『ちむどんどん』は沖縄復帰50年の記念のドラマだから、口を出してくる部外者が多いんじゃないのかな。がっつり説明がないだけで、抜けを落ちたその部分を補足すると詳細に調べてるのがわかる。あと現代の基準ではギリギリまで攻めてる。これから先は知らんが、なかなかいい脚本と思うな。
鶴見の県人会の人が書いた本には、大和人(ヤマトンチュー)、沖縄人(ウチナンチュー)、朝鮮人(チョーシナー)という差別があったと書いてる。ドラマはいま、本土返還の1972年だけど、当時、鶴見にいた旭琉會の幹部に訊いたら、鶴見の下宿や飯屋によく「沖縄人お断り」って貼ってあったみたい。
背景が分かると、比嘉家のお父さんがどんな人生を歩んできたか、おぼろげながら想像出来る。それに終戦直後は、アメリカが沖縄を占領していたから、引揚者や疎開者も沖縄に戻ることが出来ず、定住を選んだ人もいた。以前、県人会は難民センターと書いたけど、鶴見には難民労働組合があったんだよ。
今日の『ちむどんどん』を補足する。鶴見には戦前から県人会、会館があった。戦中、焼夷弾で焼かれるのを防ぐために取り壊したが、すぐ再建された。沖縄人が鶴見に定住したのは、潮田・生麦の海岸線が遠浅だったため、浅野総一郎が大正2年から15年に渡り埋立工事を始め、京浜工業地帯が出来たから。
30代にがっつり仕事したら、40代はそのお釣りで食える。50代にがっつり仕事したら、60代でたぶん死ぬ
いまバイトで月に15万もらってるとする。15年後に20倍だから…300万もらってんだよ。それで借金が消えるかしらんのだが、今とは事情がずいぶん違う。脚本家がどこまで考えてるか知らんけど、考証はかなりのプロがしてるはず。NHKはちゃんと補正してて、視聴者が気づいていないのかもと言いたかった。
借金はどうなった?という批判も多いけど、昭和は物価も給料もばんばん上がる。貯金でもすごい金利が付く。うちの父は初任給が1万円代なのに、俺が小学生の頃は20万とかもらってるわけ。俺の知識は偏ってて推測なんけど、そう考えると借金とかどうにかなったような気もする。違ってたらごめん。
これは沖縄の人だけじゃなく、なにかあって逃げるように地元を飛び出しても、昔は落ち延びる先があったのよ。就職を決めず、住む場所もなく激情的に来訪しても住み込みの仕事があって、その地で生活できた。北海道にもいっぱいいたよ。今は身分証や銀行口座がないとなにも出来ないからたいへんだよね。
なので暢子が就職も住居も決めないまま上京したのはおかしいと憤慨する人が多いみたいだけど、戦前から沖縄県人会のある鶴見にいったらなんとかなったんだと思う…って解釈でいいがでしょう?w 実際、女工にならすぐなれたはず。アパートも契約書だ、敷金だ、保証金だなんてことはなかったろうし。
次女が上京する2年前にはコザで暴動が起きた。日本国籍だけど本籍地が沖縄の人は沖縄人、琉球住民だった。だから本土の沖縄県人会って、終戦後は難民センターに近かった。新参者の住民である沖縄人は、自分の土地を所有する前に、県人会の会館を建てようとしたんだって。今の感覚だとわかんないよね。
『ちむどんどん』に否定的な人は、現在の常識で「ありえない」と憤慨してるようだけど、当時の沖縄ってすごく特殊なんだよ。アメリカ統治下で右側通行・ドルなんだけど、アメリカの憲法も、日本の憲法も適用されなかった。米兵による交通事故や暴行・殺人事件の被害者になっても泣き寝入りだった。
沖縄の歴史を追っていくと、異文化が差別と憧れという、極端から極端を移りゆく様子がはっきり分かる。差別の問題を解消する参考になるかもしれない。
今の朝ドラは文句を言わずに視聴料を払ってくれる年寄りたちがメインターゲットなんだろうな。子供返りした年寄りが観て、泣いたり笑ったりするドラマに、子難しい社会性はいらないもんね。そういう仕様なんだと思う。
