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しかし思うのですが、とりわけ人文学や社会科学なんてのは、「市民感覚」というものを分析し相対化して、新たな感覚を探るのが使命ではないでしょうか。象牙の塔に籠りきりでもそれは良くないでしょうが、「市民感覚」に泥みきってしまっても、役目を果たせないのではないでしょうか。
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でも東氏にせよ呉座さんにせよ、なんでまっとうな人文学を学んだはずの人が、白饅頭の手合いにころりと同調するのでしょうか。やはりそれは、「俺は普通の『学者バカ』と違って『市民感覚』が分かるんだぞ」という、自負心が暴走した結果なのでしょうか。
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呉座さんは論文を読んで批評してくれる人よりも、ネットの「お仲間」――その多くは「ニセ人文学」的冷笑の徒輩――を向いたままじゃないかと私は思わざるを得ないのですが、その連中の頼りにならぬことはすでに明らかだと思うのです。冷笑のネタを探してるだけだから。
twitter.com/AtTheBlackLodg…
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そして私個人が悲しく恐ろしく思っているのは、ニセでない人文学を学んだはずの人も、ネットにはまりすぎると「ニセ人文学」に傾いてしまうのです。今の東氏がそうですし、呉座勇一さんも白饅頭やもへもへの類としばしばやりとりし、RTもしていました。私はやめとけと直言したのですが。
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白饅頭やもへもへの手合いは、社会を見つめなおして現状批判するという、人文学や社会科学の役割を攻撃し、現状に同調して異議を唱える弱者やマイノリティを冷笑ことが「現実的」な「健全な市民」であると思い込ませる、碌でもない連中です。ニセ科学ならぬニセ人文学とでもいいますか。
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今RTした、白饅頭を東浩紀氏が持ち上げていた件もまた、日本の現状を問題視して批判することを冷笑して、問題を悪化させておきながら、自分らが批判者より高みにいるかのように振る舞う、下劣なものでしかありません。それに同調する冷笑者の多さにはうんざりします。
twitter.com/9DUTZwxTUPq0UK…
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むしろ日本で天安門事件を言上げする人の少なくない部分は、日本で人権や自由を求める運動に対して、天安門の市民に発砲を命じた権力者の側に近いメンタリティで接してはいないでしょうか。所詮は自分の問題として自由や民主を捉えておらず、冷笑のネタでしかないのではと思うのです。
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いまRTした、冷笑系ネット民の代表格たる「もへもへ」のように、日本のネットで天安門が語られるときは、権威主義的な権力の強権への反発ではなく、中国蔑視や、人権尊重を訴える人を腐す屁理屈にするという、天安門の犠牲者たちと全く逆の思いが見えてしてしまうのです。
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6月4日は天安門事件の日で、日本でも事件に触れる声が多々あったと思いますが、その声を上げた人のうちどれだけの人が、33年前に天安門広場へ集まった人びとの、自由と民主化への熱い思いをいくらかなりとも共有している、したいと思っているのかを考えると、暗澹たらざるを得ません。
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ひろゆきがもてはやされるのも、「清濁併せ呑む」の顛倒の一つの現れでしょう。理想を冷笑することが「現実的」なので「正しい」という顛倒です。何らかの理念に基づいて正しさを決めるのではなく、目の前の権力者や風向きに流されるのを「正しい」と思ってしまうのです。
twitter.com/NCYQ7Q9VoMo6zg…
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議員の数を減らせば減らすほど、「居眠りしてても選挙で落ちない」 議員ばかりになっていきます。目先の利潤を最大化する企業の経験は、公平性を貴ぶべき政治の場に、必ずしも適合的ではありません。 yomiuri.co.jp/national/20220…
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まさにその通りだと痛感します。「清濁併せ呑む」という言葉はほぼ100%、「濁」を正当化する詭弁に過ぎません。これが行き過ぎて、「濁」を飲むことが「正しい」ことで、「清」にこだわることが「お花畑」と馬鹿にされるという、顛倒した世の中になっているように思われてなりません。 twitter.com/Actin_ium/stat…
