小野寺系 / Kei Onodera(@kmovie)さんの人気ツイート(リツイート順)

河村市長の金メダル噛み問題、もちろん最悪だけど、不正リコール発覚時に政治生命が終わらず、さらに当選してる時点で、もう世の中が狂ってるとしか。そりゃやりたい放題やるよね。
唐突に異性を好きになる描写は数限りなくあるのに、同性を好きになる描写の前には伏線をいろいろ張ってなきゃだめというのも、結構な差別だと思うけど。
検査前にイソジンでうがいをすると、たしかに一時的に結果が陰性に判定されやすくなるんだろうけど、本来陽性の人が陰性になることには社会的な不利益しかないと思う。これが、“大阪モデル”が崩壊していることを隠蔽するために市民を危険にさらす政治家の思いつきなのだとしたら、犯罪的だと思う。
ヤフーはヤフコメにおける民族・性差別、個人攻撃の氾濫をずっと放置しているわけで、話が皇族の問題に及ぶと自制を求めるというのは、いかなるポリシーに基づく行動なのかをはっきりしてもらいたい。 twitter.com/tsuda/status/1…
『グリーン・ライ』というドキュメンタリー映画で、メキシコ湾岸の原油流出事故のその後を追ってるんだけど、企業は“石油分散剤”なるものを海に撒いたという。これは有毒であるうえに、油を除去せず沈めて見えにくくするだけのものだった。日本企業がどういう措置をとるか見ておかなければ。 twitter.com/reutersjapan/s…
ウクライナ側も、かつて枢軸国だったドイツやイタリアがそうであるように、「日本が過去の体制を反省し、全く違う考えの国になってる」と思っているからこそ、その象徴を掲げる表現は問題ないと思ったわけなんだろうけど、日本が戦前、戦中の価値観を捨てていないということを知らなかったらしい。 twitter.com/segawashin/sta…
国民に対するDVのような発言。なんでこんなこと言うのか不思議なんだけど、考えてみたら、いまやご機嫌をとる方向が既得権益層や経団連ということで、一般庶民に媚びる意義すらもう感じてないということなのかと。 twitter.com/akasannom/stat…
原節子の若い時代からの伝統だというのがすごい。 twitter.com/braidsred/stat…
何年も前に、ツイッターでフォローしてくれた女優さんがいて。彼女がピンク映画に出るということでプロモーション映像を紹介していたので、見にいってみたら衝撃を受けてしまった。→
例えば家族が発熱して肺炎を起こして、コロナを疑っても検査の許可は下りず、病院に行ってそのまま亡くなって、「死因は肺炎です」って言われたとしたら。それでも唇をかみしめて、「うちは医療崩壊の原因にはならなかった。お国のためになった」と思って口を閉ざすことが求められているのだろうか。
それまで「人魚姫」はブロンドのイメージが多かったが、『リトル・マーメイド』では赤毛を鮮烈な色合いで表現。このプリンセスの存在が、赤毛にコンプレックスを抱いていた女の子たちの意識をポジティブに変えることに繋がった。だから、いまの実写版の選択は、原作への本質的なリスペクトだといえる。
今回の沖縄の例も象徴的。世の中の諸問題に対して、とくに考えもせず貢献もしない人たちが、抗議運動を冷笑することで、努力する人の上の立場になった気になれるという思い込み。承認欲求や達成感がインスタントに満たせるという一発逆転の構造を提供したという意味で、カルト宗教の教祖に近いと思う。
普通に考えたら分かるけど、ナチスになぞらえて批判することが国際的にタブーだとしたら、ナチの思想を受け継いだ団体や、似たような手法をとる政治家や党にナチって言えないので、言論がめちゃくちゃ後退してる状況にあるわけで、それで得するのはナチ的な人たちだけじゃん。
表現におけるポリコレの重要性や世界のスタンダードの感覚を無視することの危険性を先日訴えたとき、「日本は日本のままでいい」と、ものすごい反発を受けて、多くのアカウントから人格否定までされたけど、そういう姿勢がいま、日本に何をもたらしているのかをしっかりと見てほしい。
それ、すり替えですよ。「創作で社会に影響を与えろ」と言ってるのでなく「創作は社会に影響を与えるもの」だと言ってるんです。創作する人も社会の一員なので、世に出す作品には一定の社会的責任があります。誰かを喜ばせるときに他の誰かを抑圧している可能性を考え仕事をしてほしいということです。 twitter.com/mikito_777/sta…
「サザエさん」が保守的なのはアニメ版の話で、長谷川町子先生の原作はむしろ進歩的な内容だった。なぜ作者の思想を捻じ曲げてるのか、アニメの制作者に聞いてみたい。 twitter.com/syufu_desu/sta…
「日本人には分かりづらいかもしれないけど」みたいな枕詞でアフリカ系アメリカ人への差別を語り出す人が多いけど、日頃これだけネットで日本人が特定の民族や女性などを差別的に攻撃しまくってる事例を目にしてて、なんでそれと同じような話だって繋げられないのかが不思議でしょうがないよ。
清楚なタイプの制服女子高生が献身的に奔走するような映画は、もう十分なんじゃないかな……。とりわけ男性が理想化した“他者”としての女の子を主人公として機能させることは難しいと思う。『私ときどきレッサーパンダ』のいきいきしたキャラクターを見た後だと、よけいに時代遅れに感じられてしまう。
お腹を空かせてコンビニで100円程度のおにぎりを万引きしても逮捕される世の中なのに、政治家が不正によって莫大な金額を懐に入れてるケースではなぜ逮捕されないのか。 twitter.com/nhk_news/statu…
煉獄さんの「誰も死なせない」という姿勢に日本中が涙したけれど、政府が人命よりも少数の利益の方に舵を切ったり、自治体の首長が「命の選別」を口にしたことに反感を覚えないのだとしたら、映画って観客にとって、いったい何なのだろうと思ってしまう。
ウクライナがソ連の支配下にあった1920〜30年代、ウクライナは中央政府の施策によって、おそろしい飢餓状態に置かれていたが、その事実は長年にわたって隠蔽されていた。いまウクライナの人々がロシアに対して恐れや怒りを覚える、大きな理由の一つとなっている。 twitter.com/kmovie/status/…
実際の戦争体験者の本を読むと、特攻に行かされるパイロットたちは、泣いて拒否するのを酒飲まされてなだめられたりとか、逃げられないように複数で押さえつけられて乗せられる地獄みたいな光景を見たという証言が記されていたりする。そういう本当のことを映画化すべきなのでは。
差別をしないよう、社会的弱者を追いつめないよう努力するという姿勢は、少なくとも現代人にとって当たり前のことなんだけど、それがあたかも一つの政治的な姿勢であるかのように言われるのが納得いかない。場合によっては差別する人や、「どっちもどっち」と冷笑する人がバランス派であるわけがない。
これは前提が間違ってる。人種的マイノリティや、ろう者などの実力ある俳優たちが、これまでなかなかカメラの前に立てないというケースが多く、非当事者の俳優のアドバイスばかりやらされていたという背景を考えなければならない。そういう人たちは、芸術を表現するチャンスすら与えられてこなかった。 twitter.com/hori_shigeki/s…
東日本大震災では、自分も東北で被災者となってリアルに命の危険が迫っていたから、震災で命をなくしたり困窮した人たちの境遇が感動話などに回収・利用されるのが全然ピンとこないし、腹立たしくさえある。むしろ、きれいごとを言いながら、結局社会福祉を軽視する政治を国民が選んだことに絶望した。