戦前の潮田一帯を描いたのが、野澤富美子の『煉瓦女工』。映画化もされている。当時、鶴見では潮田を「川向こう」と読んだらしい。一般的に差別的なニュアンスを含有する言葉で、俺の若い頃はこの単語を含む歌が放送禁止になったりした。/ youtu.be/asX1Y8ghZaU @YouTubeより
潮田は浅野の埋め立てで急速に発展した京浜工業地帯だ。俺は札幌なので未経験なのだが、当時、光化学スモッグ(工場の排煙や自動車の排気ガスが光化学反応を起こす)が問題になっていた。翌年の1973年には、光化学スモッグ注意報が年間300日近く出された。ほぼ毎日じゃんね。
ヤクザと関係ないので放出する。暢子が鶴見を訪問したのが1972年(昭和47年)の沖縄返還直後なら、沖縄人が住んでいたのは鶴見橋を渡った潮田(うしおだ)だ。戦争で焼け区画整理されたが、その後も重化学工業の工員街だった。日本鋼管の溶鉱炉もあったし、公害の原風景といった感じの風景だったはず。
今年は暴対法から30年の節目らしいが、あの法律がなぜ出来かといえば、沖縄ヤクザの抗争が激しすぎたからです。工藤會に対する武器として福岡県で暴排条例が制定されたのと似ている。
ちょうどいまドラマは沖縄返還直後だけど、このあと記念行事として沖縄海洋博があり、その後、反動で観光客が激減、ホテルの稼働率が10パーセント近くになって不景気がやってくる。同時にヤクザ抗争も激しくなる。その後、回復するのだが、JALやANAがテレビでバンバン沖縄旅行のCMを流してた。
沖縄の県人会も、かなり他の地域とは事情が違うのだが、どこまで説明するんだろう。今の沖縄は憧れの対象で差別なんてないけど、当時は本籍地が沖縄だとなかなか就職するのも大変もだった…Uターンしてきた幹部から聞いた。言葉の問題もあるし。ま、ドラマはそもそもウチナーグチを喋ってないもんね。
ちむどんどんには、アメリカ軍基地や物資の横領強奪横流し、旧円、B円、ドル、新円など5回も通貨切り替えがあった事情とか、Aサインバーや歓楽街としての白人街、黒人街とか一切合切ないのだが、仕方ないんだろうな。でも食い足りないよね/追悼 布川徹郎(1) youtu.be/bmjohTUIzxQ
冒頭のアシバー小唄(暴力団小唄)、今ならまだ歌える人がいると思う。ネタとしての沖縄ヤクザは手垢が付きまくっているので追ってはいないけど、案外、空白部分が多く、聞き書きだけでも残しておこうかという気になった。なら急がなくては/追悼 布川徹郎ドキュメント 3 youtu.be/1tLeRIlZzXg
沖縄ヤクザのちむどんどん…かなり面白いと思う。比嘉家の歩みはそのまま沖縄ヤクザ史だから。ヒロインの比嘉暢子が本土に渡り、舞台が鶴見に移ってからもちゃんと繋がる。ネタバレしたら怒られるのでもったいつけて悪いのだが、うちの本棚…呉市史の横に鶴見区史があんすよ。完全に俺のターンだろ。
『沖縄ヤクザのちむどんどん』を書くので、金払って朝の連ドラに追いついた。にぃにぃは白タク運転手にならなかったが、プロボクサーになって短期間で60万円を仕送りするとか、副業で用心棒をしてるとしか思えないw 当時、ボクシング興行はヤクザが仕切ってた。最近までヤクザの名前のジムがあった。
実際にJASRAC職員が、主婦を名乗ってヤマハ音楽教室に2年間潜入した経緯のあらまし。楽器はバイオリンで、発表会にも出た。おそらくポップスを選んでレッスンを受けたはず。/JASRAC、ネットで物議醸す「音楽教室に潜入調査」報道にコメント「違法ではないと認識」itmedia.co.jp/news/articles/…
『ラブカは静かに弓を持つ』の帯にスパイ×音楽小説とあって、なにごと??ってなったんだが、JASRAC対ヤマハ音楽教室の対立抗争が題材なんすね。『ヤクザときどきピアノ』が参考文献に上がってて、著者の安壇美緒さんから丁寧な手紙を添え、ご恵投いただきました。ありがとうございます。面白そう。