ゲイやバイセクシャルのキャラを登場させただけで「ポリコレを描くことをテーマにした作品」になるんですか?とくにテーマに関係なく、現実の社会と同じように一定数存在してちゃだめなんでしょうか。 twitter.com/suzukisan2011/…
それは、ゲイ、バイセクシャルの人たちが“絶えず周囲の男性を狙っている”という偏見であり差別です。ヘテロセクシャルの人が、あらゆる異性に欲情しているわけでないのと同じだというのを理解してください。 twitter.com/koganeaki25/st…
唐突に異性を好きになる描写は数限りなくあるのに、同性を好きになる描写の前には伏線をいろいろ張ってなきゃだめというのも、結構な差別だと思うけど。
漫画のなかで自分たちが正しいと思っている正義や思想、理想の世界を表現するというのも、表現の自由の行使の一つですよ。 twitter.com/naokure/status…
この設定が後付けだったとしても、漫画ではよくあることだと思うのですが。なんで性的指向の話だと、そんなに問題視されるのか分かりません。 twitter.com/naokure/status…
ゲイやバイセクシャルのキャラクターは、登場したときに性的指向をまず示さなきゃならないというのだろうか。そして、それを知ったところで、そのヒーローを見る目がそんなに変わってしまうというのなら差別でしょ。
孫悟飯が人生を生きていくなかで「自分はゲイだったんだ」と気づいたとしても、べつにいいと思うけど。なんでそこで裏切られたみたいな反応になるのかが分からない。 twitter.com/samehadatorime…
皇族の結婚に対するネットの批判が、もう意味の分からない領域にまで達している……。
日本のネット保守界隈は、フェミニズム憎しで皇室の女性を攻撃するまでになってきてるのか。もはや歯止めのきかないモンスターでは。 twitter.com/tako_ashi/stat…
五輪開会式のゲーム音楽使用は、結局すぎやま氏個人への便宜に過ぎず、他の作曲者たちは利用されていたというのが、よく分かる。文化へのリスペクトなどでなく、政権や地位のある政治家に一定以上の貢献をしたごく一部の人にリターンがあるという話。 twitter.com/ksawatari/stat…
受賞者は、「日本人として誇らしい」と言うような同調的な空気が肌に合わなくて日本を脱出したわけで、それをすっ飛ばして、民族主義を振り回す人たちを露骨に無辜の民みたいに描くのはおかしいでしょ。 twitter.com/youyakuya/stat…
東大はヘイトスピーチを続ける教員を懲戒解雇しているので、早稲田も早急に対応してほしい。 @waseda_univ twitter.com/Beyond_Hate/st…
「The Last of Us Part II」で、同性の恋愛表現が出てきたときに、ゲームのファンの中から「ポリコレに配慮してるのか」と猛烈な反発があった。ゲームやアニメを現実の逃げ場としている差別者にとって「裏切られた」という思いがあったのだと思う。でもゲームやアニメはそんな役割を担うべきじゃない。
自分たちが一方的に迫害を受ける側だと主張しつつ、アンチフェミニズムを標榜して女性を叩いている人が現実に存在していて、そのジャンルの界隈に行き過ぎた行為を諌めたり自浄しようとする動きがそれほど見られないばかりか、逆にエスカレートしてきているという状況が、この問題の背景にあると思う。 twitter.com/naoya_fujita/s…
100冊中1冊くらいは自己啓発本があってもいいとは思うけど……。「大学に“実学”を」という風潮と同じ流れで、管理職になりたいとか、お金が欲しいだけで、とくに他に何もないという価値観の人ばかりを育てても破滅が待っているだけというのを実感してしまった。 twitter.com/yamachan_5LC/s…
ヤフーはヤフコメにおける民族・性差別、個人攻撃の氾濫をずっと放置しているわけで、話が皇族の問題に及ぶと自制を求めるというのは、いかなるポリシーに基づく行動なのかをはっきりしてもらいたい。 twitter.com/tsuda/status/1…
ハリウッドで多様性が重視されてきていることを一過性のブームととらえてシニカルな態度をとる人もいるけど、そういう世の中の流れや、戦っている人の犠牲のおかげで、自分も被差別者として扱われなくなってきている恩恵を受けていること、忘れるなよなと思う。
SNSでは差別の嵐が吹き荒れているけど、そんな状況にNOを突きつけている人と差別者の間で“しなやかに”意見してる人が、「適切な位置取り」みたいになってる風潮、おかしいよね。学校のいじめが起きてるクラスで、傍観しながらうまくやろうとしてる奴ってことじゃん。
淀みなくどんどん言葉が出てくる人って、頭が良く思われがちだけど、その場で思いついたことを“言う/言わない”の葛藤がなくて、ブレーキがぶっ壊れてるだけの可能性があるから、とんでもない結論を納得させられそうになったりする。
10/8公開『メインストリーム』を鑑賞。ジア・コッポラ監督がアンドリュー・ガーフィールドを主演に、動画サイトでカリスマ的な人気を得ていく人物の行方を描いていく。口はよくまわるけど言ってることはひたすら無責任という、日本でもいま問題になっているような人物像を題材にしている。
特定の映画ファンへの揶揄の背景に、女性嫌悪があるケース。映画は森羅万象を表現できるんだから、おしゃれの要素に集中して楽しむのは自由だし、むしろ昔からあるオーソドックスな鑑賞姿勢の一つ。いろんな感性で映画を楽しむ人たちのおかげで、映画文化は盛り上がるし、深化することになる。
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』がたどり着く女性たちの治世に文句をつけたくなったり、そこに何か不安げな要素を見出そうとするというのは、男性による女性の政治能力への偏見の表れであり、女性が台頭することへの無意識的/意識的な防衛だと思う。
例えば、アメリカが奴隷制を廃止したとき、綿花畑の生産量が落ちたりコストが上がったのかもしれないし、その分、国際競争力は落ちたかもしれない。だからといって「奴隷制廃止には功罪がある」「これから国は難しいことになる」とか言わないでしょ。でも女性の話だと、日本ではまだそれがまかり通る。
タリバンに代表されるような男性中心主義による圧政に抵抗する女性たちの話の中に「でも女性にも問題はあるし、男性中心社会にも一分の理はある」みたいなメッセージを、まともなクリエイターが入れるわけないんだよね。黒人奴隷が迫害を受ける話で「奴隷制度にも一分の理はある」と言わないのと同じ。
Amazonレビューが嫌がらせの温床になってしまうのは本当に問題だと思う。個人の作家、クリエイターが体制批判できない状況に陥ってしまう。 twitter.com/li_kotomi/stat…