昔、ガンダムを例にとって、戦争をするどちらの国にも正義はあると書いたことがあるんですが、最近、ガンダムシリーズを見なおして、コロニー落としという非武装住民の大虐殺を実行したジオン公国はどう考えも悪だと分かった。なにをみてたんだ。でもファーストみたの中学生だったからな。坊やだからさ
吉野家の牛丼うまいじゃんね。美食を知ったあとでも食いたくなるような、飽きのこない絶妙の味だと思う。売る当人がそう思っていないのがびっくりすぎた。
シャブ漬けのように吉野家の牛丼を食う状態を正確に描写すると、寝起きに一杯、午前中に一杯、昼に一杯、おやつに一杯、夜に特盛り、寝る前に一杯…牛丼が食いたくて約束を飛ばし、仕事をさぼり、牛丼代のために犯罪に手を染める、です。実情を知れば「シャブ漬け」という表現を一般化できないはず。
枕詞のように毎回、俺はズレていると前置きしているけど、覚醒剤密売団も取材対象にしてる身からすると、マックもそうだとか、スナック菓子もシャブ漬け戦略だとか、スラングのニュアンスを弱め「夢中になる」「依存する」という意味のどぎつい表現として一般化して欲しくない。それに最後は廃人だぞ。
ばんばん車が走ってて、路上駐車をしてて、路肩がでこぼこな車道を選び、滑りやすい雨の日の夕方に試乗会をやったらいいのでは? twitter.com/abe2kasa/statu…
いつもあんなにうるさいのに、こんだけ強引に押し通そうとするの、いつもと違いすぎて勘ぐるな。
今こそ小林勇貴への私怨を晴らしたいのだが、悪評を広めようとしてるヤツがちょっとどうなんだという感じで、いまいちのれないw でもリンク先はみないほうがよいです。悪のりが受け、どんどん小林は増長した。俺が文句をいっても、周囲は笑って小林の機嫌をとった。映画会社とか本当にクソだった。
警部、犯人はこの線香立てに足を踏み入れてから、一帯を歩き回ったと思われます。
ヤフコメって罵詈雑言と誹謗中傷の巣窟で、なんのために存在するのか不思議だったのだが、閉鎖されるとPVが3分の1に落ちるんだって。なんてことはない、配信元が広告料を稼ぐため、憎悪とヘイトで燃やしてたのか。意外性ゼロのオチだな。
『ラブカは静かに弓を持つ』の帯にスパイ×音楽小説とあって、なにごと??ってなったんだが、JASRAC対ヤマハ音楽教室の対立抗争が題材なんすね。『ヤクザときどきピアノ』が参考文献に上がってて、著者の安壇美緒さんから丁寧な手紙を添え、ご恵投いただきました。ありがとうございます。面白そう。
実際にJASRAC職員が、主婦を名乗ってヤマハ音楽教室に2年間潜入した経緯のあらまし。楽器はバイオリンで、発表会にも出た。おそらくポップスを選んでレッスンを受けたはず。/JASRAC、ネットで物議醸す「音楽教室に潜入調査」報道にコメント「違法ではないと認識」itmedia.co.jp/news/articles/…
『沖縄ヤクザのちむどんどん』を書くので、金払って朝の連ドラに追いついた。にぃにぃは白タク運転手にならなかったが、プロボクサーになって短期間で60万円を仕送りするとか、副業で用心棒をしてるとしか思えないw 当時、ボクシング興行はヤクザが仕切ってた。最近までヤクザの名前のジムがあった。
沖縄ヤクザのちむどんどん…かなり面白いと思う。比嘉家の歩みはそのまま沖縄ヤクザ史だから。ヒロインの比嘉暢子が本土に渡り、舞台が鶴見に移ってからもちゃんと繋がる。ネタバレしたら怒られるのでもったいつけて悪いのだが、うちの本棚…呉市史の横に鶴見区史があんすよ。完全に俺のターンだろ。
