R As Well(@Luzwell)さんの人気ツイート(新しい順)

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大好きなパンを食べていた子どもは、「すごくおいしいよ、パパもちょっと食べてみて」と言って、指先に乗るごくごく小さな欠片をくれた。
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そもそも「意思決定の場に多様な人材を入れる」というのは、たとえば企業が新しく何かを始めるときに弁護士に相談するように、あくまでリスクを低減させるために出来ることのひとつというだけであって、そこを通しさえすれば何をやっても責任がゼロになるという種類のものではないだろう。
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女性差別的な表現などが批判されたときに、「意思決定の場に女性もいたからOK」みたいな主張を見かけることがよくあるけど、そのたった一人とかに「女性から見た感覚」のすべてを委ねるのはさすがに重荷すぎるんじゃないかと思うことはある。
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公園のブランコに乗って「見て、すごいでしょ!」と周囲の大人に声をかけていた子どもが、「見ててね、次は、パパです!」と言うので、僭越ながらぼくもブランコを漕いだ。
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参政権のある大人が、参政権のない子どものことも代わりに考えて投票しなければいけないように、参政権のある日本国籍者が、参政権のない外国籍の人のことも代わりに考えて投票する必要がある(少なくともその責任を負っている)というのは、そんなにおかしな話に思えないけどな。
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宇多田ヒカルの「無理はしない主義でも少しならしてみてもいいよ」って本当に良い歌詞だと思う。
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当時の自分はこういう会話をコミュニケーションと思っておらず、とにかくその場の「正解」の返事を探すことに腐心してしまっていたのだった。
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新卒の頃、毎日仕事で苦しんでいたとき、偉い人に「仕事は面白いか?」と聞かれて、「はい!」と返事したら、がっかりしたように「レベル低すぎない? 俺は若いときめちゃくちゃつまらないと思ってやってたけどね、その仕事」と言われ、気まぐれクイズみたいなのやめてほしいと思った記憶がある。
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昔勤めていた日系の古い会社で、結婚している社員に支給される家族手当だったり社宅だったりというものがあったのだけど、これが男性の場合は無審査で支給・貸与されるが、女性だけ配偶者側にそういった制度がないかの確認が求められ、自分が大学とかで受けてきた教育と現実の差に困惑した記憶がある。
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同様に、講義などで「ここまで聞いて、「あれ?」と思った方もいらっしゃるかと思います」などと言われるとき、「あれ?」と思っていたことはほとんどない。
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ぼくは察しが悪い方なので、「賢明な読者諸兄は既にお気付きのことと思うが」と書かれているとき、既にお気付きだったことはほとんどない。
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誰かと会話するとき、「この人から何か新しいことを知ったりするかも」という期待をお互いに持つことが重要で、そこに歩み寄りや傾聴の姿勢が生まれると思うのだけど、ネットバトルを仕掛けてくる人はこの期待を一切持っていない様子があり、「この会話の先に一体何があるんだろう」と思うことが多い。
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「ディズニーって英語?」と聞いてきた子どもに、「英語だけど、日本語でもディズニーだよ」と教えると、「日本語に、"でぃ"があるの? "でぃ"がないとディズニーができない」と言うので、「そうだよ。どう書くと思う?」と尋ねると、少し考えてから「"り"に点々?」と意外と良い線を行っていた。
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「どう応えるべきかわからず完全に無視」←本当によくやってしまう。
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アフガニスタンの件で、街中から女性の肖像が次々消されているというニュースに「これがフェミの望んだ世界だなw」みたいなコメントをしている人がいて、その残酷さに言葉を失うというか、何もかもを遊びの範囲でしか理解することのない幼児の鈍感さみたいなものを目の当たりにした気持ちになった。
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以前話をしたことがある人が、乱暴ながら教養は「守り」と「攻め」に大体整理できるという話をしていて、守りとは無知ゆえの失敗を犯さないためのもので、宗教・歴史などが当たる。一方で攻めの教養とは人と仲良くなったり人生を豊かにするためのもので、これは絵画や音楽などが当たるという話だった。
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「親御さんの前で、僕が責任を取るとメンチを切った」という文章が流れてきて、たぶん啖呵を切ったと言いたかったのだと思うけど、ヤンキー文化圏で「メンチを切る」を誤用するのは普通有り得ないから、そういう文化とは無縁で育ってきたんだろうなと思った。
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「女は女というだけで幸せに生きている。自分だって女だったらもっと楽に生きられた、憎い」という考えを持っている人ってよく見かけるけども、それ自体が偏った考えであることは言うまでもなく、そういう"女性一般"に対する偏見を、目の前の個別の人間に躊躇なく適用する軽率さというのもよく感じる。
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子どもは毎朝保育園に向かう道中とても楽しそうにしていて、保育園に着いたあとも「イエイ、イエイ」と言って飛び跳ねているのだが、いざ引き渡す瞬間に必ず「ずっとパパと遊びたい」と泣いてしまう。先を想像して塞ぎ込んだりせず、嫌なことが本当に目の前に来るまでは楽しく過ごす姿勢は参考になる。
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子どもが「なんで、"は"に点々をつけると"ば"になるの?」と質問をしてきて、咄嗟に「まさかこの子ども、濁点をつけると無声音が有声音になるというルールから考えると、ハ行とバ行が対応関係になるのはおかしいということに気づいた?」と妙な深読みをしてしまって、言葉に詰まった。
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おれは、どんな気持ちで選手村を脱走して名古屋を目指したんだろうと考えたら、そしていまどんな気持ちで過ごしているんだろうと考えたら、笑う気になんて少しもなれないよ。何でも笑ったらいいというものじゃないよ、本当にさ。
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「俺もお前も同じものを読んだ、それでいいじゃないか」というときもある。
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「子どもはそれでいいだろ」みたいな引用RTがいくつも届いていて、まるでぼくが子どもを責めているかのように捉えられて驚いているのだが、無知から来る無邪気で愚かな発想を目の当たりにしたときに、ちょっとした恐怖を感じることがあるのってあまり共有される感覚じゃないんだろうか?
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妹は確か小学3年生くらいだったと思うのだけど、たとえばお父さんが働いていてその給料で自分たちがごはんを食べており、その給料は確実に有限であることや、お父さんが何らかの理由で働けなくなったら家にお金がなくなることとか、何も知らないんだと思って、本当に恐ろしい気持ちになったのだった。
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思い返すと、小学生くらいのとき、妹に「飼い猫が誘拐されて、身代金を一千万円要求されたらどうする?」と聞かれて、子どもながらに「正直、そんなお金は用意できないと思う」と答えたら、「冷たーい、私はお母さんに頼んで払ってもらう!」と言われて、そのときにも同じようにゾッとした覚えがある。