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まだ、発表できませんが、凄い新史料を発見しましたよ。まだまだ、未知の文書ってあるんですねぇ。本当にビックリしました。
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合戦の吉凶を占う者のことで、軍勢の指揮などを主君に代わって行ったり、軍略などに関わる存在ではありません。歴史学者の一部には、「軍師」の言葉を平気で使用したり、「軍師」=「軍配者」とする方がおられますが、実証されていないことをここであらためて確認しておきます。
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本證寺は、現在では内堀、土塁に囲まれた本堂などがありますが、戦国期は広大な外堀に囲まれた巨大な寺域を誇っていました。現在も残る絵図と、地形、小字図をもとにした縄張復元がこれまで、千田嘉博氏を始め、何人もの研究者によってなされてきました。そして、今では発掘調査が進められており、
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大学の吉丸雄哉氏により提起されています。今回、登場人物名が「千代」→「望月千代」であり、「千代女」ではないことに異論が出てくることが予想されます。恐らく、「千代女」の「女」は、女性名の下に付けられる「女」(じょ)でしょう。なので読みは、「ちよじょ」です。これは、男性名の下に「男」
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ます。そのため、まともに家康と戦ったことはなかったと考えられます(酒井忠尚は籠城戦に徹しており、家康軍と交戦したという記録がない)。今回強調されている「軍師」ですが、戦国期の日本には存在しませんでした。大将の傍らで、軍事、計略、作戦全般を支える役職といわれていますが、戦国期の史料
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アタクシ、大河解説をあと40回以上やるんだろうか?なんだか、大変なことを始めてしまったような😅😅
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アタクシの知人や仲間たちに、大河絵を描いている方がたくさんいます。皆さん、大河ドラマが好きで、俳優さんたちが好きで、物語が好きで、描かずにはいられない人たちばかりです。画才も凄い。そうして描かれた大河絵が、色々な人たちに新たな感動を与え、製作陣や俳優陣にも伝わり、勇気と作品への twitter.com/keico/status/1…
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大河ドラマの持つ大きな意義の1つに、ドラマに関係する人物、事件に関連する地元の広まりが凄いことです。これに地元が反応し、故郷のよさや隠れた歴史を再発見し理解し、さらに多くの人に知ってもらおうと努力することがあります。そしてドラマをみて新たな繋がりが未知の人々と出来ることです。 twitter.com/TomimasaHonda/…
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武田の鉄砲隊や信長が準備した陣城についての研究が進み、この通説が覆ろうとしています。実際の戦いはどのように行われたのでしょうか?番組では、火縄銃の発射実験や両軍の鉄砲隊同士のシミュレーション実験、さらに戦場跡から見つかった鉄炮玉の化学調査を実施。徹底調査で真相に迫ります」
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ています。それにになってくれるからこそ、国衆も戦国大名に軍役、納税などの奉公を行うのです。この双務関係により成立する、戦国大名と国衆の関係を、政治的・軍事的安全保障体制と呼んでいます。ところが、一向に支援してくれない、助けてくれない、となれば、国衆は自ら生き残りを図るために、その
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の研究にもとづくものです。詳しくは、黒田基樹『国衆 戦国時代のもう一つの主役』平凡社新書、拙著『戦国大名と国衆』角川選書を御覧下さい。
ところで、氏真が、なぜあれほどに北条氏の支援に邁進し、三河の今川方への手当てを怠ったのかという理由は、いまも謎に包まれています。氏真は、その後、
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今川軍撤退を契機に、西三河で反今川の動きが出て、家康が攻められたという設定にすることで、大樹寺の逸話を活かそうというのが今回の趣旨です。ならば敵は誰がいいか、と思っていたところ、古沢さんが大草松平昌久をチョイスしたのです。これは慧眼だと、私は膝を打ちました。大草松平氏は、
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大河で、三方原合戦が放送されたおかげか、拙著『新説・家康と三方原合戦』と『徳川家康と武田信玄』の売り上げが再び伸びているらしい。ありがとうございます。
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「軍師」が存在している設定とし、その人物を本多正信をしたことで、面白さが増したと思います。しかし残念なことに、「軍師」という役職は、戦国期には実在していないのです。それに近い言葉を探すとすれば「軍配者」ですが、彼らの役目は、「奇特」(不可思議な霊力)を持ち、日取り、月取りなどから
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本当はあまり教えたくないのだが、マジ旨い信州の地酒を買いたければ、上田市真田の宮島酒店を訪ねるべし。アナタの人生が変わること、アナタの楽しみが増えること、間違いなし‼️アタクシは、3ヶ月に一度は通ってます😆まとめ買いして、ゆっくり楽しんでます🍶
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皆様、スミマセン🙇あまりに忙しすぎて、 #時代考証の呟き が出来ません。いま少しお待ちくださいませ🙇それにしても、私や柴裕之氏、黒田基樹氏の最新の著書すら読まずに、色々言う人がいるんですね。一緒懸命書いてるので、まずは読んで下さいまし
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黒色火薬の話題で、だいぶTLが賑やかになりました。知らなかったことをご教示頂いた皆様に深謝申し上げます。中世の火薬製造法は、流派のような独自の調合法があり、斉一的なものは存在しませんでした。恐らく、銃兵各自が使用する火薬の調合は、全く違っていた場合が多かったと想定されます←但し、
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柴裕之氏が「どうする家康」の時代考証に新たに加わった。ありがたい。これでさらに陣容が強化された。でもこの事実を、いま知りました😅 #どうする家康 twitter.com/ebisukosyo_mar…
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完全なる創作ですが、戦国を生き抜くためには、弱者は何を覚悟せねばならないかを、我が子を人質に出し、それが見捨てられた経験を持つ於大だからこその説得力があったように思いました。毅然と家康を諭す於大だが、去り際の悲しそうな後ろ姿は、言葉と本心の乖離を見事に表現しているように感じ、
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もともと岡崎城を持ち城にしていましたが、家康の祖父清康に奪われたという因縁を持っています。また、三河一向一揆勃発の際には、一揆方に荷担し、後に三河を追放されました。これならば、今川軍敗北と家康の帰還を狙って、攻撃を仕掛けてもおかしくないだろうと思いました。もちろん、大草松平雅久に
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よる家康襲撃は脚色ですが、家康が三河を統一するのがいかに前途多難かを暗示する物語になったのではないでしょうか。
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自分は八幡太郎義家の子孫であり、それに相応しい武勇で信玄と戦うというもの、もう一つは家康は義家の子孫だが、信玄は義家の弟新羅三郎義光の子孫に過ぎず、家柄としては自分の方が高いのだという自意識です。ここに、家康の信玄に対する強烈なライバル意識がむきだしにされているのです。この他に、
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本日5月8日は、新暦だが、豊臣氏滅亡、大坂落城の日。そして、真田大助散華の日。悲惨な落城と、人々の死は、戦国のゲルニカとも俗称される屏風絵として今も私たちに凄惨さを伝えている。全ての落命した方々に、遠く東の山国より合掌。