相手国が内部で争っている場合、好機とばかりにこちらから攻撃をすると、かえって内部争いを止め、一致団結して抵抗してきます。この場合逆に、相手のどちらかの勢力に援助をすれば、もう片方の勢力は「敵から援助を受ける裏切り者だ」と反発し、さらに内部争いが激化しやすくなります。
戦いは自らの意思で自由に行動できなくなった時に勝負がつきます。つまり、自分の意思が行動に反映されるかが重要であり、意思の弱い者や意思が無い者、他人の言う事や法律、マナー、礼儀などの、他者の価値観を過度に重視する者は戦いに向いてない性格だといえます。最も平和時はその方がよいですが。
ゲームなどでは例えば、100の戦力がいてそのうち50減っても、あと半分あるなという計算がつきますが、実際の戦いでは、兵力が減って不利となると、味方は逃亡を考えだす恐れがあるため、ゲームよりもずっと、味方の損害には気を付けなくてはなりません。
孫子の「戦わずして勝つ」とは、自分の同調者を増やして大軍を作る事です。宣伝、説得、買収、脅迫、魅了・・・戦争では、これらの政略・戦略が一番重要であり、火力を用いた軍事行動は、これらの政略が失敗した時に仕方なしに行うものとなります。なぜなら軍事行動よりも安上がりだからです。
大戦末期に陸軍が、米軍が日本のどこに上陸してくるか考えたとき、日本中どこでも可能性がありそうに思えてきて、青ヶ島にまで兵を送ろうかという話が真剣に検討されました。本当の専守防衛を隅から隅までやろうとすると、金も人手もすごくかかるので、多くの国は相手国への攻撃も視野に入れています。
ゲームなどでいきなり敵を倒しにいくと、反撃をくらう可能性が高まります。最初は敵への攻撃よりも、重要なアイテムや有利な地形を確保するといった、生き残れる可能性が高い、負けない戦いかたをコツコツ繰り返せば、多少の敗戦をしても、トータルで積み重ねた戦績では勝利の方が多くなりがちです。
いざという時の治水施設が役に立っていますね。軍事もそいうですが、非常事態が来るまでは無駄になってしまうけど、やっぱり非常時の備えは必要という矛盾こそが、自然のことわりなのかもしれません。
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平将門と戦った藤原秀郷は、最初将門の味方をしようとしましたが、食事の際、将門が飯粒をポロポロこぼすのを見て 「こんな行儀の悪いのとは一緒に戦えん」 と思い、将門の敵に回り、最後には将門を討ち取りました。武人とは戦い以外でも、普段から注意を払うのが肝心です。
優秀な将軍やリーダーは優れた指導力を発揮しますが、あまりに優れていると、「周囲には任せておけない」と考え、何でもかんでも自らの手でやろうとし、結果的に失敗します。いくら優れていても一日は24時間しか無く、労働力にはおのずと限界があるので、優秀で人に任せない人は注意が必要です。
戦いでは騙しあいが常ですが、騙されないようにするには、数字を見るのが有効です。補給が少ない、時間が無いといった数字は客観的事実なので否定しようがなく、日常生活でも感情論が多く、具体的な数字や期限をあいまいにする人には注意が必要です。
戦力もエネルギーも人員も、常に予備を確保していなくてはなりません。最初から100%で戦うと、必ず息切れを起こしてしまいます。目安として70~80%で動き、どんな場合でも少なくとも10%は予備を確保しておき、その際、予備は用途を定めず、使ったり仕事をさせてはいけません。
独裁者が一度決めた事は、たとえそれが失敗だったとしても軌道修正はなされません。 なぜなら独裁者はライバルを葬り、国民を抑圧しているので、自分の失敗を認めてしまうと恨みを買っている分、逆に対抗勢力や国民に葬りさられる危険があるからです。
人間の群集心理として、攻撃は人の心を中心に集中させる作用(求心)を持ち、防御は人の心を人の心を中心から離散させる作用(離心)を持ちます。ビジネスでも経営者が旗を掲げて、将来の展望を明らかにすれば人の心はとりあえずは収束し、何もせず消極策だと不信を招き、離心作用が表れ始めます。
日本列島は、山脈の谷間の狭い地域に人が住んでるので、お互いが同じ村の顔見知りになりやすく、他人を騙すスパイや宣伝戦が苦手です。それに対し大陸は広大で、初めて接した人はそのまま二度と会わない事も多いので、商いなどで他者を出し抜いたり、諜報をするのに日本人ほど抵抗感がありません。
多くの人がの好きな事は「弱きを助けて、強きをくじく」ですが、国際社会では逆の考えがセオリーです。なぜなら、強国の尻馬に乗って弱国を攻める方が、楽で利益が多いからです。ただしこれをやり過ぎると、強国との関係をうまく保たねば、最後には自分が強国にやられてしまうことになります。
戦いとは簡単に言うと、運搬と流れです。兵や物資、燃料を適切な位置に運び、弾を相手の陣地にぶち込む。つまるところ物流とあまり変わりません。これは人体の構造にも似ており、健康とは体内の血液や体液が正常に流れてることであり、これが滞ると戦いの苦戦、すなわち病気となってしまいます。
奇襲というのは決まれば格好良いですが、基本的には弱者の戦法であり、失敗する確率の方が高くなりがちです。これを成功させるには、手違いをなるべく避け、情報を良く精査し、撤収の時期と撤収方法を良く考えておくことが重要となります。これが不味いと、奇襲は容易く全滅する恐れがあります。
A国とB国を争わせたい時、どちらかをこっそり攻撃し、それを相手国の仕業に見せかけて、仕掛けられた側は怒って報復攻撃を仕掛け、両方騙されたまま全面戦争となります。 このやり方を「触媒戦争」といいます。
戦いの本質はサバイバルとなります。相手を倒す事は二の次であり、勝てぬ相手には無理に挑まず、持久戦、ゲリラ戦によって消耗させ、自分は生き残る事を第一に考えるほうが得策となります。怒りにまかせて攻撃したり、功を焦ったりするより、まず生存につながる行動が大事です。
「政治や軍事を語る者は国中にたくさんいるが、国内の防衛力は弱まるばかりである。なぜなら語る者は多いが、実際に武器を手にして戦おうとする者は少ないからである」 これは紀元前3世紀の韓非の言葉であり、今も昔も問題は変わらないと言えます。
「驕る平家は久しからず」の言葉にある通り、驕った組織は必ず崩壊します。兵法にはそれを利用して、わざと相手を持ち上げて、おごり高ぶった状態にさせる考えがあり、中国の兵法で言うところの「之を敗(やぶ)らんと欲せば、必ず姑(しばら)く之を輔(たす)けよ」がそれにあたるので注意が必要です
馬の乗り手が緊張すると馬も緊張するように、上官が緊張すると、部下もそれを読み取って不安になります。上司は3年たって部下の事を理解するといいますが、部下は上司がどういう人間かを3日で理解するといわれます。
戦いでは、強い武器を持った方が断然有利となります。ところがマンガとか映画などの創作の世界では、弱い武器で強い武器を持った相手を倒すストーリーが好まれるので、これを過度に鵜呑みにしたり、「強い武器は卑怯」などの思想にとらわれやすいので、注意が必要となります。
かつて日本軍と国民党が戦い、結果的に中国共産党が漁夫の利を得、天安門事件の後天皇陛下が訪中した結果、国際社会の中国の信頼が回復しました。現在の中国も頼みの綱は日本を利用する事ですので、これからますます親中の人々が活発になっていくかもしれません。