国立公文書館(@JPNatArchives)さんの人気ツイート(古い順)

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承久3年(1221)7月13日、承久の乱に敗れた後鳥羽院が隠岐へと流罪になりました。画像は乱の顛末を描いた『承久記』(林羅山旧蔵)。実はこの乱が百人一首にも影響を与えているとか。詳しくは22日からの「ふしぎなふしぎな百人一首」展で!buff.ly/2txI5GO
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明治4年(1871)7月14日、諸藩に「廃藩置県の詔」が発せられました。これにより、藩が廃止されて府県となり、明治政府は「萬国ト対峙」できるような集権国家としての体制を整えました。画像は、「廃藩置県の詔」を収録した文書です。buff.ly/2t3NxxQ
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画像は『本草図譜』に描かれたムラサキです。ムラサキは夏に白い花を咲かせます。万葉集などの古典にも登場し、その根は紫根染めの原料です。栽培が難しく、現在は絶滅危惧種。『本草図譜』は幕臣の岩崎灌園が編纂した植物図鑑で、文政11年(1828)に完成し、約2000種を収録しています。
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文禄4年(1595)7月15日、豊臣秀吉の甥の関白豊臣秀次が高野山で切腹しました。この事件の原因は、秀吉による陰謀説、秀次の素行不良説などがあり、近年では秀吉に秀次を切腹させる意図はなかったという説もあります。画像は、太田牛一が著した『天正記』の内、秀次の切腹に関する部分です。
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承和9年(842)7月17日、伴健岑(とものこわみね)と橘逸勢(たちばなのはやなり)らが皇太子恒貞親王を奉じて東国で挙兵し、反逆を企てた罪で逮捕されました。いわゆる承和の変の勃発です。この後、朝廷内で藤原北家の藤原良房の勢力が台頭していきます。画像は『続日本後紀』の該当部分です。
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昭和35年(1960)7月19日は、第1次池田内閣が発足した日です。首相の池田勇人は大蔵省出身の経済・財政通であり、池田内閣は「国民所得倍増計画」を掲げて高度経済成長の礎を築きました。画像は、「国民所得倍増計画」に関する閣議書です。buff.ly/2uY9YXx
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慶応2年(1866)7月20日、江戸幕府14代将軍徳川家茂が、数え年21歳の若さで薨去(こうきょ)しました。画像は、十七回忌の際、静寛院宮(和宮)との婚姻関係により、宮内省から香華料が下賜(かし)されたことなどが記された資料です。buff.ly/2vjTPeq
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今日(7/23)は大暑。紅葉山文庫旧蔵の『源氏物語』から涼しげな画像を探してみました。「常夏」では光源氏たちが釣殿の上で、氷水を使った水飯を食べている場面が登場します。冷蔵庫もエアコンもない当時では、大変な贅沢だったようですよ。buff.ly/2ugSeqr
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今日(7月25日)はかき氷の日です。日本で初めて氷販売の事業化に成功したのは「函館氷」を売り出した中川嘉兵衛という人です。写真は開拓使が中川に専売免許を与えた文書になります。開拓使が北海道の新たな産業として氷の販売事業に期待を寄せていることがうかがえます。
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文明18年(1486)7月26日、太田道灌(おおたどうかん)が主君の上杉定正(うえすぎさだまさ)によって殺害されました。江戸城を築き、和歌にも堪能な知勇兼備の道灌でしたが、定正はその有能さを恐れて殺害したとも伝えられています。画像は江戸時代に成立した『北条記』の該当部分です。
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天文5年(1536)7月27日、比叡山の僧兵が京都の法華宗二十一本山を焼討した天文法華の乱(天文の法難)が勃発、洛中の大半が焼失しました。その被害規模は、応仁・文明の乱以上とされています。画像は、醍醐寺理性院の厳助が記した『厳助往年記』(げんじょおうねんき、写本)の該当部分です。
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明治45年(1912)7月30日、明治天皇が崩御され、同日以後を改めて大正元年とする旨の改元の詔書が発せられました。画像は、改元の詔書発布時の閣議書です。buff.ly/2tIKCfb
