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『神学大全』の日本語訳は、今年度末で新刊では買えなくなります。いずれ役に立ちそうな巻は買っておきたい人におすすめなのは、第9巻(人間の目的・幸福)、第10巻(感情)、第11巻(徳)、第12巻(悪徳)、第13・14巻(法論)です。哲学・神学・西洋思想史に関心のある人には必ず役立つ時が来ます。
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創文社の解散が間近に迫った今、ぜひ見て頂きたい動画がある。1960年から2012年まで、半世紀をかけて完成したトマス・アクィナスの『神学大全』の日本語訳の歩みについての実に貴重な映像が満載で、一冊の書物の翻訳に生涯を捧げた人々の情熱が実にしみじみと伝わってくる。
bit.ly/2tE455z
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トマス・アクィナスを研究していると言うと、「宗教ですか?」と言われることがあるが、実はトマスには「宗教」という概念自体が存在しない。古典を読む面白さはこういうところにこそある。我々が当たり前に使っている概念が存在すらしないようなものの見方に触れ、世界観・人間観が根底から刷新される
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「読解不能な文字」で書かれたトマスのテクストを見て気付かされるのは、彼の思考が何ものかの迫力によって驚異的な仕方で促され続けていたという事実です。普通の活字読むと忘れてしまいがちな緊張感に満ちた思考の現場へと、「読解不能な文字」で書かれたトマスの自筆原稿は立ち戻らせてくれるのです twitter.com/201yos1/status…
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教皇来日をめぐって中島岳志さん、若松英輔さんと行った鼎談が公開されました。教皇の活動について、重なりつつも異なる角度から強い関心を持つ三人が、神学・思想から環境・政治に及ぶまで、多面的に教皇フランシスコの思想と活動の本質を、平明に掘り下げて論じています。
webronza.asahi.com/politics/artic…
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教皇フランシスコの思想と活動のキーワードは、「橋を架ける」です。困難のうちにいる人々、周縁化された人々、異質な人々に橋を架けていく実践のうちにこそキリスト教の本質が見出されるという教皇の思想が、明日からの数日間でどう表現されていくか、注視したいと思います。
bit.ly/2ObCDUp
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明日から来日する教皇フランシスコの思想について、クーリエ・ジャポンから受けたインタビューが公開されました。明日から始まる一連の出来事を理解するための補助線としてお読みください。日本語では他にあまりない、教皇の思想についての本格的な紹介になっています。
bit.ly/2O7rBQ2
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ハロウィンは古代ケルトに由来する祭儀で、もともとキリスト教のものではないので、多くのキリスト教事典には項目自体が存在しません。その中で、『岩波キリスト教辞典』には「ハローウィーン」という項目があります。四方田犬彦による『デビルマン』という項目さえ含んでいる辞典だけのことはあります
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もう古いから読む必要はないと言われている本を実際に読んでみると、実にバランスが良く、しかも斬新な見方にあふれていることがしばしばある。もはや読む必要がないと言われている書物のうちにこそ、現代にあふれている月並みな見方を打破する起爆力のある思考が埋まっている可能性があるのだ。
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書物を読む時に線を引くことに意味があるのは、単に重要な箇所を目立ちやすくするためだけではない。むしろ、いかに自分が大事な箇所に気づいていなかったかということを、次に読むときに気づきうるためにこそ、線を引くことの意味がある。線を引かなった箇所にこそ真の宝が眠っている可能性が高いのだ
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嫉妬とは「他人の善を悲しむこと」とトマス・アクィナスは定義する。この短い定義よりも的確な定義は、なかなか見つからないだろう。他人の持っている善いものを共に喜ばず、それを否定したり見ないようにしたりしているうちに、この世界に豊かに存在する「善」に対する感覚そのものが歪んでしまうのだ
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「この本だけは役に立たないだろう」と長らく思っていた本に、ふと眼を通してみると、一気に新しい視野が開けてくることがある。それは実は何ら不思議なことではない。「この本だけは役に立たないだろう」と思い込ませる根っこにあった先入観こそが、新しい視野の開けを阻害する主な要因であったからだ
