「イーロン・マスクは危険だ、やばい」というのはわかる。しかし、異議申し立てを何度もしてるのに、返信どころか機械的なメールを一本もよこさない現在のtwitterの運営は明らかにやばいので、正直なんとかしてやと思う。
ゴールデンカムイでの石川啄木があまりにもクズすぎる問題ですが、そもそも石川啄木が ・奥さんに送金せず遊郭通い。 ・バレないようローマ字で遊郭の日記をつける。 ・知人から借金しまくりで遊郭通い。 ・借金しまくった後「俺に頭下げさせたやつみんな死ね」と書き残す。 史実のほうがやばいんだよ
欧米にいじめがない説ですが、米国在住の知り合いに言ったら 「あるに決まってんだろ」 「なんでないと思った」 「ハリーポッター見ろ」 と言われました。 現場からは以上ですw
もう、SNS時代のいじめ教育は ①いじめにはたまらん愉悦がある ②相手を悪人だと思ってる ③いじめだと思ってない ④正しいことをしてると思っている にアップデートしないとダメだろうと思っている。大学教授やマスコミ関係者も、ネットいじめを平然とやってるんだよね。
過去、ゴールデンカムイをまるで読まずに、ラッコ鍋とアイヌ文化描写だけを観て「ポリコレだ。素晴らしい」と言ってた人たちが、今回の無料キャンペーンで「これ、特急呪物のゲキヤバ変態マンガだったのでは?」ということに気づいて、「こんな描写は許せない」とキレ始めてるの、本当にアレ、
ゴールデンカムイだが、ポリコレ勢からも絶賛されていたが、「全員変態の激ヤバ囚人たちがやばいことをやりまくっていて、これがOKなら、たわわ、宇崎ちゃん、全部なんの問題もないぐらいにやばい描写が多いよな?? この漫画容赦がない」と内容を知ってる人は誰もが思っていたはず。
正直「降伏を安易に考えるな」とは言ってたが、拷問、虐殺、強姦、拉致、略奪全てやってて、ここまでやるとは予想できたが信じられない。
現在の左翼が世界中でおかしくなったのって「他人を道徳で糾弾するのには、たまらん愉悦があり、脳内麻薬がドバドバ出る。SNSで、他人の行動を糾弾できる機会が増えた結果、あらゆるものをとりあえず糾弾せずにいられない、モンスターになってしまった」ということではないかと思う。
表現規制への賛成は「処刑場の最後尾に回るだけ」であり、規制賛成が「こんな素晴らしい作品だけあればいい」と言われる作品も必ず焼かれる。ドラえもんや名探偵コナンすらもう燃やしにかかってるからなあ。
だから昔からの人は相当この問題に関する社会学者系腐フェミの悪目立ちは、相当危機感があったと思ってる。社会学者系腐フェミは、BLが最前線だっていう認識自体がそもそもなかった。
BLが規制の最前線だっていうことは、10年以上前からずっと言われていたし、腐フェミの萌規制賛成論に対しては、ずっと「それ言ったらBLが先に滅ぶ」って規制反対の腐女子がずっと言ってたんだけど。
今回のたわわの一件で「30年前のオタクフォビアの価値観がアップデートできていない」ってバレてしまったことが、最大の問題なんだよな。現在のフェミニストの名前を騙るムーブが、30年前のオタクバッシングの残り香だったことが、わりとバレてしまった感。
いわゆる1995年頃のサブカルの王者って、「アニメ・ゲーム・マンガ」ではなかったよ。これは断言していいけれど、「音楽」だった。1990年代後半はビジュアル系ロックだった。だから学校での話題はオタクではなく、ビジュアル系の話題しかできなかった。
そういえば、昔はプロレスなんかも、「不健全な娯楽」で、「PTAが目の敵にしていた」んだよな。社会的にメチャクチャ攻撃されていた。ジャイアント馬場、アントニオ猪木というスターが居ても、その偏見は色濃く残っていたんだよな。社会的に認知されていても攻撃されていた。アレは不思議。
「オタク文化は社会に出てこなければ、規制されません」っていうのは100%嘘だと断言できるのは、実際に社会への露出を控えて見えなくなったら、その瞬間壊滅させるまでやってきますよね。むしろ「一般化した」から規制や差別が減ったということは間違いなく断言できる。
これは大事なことだから何度も言うべきだと思うんだけれど「オタク文化はキモいから隠れているべきだし、社会の目に触れないようにしましょう」って、実際にやったときのほうが表現規制はひどかったし、息の根が止まるまで締め上げられたんですよね。社会から見えなくなる方が差別がひどくなる。
教師が減った要因は、免許更新制度ではなく ①教員がブラック労働で職業としての魅力が下がったから ②民間の待遇が相対的に高くなったから ③不況の時代に人員を補充せずに臨時採用で済ませて正規雇用をしなかったから です。 免許更新制度は廃止すべきですが、それが教師不足の原因ではありません。 twitter.com/fuku_tetsu/sta…
「オタク文化に1番拒絶感があるのは40代だ」 と言われて、全く意外性がないというか、 「その世代が1番オタク差別の酷かった世代だ」いうことで、むしろ納得しかないんだよな。
表現規制の範囲と理屈が、どんどん拡大解釈されて、なおかつ雑になってるんだよな。
10年前は「こんなえげつないエロは規制されても仕方ないですよね。これだけ。こういうものだけ規制しますから」だったんだけど、現在は一般化した萌作品を「目についたものを即炎上させる」という方向にシフトしており、正直なところ掛ける網は広くなっている。
2000年代は、わりと「どぎつい強姦ポルノとかだけを規制します。一般作品には網をかけません」って表現規制の顔をしていたから、「一般レーティングの作家さんは関係ないでしょ? 貴方は大丈夫だから、そんな規制に反対するだけ損でしょ」みたいな事も言われたんだよな。
なんで18禁のエロを描かないのに表現規制に反対なの? と言われた事がある。そのときには「放置していると拡大解釈して、自分の描いてるものを含めて全て禁止しようとしてくると思ってる」と答えたが、大正解だったな。本当に。あらゆるジャンルに放火している。
しかし、北斗の拳がPTAに目の敵にされていたことを、「ははは、嘘つけ」とか言われるのを見てて驚く。はっきり言うが、「月曜日のたわわにやられた炎上どころの話ではないレベルで規制されそうになってた」よ。
表現規制をしたい人って、「家庭でやるべきことを社会に求めてしまう」んだよな。「この本を読ませたくない」→読ませなければいいのだが、子供の絶対に手の届かないようにさせたいと社会に要求してしまう。それは、家庭でやるべきことなんだよな。
「お母さんの前で見せられないマンガは公共の場に出てくるな理論」 わりと、北斗の拳とかが規制される世の中になるんだよね。