冒頭のアシバー小唄(暴力団小唄)、今ならまだ歌える人がいると思う。ネタとしての沖縄ヤクザは手垢が付きまくっているので追ってはいないけど、案外、空白部分が多く、聞き書きだけでも残しておこうかという気になった。なら急がなくては/追悼 布川徹郎ドキュメント 3 youtu.be/1tLeRIlZzXg
ちむどんどんには、アメリカ軍基地や物資の横領強奪横流し、旧円、B円、ドル、新円など5回も通貨切り替えがあった事情とか、Aサインバーや歓楽街としての白人街、黒人街とか一切合切ないのだが、仕方ないんだろうな。でも食い足りないよね/追悼 布川徹郎(1) youtu.be/bmjohTUIzxQ
沖縄の県人会も、かなり他の地域とは事情が違うのだが、どこまで説明するんだろう。今の沖縄は憧れの対象で差別なんてないけど、当時は本籍地が沖縄だとなかなか就職するのも大変もだった…Uターンしてきた幹部から聞いた。言葉の問題もあるし。ま、ドラマはそもそもウチナーグチを喋ってないもんね。
ちょうどいまドラマは沖縄返還直後だけど、このあと記念行事として沖縄海洋博があり、その後、反動で観光客が激減、ホテルの稼働率が10パーセント近くになって不景気がやってくる。同時にヤクザ抗争も激しくなる。その後、回復するのだが、JALやANAがテレビでバンバン沖縄旅行のCMを流してた。
今年は暴対法から30年の節目らしいが、あの法律がなぜ出来かといえば、沖縄ヤクザの抗争が激しすぎたからです。工藤會に対する武器として福岡県で暴排条例が制定されたのと似ている。
ヤクザと関係ないので放出する。暢子が鶴見を訪問したのが1972年(昭和47年)の沖縄返還直後なら、沖縄人が住んでいたのは鶴見橋を渡った潮田(うしおだ)だ。戦争で焼け区画整理されたが、その後も重化学工業の工員街だった。日本鋼管の溶鉱炉もあったし、公害の原風景といった感じの風景だったはず。
潮田は浅野の埋め立てで急速に発展した京浜工業地帯だ。俺は札幌なので未経験なのだが、当時、光化学スモッグ(工場の排煙や自動車の排気ガスが光化学反応を起こす)が問題になっていた。翌年の1973年には、光化学スモッグ注意報が年間300日近く出された。ほぼ毎日じゃんね。
戦前の潮田一帯を描いたのが、野澤富美子の『煉瓦女工』。映画化もされている。当時、鶴見では潮田を「川向こう」と読んだらしい。一般的に差別的なニュアンスを含有する言葉で、俺の若い頃はこの単語を含む歌が放送禁止になったりした。/ youtu.be/asX1Y8ghZaU @YouTubeより
今の朝ドラは文句を言わずに視聴料を払ってくれる年寄りたちがメインターゲットなんだろうな。子供返りした年寄りが観て、泣いたり笑ったりするドラマに、子難しい社会性はいらないもんね。そういう仕様なんだと思う。
沖縄の歴史を追っていくと、異文化が差別と憧れという、極端から極端を移りゆく様子がはっきり分かる。差別の問題を解消する参考になるかもしれない。
『ちむどんどん』に否定的な人は、現在の常識で「ありえない」と憤慨してるようだけど、当時の沖縄ってすごく特殊なんだよ。アメリカ統治下で右側通行・ドルなんだけど、アメリカの憲法も、日本の憲法も適用されなかった。米兵による交通事故や暴行・殺人事件の被害者になっても泣き寝入りだった。
次女が上京する2年前にはコザで暴動が起きた。日本国籍だけど本籍地が沖縄の人は沖縄人、琉球住民だった。だから本土の沖縄県人会って、終戦後は難民センターに近かった。新参者の住民である沖縄人は、自分の土地を所有する前に、県人会の会館を建てようとしたんだって。今の感覚だとわかんないよね。