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その辺の話は尾脇秀和『氏名の誕生 江戸時代の名前はなぜ消えたのか』がとても詳しく、かつ実例を豊富に挙げて面白く解説してくれているのでお勧めです。明治政府の名前をめぐる政策のドタバタもよく分かります。徴兵事務の都合を21世紀まで持ち越すことはないですね。
amzn.to/3akSk9k
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明治に国民全員に苗字を名乗らせ、それを「戸」の共通呼称としたのは政府の国民管理の都合であり、それもかなり成り行きで決まったもので、それまでの名づけとは隔たっていました。それを「伝統」と称して個人の人権を制約してまで墨守する必要は、ないと思います。 twitter.com/chosakukenho/s…
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その点日本では、太平洋戦争どころか、日中戦争勃発以後、生活水準がダダ下がりのまま敗戦に至っています。日本では、政府は臣民をどう見ていたのでしょうか。私たちのご先祖は、革命を起こす可能性を政府に懸念されていなかったのか。そこを考えると、良い悪いでは割り切れぬものを感じます。
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ところで話を戻して、さっきのグラフでナチスは国民の生活水準向上に注力し、戦時中もその維持に励んだとはいえます。それはなぜか。第一次大戦が、食糧不足による国内の混乱での国家崩壊により革命が起こって、負けてしまったからですね。神をも恐れぬナチスも、実はドイツ国民を恐れていたのです。
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しかし皮肉なのは、「世間一般のものの見方とは違うオレ」を演出しようとして、そこで陥ってしまうのが手垢のつきまくった歴史修正主義的言説だったりすることです。学魔・高山宏先生の言葉を借りれば、「そこで人は際立とうと夢みて、かえって類型と複製に化す」のであります。
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私が「ナチスは良いこともした」ネタでいつも思い出すのは、昔の2ちゃんねるの伝説の書き込み「初カキコ…ども…」です(知らない人はこのフレーズでググってください)。人とは違う自分を演出したい中学生が、「尊敬する人 ヒトラー」とやってしまうイタさを、この上なくよく表しています。
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ポストモダンの鬼っ子たちの「逆張り」は、物事をより広い・長い視野で見ることを拒み、わざと一部を切りとって「良いこと」であると言い募っているだけではないでしょうか。その背景には、田野先生のご指摘のような世相があるのはその通りでしょうが、もっと単純に自己顕示欲の中二病もあるのでは。
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実のところ、ナチスの軍需産業投資による景気回復は、後先考えない手形の発行が支えていたので、長いスパンでは破綻する、「悪いこと」でした。戦時中の水準維持も、占領地からの掠奪によって成り立っていますから、被占領国民からすれば「悪いこと」でした。ナチスの「良いこと」は見せかけでした。
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ただ、田野先生のお話は一般向けに分かりやすくしてあるため致し方ないとはいえ、「絶対悪とは何事だ!」とポモの鬼っ子どもがネット上で騒いでいるようです。かかる連中の掲げる「良いこと」について、誰にとってどういう意味やタイムスパンで「良いこと」だったのか、検証すればメッキは剝げます。
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検証を繰り返して議論を積み重ねる中で、「これはダメだ」と多くの論が切り捨てられ、ぎりぎりまで絞られた中で「どっちが正しいか分からない」ということはよくあります。しかし世の逆張り説のほぼすべては、とっくに切り捨てられた説の焼き直しに過ぎないといっていいでしょう。
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歴史学では、というか科学的手法を検証の手段とする学問全般では、安易に「絶対に正しい」とはいえません。通説とは「もっとも正しそうととりあえず合意されていること」です。しかしそれは、「絶対に正しいんじゃないなら俺の説もワンチャンあるかも」を意味しません。論外にダメなのはすぐバレます。
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田野先生のご指摘は全くその通りで、「様々な見方すべてに、等しく価値があるわけじゃない。妥当性の高いものと低いものが存在しています」という指摘は、価値相対主義をはき違えたポストモダンの鬼っ子どもに、常に言い続けなければなりません。 asahi.com/articles/ASQ5S…