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簡単に読みこなすことのできない書物を読みこなしていくためのコツは、簡単には読みこなせないと自覚しながら、地道に読み進めていくことのうちにある。わからない部分をわからないままに抱え込みながら読み続けていくうちに出会うふとした一つの言葉、一つの文章が、全てを解読する為の鍵を与えていく
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一冊の書物を繰り返し徹底的に読み込むことによって、百冊・千冊の書物を眺めるよりも多くの洞察を得ることができるということは一面の真実だが、一冊の書物を真に徹底的に読み込むことができる為には、その書物だけではなく、百冊・千冊の他の書物にも目を通さなければならないということもまた真実だ
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上田閑照先生がお亡くなりになりました。西田幾多郎、西谷啓治の系譜を受け継ぎ、ドイツ神秘主義と禅仏教のはざまで続けてこられた探求は、宗教・宗派の境を超えて、宗教的探求に従事する多くの人々にとって文字通りの導きの糸でした。『エックハルト』など数々の名著があります。ご冥福をお祈りします
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悪魔論に関心のある人に第一におすすめなのは、C.S.ルイス『悪魔の手紙』です。老練な悪魔が若き悪魔に人間を誘惑する手練手管を教示するという形式をとった悪魔論であり、人間論であり、キリスト教論です。『ナルニア国物語』の著者ならではの文学的洞察と神学的知見が統合された名著中の名著です。
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「悪魔」など荒唐無稽な幻想に過ぎず、そんなものが実在するわけはないと人間に思い込ませることこそが悪魔の基本的な戦略だ、というルイスの非常に有名な見解が『悪魔の手紙』では開陳されます。日本語訳は二種類あります。誰もが楽しみながら読めるキリスト教書の一つです。amzn.to/2YTGqs3
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「悪魔は堕天使だ」というキリスト教の説明は、一見荒唐無稽な神話に見えるが、示唆するものが多い。最も優れた天使が、最も優れているからこそ、自分を受け入れることができず、「神に取って代わる」という野望の虜になってしまう。それは自己受容の失敗という意味であらゆる罪の原点になっているのだ
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誰でも聖書を原文で読むことのできる方法があります。聖書のヘブライ語・ギリシア語原文の行間に、一単語ずつ、単語の語義と活用形と発音を記したInterlinear Bibleを活用する方法です。ネットはとても便利で、多数のインターリニア・バイブルのサイトが簡単に見つかります。
biblehub.com/interlinear/ma…
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「神」が何であるかが解明され尽くしたとすれば、それはもはや「神」ではない。また「神」が何であるのか全く分からないのであれば、それを「神」と呼ぶ理由はもはや存在しない。この両極を避けながら、人間の把握を超えた「神」の常なる新鮮さを現前させるところに、神学という学問の存在意義がある。
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我々は、「理解」するから「感動」するのではなく、「感動」するからこそ真に「理解」することができる。これがトマス・アクィナスの「親和性による認識」だ。対象の魅力によって魂が深く揺り動かされることによって、はじめて、我々は物事を深く受け止め真に理解するための出発点に立つことができる。
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いよいよ、待望の聖書の新しい日本語訳『聖書 聖書協会共同訳』が12月10日に刊行されます。発売記念価格での予約がすでに始まっています。聖書の翻訳は、何冊持っていても損はありません。一つの翻訳でわからないことが、もう一つの翻訳で簡単に解決することがしばしばありますbit.ly/2DJHVlp
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宇野重規先生が書いてくださった、『トマス・アクィナス 理性と神秘』のサントリー学芸賞の選評は、拙著の選評としてのみではなく、トマス・アクィナスが現代において持ちうる意義を浮き彫りにした文章として、私自身にとっても非常に啓発的でした。お読み頂けますと幸いです
bit.ly/2BcnGv3
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『トマス・アクィナス 理性と神秘』(岩波新書)が、サントリー学芸賞(思想・歴史部門)を受賞しました。「善は自らを伝達する」を根本思想としているトマスの思想がより多くの方々に伝達される機会となれば幸いです。
読んでくださる皆様に支えられつつこれからも活発に書いていきたいと思います。