墨東公安委員会(@bokukoui)さんの人気ツイート(新しい順)

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もしかするとこれは、展望がない世相で仕事がつまらない人が多く、そんな世の中だから「自分の楽しみで研究してるだけで恵まれているのに、そんな連中にカネを回すなどもっての外」という嫉妬心なんじゃないかなあと、グレーバー『ブルシット・ジョブ』を読んで以来思います。amzn.to/3a30eEj
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天文学や人文学のように分かりやすく「金にならない」学問にカネが回らないどころか、割と直接的に金になりそうな学問すらカネを惜しむのが今の日本のように感じられてなりません。政商的にお上の「重点」になった、ごく限られたプロジェクト(分野ですらない)しかカネが回ってこなさそうで。
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自由に旅行もできない戦時下ですが、この旅行証明書制度は失敗に終わったと言われています。あまりの業務量に担当の警察(こちらの紙にも「代々木警察署」のハンコが見えますね)が音を上げたそうで。統制強化に伴ってますます制度が肥大し、統制が取れなくなってくるという皮肉。 twitter.com/himakane1/stat…
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議員は多い方がいい、少ないと安倍晋三みたいに血筋で選挙に勝てるようなのしか残らない、とはかつてカマヤン先生 @kamayan1192 の著書で学んだことでした。特に記して感謝の意を表します。
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だいたい、日本の人口に対する国会議員の人数は、他のOECD諸国より明らかに低いのみならず、人口が8000万足らずだった新憲法制定時と比べても「減っている」のです。人口が1.5倍に、有権者数は2倍になったにもかかわらず。これは国民の参政権を軽視しているといえないでしょうか。
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「給料、毎月100万円しか」という言い方は語弊があるけれど、議員定数の増加自体は私は賛成です。そうしないと、多様化する現代に合わせた多様な議員が議会に登場しにくくなってしまいます。 asahi.com/articles/ASQ5C…
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早乙女勝元さんの本は幾つか読みましたが、印象に残っているのがベトナムにおける日本軍の食糧収奪が招いた大量餓死に関する本でした。東京大空襲で戦争の惨禍を問い、ベトナム反戦も熱心にとりあげた早乙女さんゆえに、たどり着いた課題と思います。 amzn.to/3yxEbQf
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戦争が「ゆるふわ化」されることで、人々が戦争を受け入れるようになることを、モッセは「戦争の陳腐化」と呼びました。陳腐化は従軍した人を怒らせもしますが、しかし従軍した人も戦争を語る中で陳腐化に手を貸しもします。そうやって人々は戦争やその犠牲を受け入れてきたのだと。 twitter.com/attention_on/s…
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この、仕事が「金になる」ものは男の担当、「金にならない」のは女の担当という仕事の割り振りは近代になって登場したもので、女性を「金になる」労働から排除して家庭に閉じ込め、それから「女は金を稼げない」と差別する、という近代の女性差別構造が形成されるわけです。
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というバカオタ話はともかく、この話にこういうリプをつけてくる馬鹿者には呆れます。すでに商品経済が進行した江戸の都市で、商品として水を売る仕事と、自給中心の生活における家事とを、同列に並べるという愚かしさ。男の仕事は「金になる」、女の仕事は「金にならない」。 twitter.com/ibun_shiina/st…
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ちゃんと検証するには手数がかかりますが、ざっと新聞検索をかけてみた印象では、「自己責任」の第一次流行期は1980年代、中曽根政権時代みたいですね。なるほど、「自己責任」を旗印に福祉を削減し公営事業を民営化し軍備を増やす。やはり原点はあの時代なのではないか。 twitter.com/nasitaro/statu…
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30年前にカフェバーにたむろしていた連中は、今はネット上で暴れています。願わくは、一人でも多くの人が、「腐った猫の死体」よりもマシなもので、穴を埋められますように。(終)
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最後はもう一度、中島らもの引用で締めくくります。 「結局、人間はどっかにポッカリとばかでかい穴があいているのだ。何かで埋めなくてはいけない。埋められれば何でもいい。その結果、腐った猫の死体をいっぱいに詰め込んだ連中が意気揚々とカフェバーにたむろすることになるわけだ。」
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自分自身ではなく、自分自身の外部に「好き」なものを持ち、それを追求したいと思うのは、自己宣伝大好きな人の多さを思うに、意外と少数派なのかもしれません。かつて「オタク」が色目でみられ、今北村先生が叩かれるのは、もしかするとそこで、楽しそうなマジョリティとして嫉まれたからでしょうか?
