「互いにこじらせあう」でした。で、そうやってこじれたネットのつながりに気がついたら過度に依存しているのが、「表現の自由戦士」の無視しえないコアの部分にあると、私は考えています。コンテンツに耽溺することで、そのこじれを解ければいいのですが……
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20か国に渡航しても、留学しても何も学べず、自分に都合のいい妄想を吹いている人間が市議会議員になるとは、まことに日本の危機が進行しています。 twitter.com/soedashiori/st…
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生魚を食う日本人を奇異に見る周辺、といえば中国でしょうが、実は古代の中国人は魚の膾=刺身を好んでいました。主に南方に見られた習俗だったそうですが、魚嫌いのモンゴル支配時代に廃れていったとのこと。日本の源流の一つが中国南部というのは、稲作伝来考えればまあ妥当でしょうね。 twitter.com/1059kanri/stat…
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こちらのツイートから始まる連続ツイートには、深く肯かされます。ひろゆき的な「攻略」なるものが、社会もそして自分自身も荒廃させる麻薬であることを、丁寧に指摘してくれています。答えの出ないことを考え続け、辿り着けない頂点に少しでも近づこうとすることこそ、もっとも人間的な営みなのです。 twitter.com/book_lighthous…
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ひろゆき的な「論破」が蔓延ったからなのか、それが蔓延る下地があったからなのか、因果関係はともかく、この手の冷笑的な「合理性」が幅を利かせた結果、理想を掲げること自体をバカにするというか、理想を掲げたら「理想なんか唱えてやがる(嗤)」と叩くような倒錯がまかり通るのが現状です。
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とりわけ政治がそうですし、教育もそういう面が多いと思うのですが、理念を持って理想を掲げなければ、権力による圧迫ばかりが表面化してしまう分野は社会に確実に存在します。社会を維持発展させるには、本音の暴露より建前の堅守が大事な場面は決して少なくないのです。
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世の中の問題を、理想と何故隔たっているのかを考えて、少しでも良くするように行動する、という、社会の維持発展に欠かせない思考と行動をバカにするのは、確かに「楽」ではあります。しかし楽をする自分を正当化するために、楽でないことをしている人を攻撃するのは、倒錯も行き過ぎています。
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日本のこの現状を説明するのに、グレーバー『ブルシット・ジョブ』で指摘されていた「道徳羨望 moral envy」という概念が使えるかもしれないとぼんやり思います。何か正しそうなことを言ってる/している人を見ると、自分がバカにされたように感じて反発する、身勝手な精神。 amzn.to/3WgcKTF
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こんなことを私は、最近続いている仁藤夢乃さんと Colabo への執拗で無根拠な攻撃を見ていて、思わざるを得ませんでした。「生意気な女」が「立派なこと」をしているはずがない、公金を詐取するのが目的に違いない! そういった道徳羨望的発想があるんじゃないかと。
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SAOのソシャゲが宣伝でトレンドに入っていますが、SAOといえば現在進行形のネットリンチ事件・Colabo 叩きの中心人物が、主人公キリトのモデルは自分と言い張っている件が想起されてしまいます。こんな誇大妄想を抱いている人物に、多くの人が便乗するのは呆れるばかりです。 anige-sokuhouvip.com/blog-entry-556…
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SAOの主人公キリトに自分を準えるオタクは、かねてから「イキリト」などとネタにされていましたし、そもそも実在のオタクというよりネタっぽかったのですが、それをベタにやってしまう人物がいるというのは、笑うというより懸念すべき問題なのかもしれません。
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Colabo 叩きの件が、新興宗教みたいになっていると感じざるを得ません。しかし、教祖は何かしらの奇蹟やカリスマ的行動・言動で支持を集めるのに対し、この場合は社会活動への攻撃やミソジニー、「表現の自由」の濫用が支持の源泉になっているのは、社会問題の域に達しているように感じられます。
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もっとも発端だった「表現の自由戦士」と揶揄される層以外にも、今や便乗者が続々と出ていて、訳が分からなくなっています。訳が分からなくても「女のくせに」社会運動をしている連中は叩いていいんだ、という、理想を見失っていることを現実主義と履き違えた連中の多さには辟易させられます。
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その理想や理念、平たく言えば建前を見失って、女叩きで憂さ晴らしをするような連中に、なにより建前や理念が大事なはずの政治家や大学教員まで便乗しているのには、恥を知れと憤慨せざるを得ません。そんないじめっ子の精神で、教育や人権の擁護ができようとは思えません。
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懸念すべきは、「女叩き」が人気のあるコンテンツとなって、歴史修正主義同様の「産業」と化しつつある現状です。ヴィクトリア朝で牛に犬をけしかけるような「動物いじめ」が娯楽だったのは昔のこととしても、「モノ言う女」に誇大妄想者をけしかけて娯楽とするのは、動物いじめ以下です。
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今回の件では、「表現の自由戦士」の著名な「ネット論客」が慎重な姿勢を示し、また自称キリト君は青識氏を叩いているようですが、これはさすがに危ういと青氏が懸念したというより、「フェミいじめ興業」の市場をめぐる主導権争いじゃないかと性格の悪い私は見ています。 j-seiji.blog.jp/archives/17955…
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権力者が国民を舐めている、まさに然りと思います。世界のほかの国でも類を見ないんじゃないでしょうか。 twitter.com/nichinichibijo…
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私がここで想起せざるを得ないのが、過去にも権力者が国民を舐め切った政治をした結果、国を破滅に追いやったことがあるということです。このグラフは第二次大戦期の日独尾生活水準比較ですが、ドイツは戦時中でも末期までそこそこのラインを確保しているのに、日本は日中戦争以降ダダ下がり。