「月曜日のたわわ」だが、正直、「こんなに雑かつ恣意的に国連の看板を使って表現規制を吹っ掛けてきた」のはブキッキオ氏の「日本の女子生徒は13%援助交際売春してる」以来だなぁと思ってる。
「社会学者がデタラメ言い出しても無視されて笑われたら、急に国連が出てきた」の、まあ、国連も安くなったなあというか。
ステレオタイプって「あるべき」という押し付けなので、 「アンステレオタイプアライアンス」の運用は「別の方法もあるよ」であって「ステレオタイプ広告は許さない」「アンステレオタイプ以外はダメ」って運用をする時点で、もうすでに「新たなステレオタイプ」なんですよね。
女の子はピンクの服以外を着てもいいよ→アンステレオタイプアライアンス 女の子はピンクの服以外を着ましょう→新たなステレオタイプの押し付け と言う話ですが、大体運用される時点で押し付けたがるのが人間。
なぜ、ジェンダー論者がオタク界に触れるとバグるのか? 「女性向けに描かれた少女マンガやコバルト文庫を男性が読む」 「男性向けに描かれた少年漫画や美少女コンテンツを女性が消費する」 なんてことが平然と起きるわけで、ジェンダー理論よりもジェンダーレスだから必然的にバグる。
フェミ最大の弱点は、さんざん「その通りその通りよく言ってくれた」って連呼しておいて、500円の漫画一冊、寄付での1000円を支払うことはオタクに比較して全然ないことである。
金カム映画化は「邦画業界のクオリティが全く信頼されてない」って話なんだけれど、かつてはアニメ化も信頼が低くて「アニメ化なんてしないでください。どうせグチャグチャでまとめてゴミ箱にぽいされるだけです」ってファンが作者に投書する時代もあったんだよなぁ。
現在の時代、「アニメ化されることに対する不安がほぼない」って状況を見ると、邦画もそういうふうになればいいなあとは思いますよね。
「お母さんの前で見せられないマンガは公共の場に出てくるな理論」 わりと、北斗の拳とかが規制される世の中になるんだよね。
表現規制をしたい人って、「家庭でやるべきことを社会に求めてしまう」んだよな。「この本を読ませたくない」→読ませなければいいのだが、子供の絶対に手の届かないようにさせたいと社会に要求してしまう。それは、家庭でやるべきことなんだよな。
しかし、北斗の拳がPTAに目の敵にされていたことを、「ははは、嘘つけ」とか言われるのを見てて驚く。はっきり言うが、「月曜日のたわわにやられた炎上どころの話ではないレベルで規制されそうになってた」よ。
なんで18禁のエロを描かないのに表現規制に反対なの? と言われた事がある。そのときには「放置していると拡大解釈して、自分の描いてるものを含めて全て禁止しようとしてくると思ってる」と答えたが、大正解だったな。本当に。あらゆるジャンルに放火している。
2000年代は、わりと「どぎつい強姦ポルノとかだけを規制します。一般作品には網をかけません」って表現規制の顔をしていたから、「一般レーティングの作家さんは関係ないでしょ? 貴方は大丈夫だから、そんな規制に反対するだけ損でしょ」みたいな事も言われたんだよな。
10年前は「こんなえげつないエロは規制されても仕方ないですよね。これだけ。こういうものだけ規制しますから」だったんだけど、現在は一般化した萌作品を「目についたものを即炎上させる」という方向にシフトしており、正直なところ掛ける網は広くなっている。
表現規制の範囲と理屈が、どんどん拡大解釈されて、なおかつ雑になってるんだよな。
「オタク文化に1番拒絶感があるのは40代だ」 と言われて、全く意外性がないというか、 「その世代が1番オタク差別の酷かった世代だ」いうことで、むしろ納得しかないんだよな。
教師が減った要因は、免許更新制度ではなく ①教員がブラック労働で職業としての魅力が下がったから ②民間の待遇が相対的に高くなったから ③不況の時代に人員を補充せずに臨時採用で済ませて正規雇用をしなかったから です。 免許更新制度は廃止すべきですが、それが教師不足の原因ではありません。 twitter.com/fuku_tetsu/sta…
これは大事なことだから何度も言うべきだと思うんだけれど「オタク文化はキモいから隠れているべきだし、社会の目に触れないようにしましょう」って、実際にやったときのほうが表現規制はひどかったし、息の根が止まるまで締め上げられたんですよね。社会から見えなくなる方が差別がひどくなる。
「オタク文化は社会に出てこなければ、規制されません」っていうのは100%嘘だと断言できるのは、実際に社会への露出を控えて見えなくなったら、その瞬間壊滅させるまでやってきますよね。むしろ「一般化した」から規制や差別が減ったということは間違いなく断言できる。
そういえば、昔はプロレスなんかも、「不健全な娯楽」で、「PTAが目の敵にしていた」んだよな。社会的にメチャクチャ攻撃されていた。ジャイアント馬場、アントニオ猪木というスターが居ても、その偏見は色濃く残っていたんだよな。社会的に認知されていても攻撃されていた。アレは不思議。
いわゆる1995年頃のサブカルの王者って、「アニメ・ゲーム・マンガ」ではなかったよ。これは断言していいけれど、「音楽」だった。1990年代後半はビジュアル系ロックだった。だから学校での話題はオタクではなく、ビジュアル系の話題しかできなかった。
今回のたわわの一件で「30年前のオタクフォビアの価値観がアップデートできていない」ってバレてしまったことが、最大の問題なんだよな。現在のフェミニストの名前を騙るムーブが、30年前のオタクバッシングの残り香だったことが、わりとバレてしまった感。
BLが規制の最前線だっていうことは、10年以上前からずっと言われていたし、腐フェミの萌規制賛成論に対しては、ずっと「それ言ったらBLが先に滅ぶ」って規制反対の腐女子がずっと言ってたんだけど。
だから昔からの人は相当この問題に関する社会学者系腐フェミの悪目立ちは、相当危機感があったと思ってる。社会学者系腐フェミは、BLが最前線だっていう認識自体がそもそもなかった。
表現規制への賛成は「処刑場の最後尾に回るだけ」であり、規制賛成が「こんな素晴らしい作品だけあればいい」と言われる作品も必ず焼かれる。ドラえもんや名探偵コナンすらもう燃やしにかかってるからなあ。