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ただ一方で、私はふと恐ろしい思いにとらわれるのです。病苦にあえいでいるとか、貧困に苦しんでいるとかでなければ、人は好きなものがあってそれを掘り下げたいと思っているのだ、と私はずっと能天気に信じていましたが、実はそこが一番難しいことなのかもしれないと最近思うのです。
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でも批評精神を持てとか言われたって、そんなの分からないよ、と途方に暮れる方もおられるかもしれません。そういう時には参考書として、北村紗衣先生の『批評の教室』を読めばいいんじゃないでしょうか。批評の基本だけじゃなく、コミュニティを作ることも書いてあります。 amzn.to/3OWRorH
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まあ、結論としてすべきことは、私がかねてから主張していることと変わりません。好きなものをどんどん掘り下げていけば、おのずと同好の士は見つかって、承認欲求も満たせます。掘り下げるのは、本当に「好き」なら、楽しく自然にできるはずです。 twitter.com/bokukoui/statu…
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そのような広告代理的マインドの悪いところを煮詰めたような弊から逃れるには、まず何よりコンテンツをしっかり鑑賞し、批判すべきは批判する、そして何より自分が何が好きかをしっかり受け止めることといえるでしょう。そしてその「好き」を掘り下げていくことで、他者との対話も開けます。
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これによる弊害は、自己宣伝のために他人を道具としてしか見ない、他者への想像力を欠いて人権を抑圧しかねない、ということになります。「表現の自由」という人権を掲げて人権抑圧しかねないのは、タチが悪いにも程があるでしょう。
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そろそろまとめましょう。「表現の自由戦士」と揶揄されるような一部の自称「オタク」は、総動員体制由来のメディアミックスに乗っかって、コンテンツの広告をすることで自分も注目された気になり、コンテンツ広告=自己宣伝を他人に押し付けて、自分が特別な存在と妄信しているのです。
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さらにややこしいのが、宣伝の結果自分たちが属すると思い込んでいる文化がネットで流行っただけでは、十分自己満足できないのです。なぜならそれだけでは大勢の「オタク」の一人に過ぎないから。そこでさらに「特別な自分」を獲得するため、宣伝活動に勤しみ、「敵」を見つけては叩くようになります。
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こうして、コンテンツをダシに、売れているものに乗っかって、自分もマジョリティだと誇るのは、「オタク」の原義からすればまったく別物と言わざるを得ません。「くだらない」と言われがちなアニメやゲームに耽溺することで、マジョリティの価値観を相対化した「オタク」の影はそこにはありません。
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「売れているから」自分も乗っかって宣伝するというのは、宣伝の成功率が高そうだからです。売れていないものを売るのがチンドン屋の腕だとすれば、これはチンドン屋にしても本末顛倒でしょう。しかしこうやって自分の宣伝が「成功」したつもりになることで、自分が社会に認められた妄想を抱くのです。
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ここで付言しておくと、自分が感銘を受け、素敵だと思ったコンテンツを「宣伝」するのは、何のどこを推すかで自分の批評が反映されます。しかし「覇権アニメ」(下品な言葉ですね)に乗っかって、断片化された決めフレーズをネットで叫ぶのには、批評精神はいりません。
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私はこれを仮に「表現の無責任」と呼んでいますが、だから一部のオタクは「売れている」コンテンツを宣伝します。表面的には好きなコンテンツを推しているように見えても、それは売れているから選ばれたのであって、批評眼はありません。こちらのツイートへのリプが典型です。 twitter.com/37_2_le_matin/…