201
タッキー&翼のBest
「Thanks Two You」release
「True heart」が収録されてる
2002年彼らのFirst albumの1曲目
実はシングルでは書いた事がないのに
僕にとって印象に残る作品が多かった
全8曲これでタッキー&翼との物語も
一旦終わる
でも歌は残り
未来はまた別の形で…
Thanks T&T
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今夜の横浜港の風は
ひどく冷たくて
とても散歩には
向いてなかった
早めに着いたものの
結局caféに
2018年最後のライブは
ソン・シギョンさん
心暖まる声
冬の帰り道に
よく似合う
一緒に作った何曲か
答えと未来を
見せてくれました
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テレビ画面に
熱風を歌うASKA
1980年初めてした握手の
その手の感触
Man and Woman
2006年今思えば
苦しんでいた頃かもしれない
彼の視線
「ひとつを探すふたつの形
見えないものを繋ぐ」
それはただC&Aへの気持ち
どこかに置いてきた
大切なものがあるなら
いつかふりかえっても
いいのかもしれない
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Eテレの番組で
King & Princeが
勇気100%を歌っていた
2019年最初に聴く
自分の作品
暦の節目は
それほど意識しないが
去年末からの様子は
少しいつもと違った
歌が消費だけされないために
どうすべきか
またペンの先に問う
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CHAGE and ASKA
デビュー40周年か
「ひとり咲き」は
印象的だった
後に詞を書く事になるとは
夢にも思わなかった
当時のポプコンは
関西や九州勢が強かった
20代の入口
なんになるがもわからなかった
自分と比べたら
C&Aの視線はしっかりと
未来を見ていた気がする
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誰も歩いてないところを
歩くのは勇気がいる
その先がどうなっているか
それは正しいのか
例えば誰かと同じ道を選んでも
歩幅が違えば
それは違う道になる
なら誰とも違う方角に
一歩踏み出してみるのもいい
それがなんになるか
わからないから
行く意味というのもある
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嵐のニュースは驚いた。SMAP、 TOKIO 、タッキー&翼 …みんないつかは大人になる。そのメンバーの一員であることと、ひとりの人間であることの狭間で、時間は容赦なく変化や進化を求めてくる。ただ、歩いて行く道がひとつではなくても、歩いてきた道はひとつ。それはきっと支えにもなる。
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どこをどう歩けば正しいのか
そんなことはわからない
間違えたら後悔して
うまくいったら欲も出て
それでも時を刻む命はひとつ
なんでもない瞬間でも
誰もが心を決めている
自分以外に
自分の人生の
主役はいない
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1984年だったかな
確か新宿
CHAGE and ASKAのライブ
玉置浩二と観に行った
「MOON LIGHT BLUES」を
浩二の飛び入りで3人は歌った
まだ僕らは20代
自分の運命を変えた3人の姿は
いまも脳裏に焼き付いている
時は流れる
どこへかはわからなくても
時はかならず流れる
212
歌がただモノのように
消費されていくこともある時代で
歌がそのアーティストに寄り添って
成長していくのを感じるのは
作家にとってこの上ない喜びだ
仕事である以上数字は無視出来ないが
数字には現れない価値観も信じていいはず
たとえ青臭いと言われようと
213
青山劇場が改修され残るらしい。少年隊の「PLAYZONE」を思い出す。公演のための作品も何曲か書かせてもらった。歌にとって劇場はオーディエンスとの距離を測れる重要な場所だ。歌が言葉がちゃんと届いているか。100人と1000人のキャパでは、声の響きが違う。言葉も同様に。また新しい物語が生まれる。
214
準備なく口にする言葉で、その人の本質が見え隠れする時がある。撤回したからといってなかったことにはできない言葉もある。言葉を扱う者として、ペン先がどこに繋がっているか、ちゃんと目を開いていないと、大切な事を見失う。
215
命はひとつ
その命と
向かい合うと
決めた人がいるなら
どうか神様
その人に
力を貸してください
たぶんそれは
優先順位の高い
あなたの仕事だ
216
今年も「V6の愛なんだ」放送だ
毎年力を貰える
音源を整理してみたら
「愛なんだ」は
3バージョンあった
同じ曲のバージョン違いは
僕の作品では珍しい
SingleとAlbum Ver.
それにRemixがある
そして玉置浩二のセルフカバー
この曲は書いた日の事を
よく覚えてる
1996年30歳台最後の年
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ジャニーズのアーティストは
みんな多忙ゆえに
ほとんどお逢いする機会がない
そんな中で
タキツバの翼くんとは
打ち合わせした事がある
SexyZoneはラジオ局でご挨拶を
一番最初はV6だった
1996年の玉置浩二のライブに
ドラマで共演してた井ノ原くんと
メンバーが何人か
愛なんだはそこから生まれた
218
仕事として歌詞を書く前は、レコード会社のディレクターに歌詞を見てもらいに行く度、ヒットしてるものを手本にと言われた。そんな時に誰とも違う世界観でと言ってくれたChage&Askaのプロデューサー。遠いと思っていた場所に扉はあった。人と違うことを怖れない。いまでも肝に命じて。
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田村芽実さんに
「体温」
という歌を
書きました
はじめて
というのは
二度はない
その声は
言葉に
どんな
命を
与えてくれるのか
また
素晴らしい
邂逅
youtube.com/watch?v=5iHgOQ…
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歌唱力があるが故に自分の形を見つけられない人がいる。一方で、若くしてしなやかな形を既に持っている人もいる。どんな力も得ることに越したことはないが、それをただ技術としてだけコントロールできてもだめなのかもしれない。醜い傷さえもさらすことで湧き上がるもの。人はきっとそこに喝采を送る。
221
やりたい事のためには、やりたくない事もたくあると覚悟しないと。夢は現実に近づくほど難しくなる。時として夢が叶う事と覚める事は似ていたり。なにかになるより、なにかでい続ける事の方が苦しい。それでも、と思える心があれば。未来はわかってくれる。
222
あの日
最後のBOØWYを
見届けなかった後悔
近年BOØWYアイテムが
リリースされるたび
ちゃんと聴くべきだった
Dreamin'が聴こえてくる
その永遠に届かない氷室京介の声
それはいまでも少し痛い
223
例えば街で
すれ違った人の
髪の香りに
記憶が蘇る時がある
歌にもそんな力がある
五感に繋がっているような
そんな歌を作りたい
体温や彩や
ただ聴覚だけに
留まるのではない言葉を
つかまえたい
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西城秀樹さんの新譜が発売される。97年にYOSHIKIさんと書いた「moment」も入る。秀樹さんにはお逢いしたこともなく、ご縁も一曲だけだけど、タイトルが示すとおり大切な「瞬間」を形に残してくれた。その人生のたとえ数分でも自分の書いた言葉を歌ってもらえる。それを奇跡と言わずなんと言おうか。