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天正18年(1590)8月1日は、豊臣秀吉から新たに関東八ヶ国の支配を命じられた徳川家康が初めて江戸に入った日とされています。後に江戸幕府は、この日を「神君の江戸御打入り」の日として、年中行事(八朔)を行うようになりました。画像は寛文年間成立の『家忠日記増補追加』の該当部分です。
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延喜元年(901)8月2日、日本三代実録が完成しました。天安2年(858)8月から仁和3年(887)8月までの約29年間を収録した歴史書で、古代律令国家が編纂した正史である六国史の最後にあたります。画像は紅葉山文庫旧蔵の写本のうち、序文の最後の部分です。
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永禄10年(1567)8月3日、伊達政宗が誕生しました。幼少時に疱瘡を患って右目を失明しましたが、やがて伊達氏の17代目当主となり、奥州随一の武将として活躍しました。そのため、後世に独眼竜というあだ名がつけられました。画像は林家旧蔵資料である『伊達政宗譜』(写本)の該当部分です。
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文政13年(1830)8月4日は、幕末の思想家、吉田松陰の誕生日です。松陰は松下村塾で明治維新の指導者らを育成したことで知られています。画像は、明治22年(1889)に、藤田東湖らと共に正四位(位階のこと)を追贈された際の資料です。buff.ly/2vd6xPS
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ちはやぶる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くぐるとは――映画や落語のタイトルでもお馴染みのこの和歌。『古今和歌集』と『伊勢物語』にはそれぞれ内容の異なる逸話が載っているんですよ。詳しくは開催中の企画展「ふしぎなふしぎな百人一首」で!buff.ly/2vdeeFT
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画像は『有毒草木図説』に掲載された牽牛子(けんごし)〈アサガオ〉です。夏に花が咲くアサガオですが、種子には毒があります。『有毒草木図説』は、尾張藩士の清原重巨(しげたか)が編纂した書で、和漢の本草書に記載された有毒植物を記しています。
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嘉永7年(1854)8月6日、当時人気絶頂にあった八代目市川團十郎が大坂の旅宿で謎の自殺を遂げました。当館が所蔵する『弘化雑記』には、当時出版された「死絵」(追悼の錦絵)が綴じられています。buff.ly/2heAlFz
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明日8月8日(火)から15日(火)まで、 当館1階展示ホールにて終戦の詔書の原本を特別に展示します(展示時間:9:15~17:00)。この機会に是非、ご覧ください。buff.ly/2u6wdxv
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8月8日は「世阿弥忌」。世阿弥の没年は嘉吉3年(1443)頃と推定されています。当館所蔵の『夢跡』(『夢跡一紙』)は、生前に世阿弥が急逝した息子元雅へ宛てた追悼文で、現存最古の写本です。buff.ly/2u6AtNu
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画像は武将100人の和歌を集めた『武家百人一首』。実はこの他にも百人一首には様々な種類があるんです。開催中の企画展「ふしぎなふしぎな百人一首」でご覧頂けますよ!今日(8日)から15日までは「終戦の詔書」も展示。休まず開館しています。buff.ly/2u3hOhA
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今日(8/9)は、長崎原爆忌です。画像は『全国主要都市戦災概況図』のうちの長崎の図です。細かい格子で丸く塗られた部分は、原爆投下による全壊全焼区域を示しています。戦災の概況を復員帰還者に知らせるため、昭和20年12月に作成されました。buff.ly/2hA5ljv
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元禄6年(1693)8月10日は井原西鶴の忌日です。元禄文化を代表する人物ですね。画像は昌平坂学問所旧蔵の『本朝桜陰比事』で、裁判を通して鋭い推理や当時の世相を描いた浮世草子です。言うなれば日本で最初のリーガルサスペンス(?)。buff.ly/2wl6jnf
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文政13年(1830)8月10日は、「維新の三傑」の一人、大久保利通の誕生日です。大久保の事績の一つとして、明治6年(1873)に内務省を設置し、殖産興業を推進したことが挙げられます。画像は、内務省の設置に関する資料です。buff.ly/2vaOGYy