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村上春樹の小説の良いところ、「他人と自分は常に断絶していて、他人の言葉や行動についてその理由や気持ちを教えてもらえることは基本的になく、ましてや確信できるときは永遠にこない」という諦念が徹底していることに尽きるなと思う。
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古い時代のヨーロッパでは、ミツバチの巣における「女王バチ」がオスかメスかという論争が大きく取り上げられていたらしい。というのも、宗教的背景も相まって、当時メスはオスよりも"小さく作られている"と信じられていたほか、王たる存在がメスであるというのも受け入れがたいものだったようである。
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シッターさんが用事があって途中で交代することになり、次のシッターさんに「今この子は本屋さんをやっていますが、ここに並んでいる本たちは今は売っていません。55年後になったら売るそうです。この折り紙は船と飛行機で、お店から移動するのに使います」と丁寧に子どもの設定を引き継ぎしていた。
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日本語がかなり上手い日本語ノンネイティブの同僚2人が、「お申出ください」という文言を見ながら「これなんでしょう、おもうしだし……?」「『しんしゅつ』だと思うよ。送り仮名がないからね」などと話しており、高度に語学を習得している人の会話で面白かった。
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女性差別的な表現などが批判されたときに、「意思決定の場に女性もいたからOK」みたいな主張を見かけることがよくあるけど、そのたった一人とかに「女性から見た感覚」のすべてを委ねるのはさすがに重荷すぎるんじゃないかと思うことはある。
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以前読んだミステリー小説で、電車を降りるときに、乗り越しの不足分だけを精算して、帰りの電車賃をSuicaにチャージしなかったことで、帰るつもりがない(すなわち、自殺しようとしている)ことが探偵役に看破されるというシーンがあったのだけど、ぼくは普通にこういうところがあるなと思った。
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思い返すと、小学生くらいのとき、妹に「飼い猫が誘拐されて、身代金を一千万円要求されたらどうする?」と聞かれて、子どもながらに「正直、そんなお金は用意できないと思う」と答えたら、「冷たーい、私はお母さんに頼んで払ってもらう!」と言われて、そのときにも同じようにゾッとした覚えがある。
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ある話題やニュースに対する「正解の反応」が高速で作られて、みんながキョロキョロしながらそれに従うみたいな、インターネットのそういうところはあんまり好きじゃないと思っている。
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なんというか、「ワンメーターでタクシー乗る女」とか「サイゼリヤで喜ぶ彼女」みたいな話もそうだけど、「着飾らないこと・素直であること」と「金や手間がかからないこと」がかなり密接に結びついて理解されている世界観というものが存在している気がする。
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先日「女性差別が過去のものだと思っている女性ほど、人生への満足度が高い」という調査を読み、最初は素直に「性差別に遭った経験がないほど満足度が高いんだろう」と思ったけど、解説によれば因果が逆で、自分が差別される側だと気がついてしまうことで人生の満足度が下がるということらしかった。
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妹は確か小学3年生くらいだったと思うのだけど、たとえばお父さんが働いていてその給料で自分たちがごはんを食べており、その給料は確実に有限であることや、お父さんが何らかの理由で働けなくなったら家にお金がなくなることとか、何も知らないんだと思って、本当に恐ろしい気持ちになったのだった。
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以前話をしたことがある人が、乱暴ながら教養は「守り」と「攻め」に大体整理できるという話をしていて、守りとは無知ゆえの失敗を犯さないためのもので、宗教・歴史などが当たる。一方で攻めの教養とは人と仲良くなったり人生を豊かにするためのもので、これは絵画や音楽などが当たるという話だった。
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子どもの呑気さやある種の「信頼」にびっくりして二の句が継げないときは確かにあり、『ムーミン谷の彗星』で、ムーミンが「家へ帰ろう。彗星はパパが何とかしてくれるに決まってる」みたいなことを言って、スナフキンが驚いて何かを言おうとするも、思い直して何も言わないというシーンを思い出す。
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前も書いたけど、大学生へのアドバイスは「夜は寝て、昼は起きていた方がいい」しかない。
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「子どもはそれでいいだろ」みたいな引用RTがいくつも届いていて、まるでぼくが子どもを責めているかのように捉えられて驚いているのだが、無知から来る無邪気で愚かな発想を目の当たりにしたときに、ちょっとした恐怖を感じることがあるのってあまり共有される感覚じゃないんだろうか?
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河童と相撲をとることになってしまったときは、そのまま取っ組み合ってもまず勝ち目がない。立ち合いの前にお辞儀をする、逆立ちをしてみせるなどすると、河童もそれを真似してくる。その際に頭の皿の水がこぼれるので、相撲の前に河童を弱らせることが出来る。河原を歩くときは頭に入れておこう。
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「うまいこと言おうとする」ことの良くない点は、まずたいてい皮肉か意地悪になるという点だと思う。
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別に「そこでぼくは変わった!」みたいなボケナスなことが言いたいわけではなく、ずっと似たようなことは繰り返していて、色んな人を傷つけたり見限られたりし続けているんだけど、それでも、彼女はとにかく良いヤツだったから、信頼を裏切られるみたいな体験をさせたくなかったという後悔がある。
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サンタとかは信じていなかったのに、昔父親が言っていた「電柱を食べたことがある」という嘘は完全に信じていた。
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赤ちゃんに『ぐりとぐら』を読んであげたら、森を歩いているのに裸足であることに衝撃を受けたらしく「クツ! クツ!」と言いながら2匹の足を指差していた。
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公園のブランコに乗って「見て、すごいでしょ!」と周囲の大人に声をかけていた子どもが、「見ててね、次は、パパです!」と言うので、僭越ながらぼくもブランコを漕いだ。
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これは実話であると同時にぼくなりの例え話でもあり、どんなに配慮をしようと思っていても前提や常識が違えば出てくる言葉や行動には制御しきれないものがあり、それをいちいち揚げ足を取って目の前の相手を責め立てても不幸でしかないと思う。
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大学進学以降は彼女とそこまで仲が良かったわけではないし、客観的に見たらくだらない話でもあるけど、「過去に戻れるならどこを修正するか」で思い浮かぶ無数の地点のうちのひとつになっている。
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子どもがまだ2歳児クラスのとき、会うと必ずハグをするほど大好きな男の子がクラスにいて、一度登園ついでに教室を覗いたら、他の子がオモチャを取り合って騒がしく遊ぶ中、その子は教室の床に仰向けに寝転がり、自分の両腕を枕にして天井を見ていて、これは確かに大好きになっても仕方ないと思った。